ヨシダナギ “ふつう”じゃなくても生きていける、悲観から楽観への逆転【前編】

失敗ヒーロー!

2019/10/23
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回は、テレビ番組『クレイジージャーニー』への出演から一躍、脚光を浴びたフォトグラファー・ヨシダナギさんが登場。アフリカの少数民族をとらえた鮮烈な写真で人々を魅了するヨシダさんですが、引きこもり同然だった過去を公言。そこで彼女の半生を振り返りながら、アフリカの地に降り立つまでの“逆転劇”に迫ります!

クビに気づかず出勤し続けた“社会に適応できない私”

――ヨシダさんは著書やインタビューで「私は社会不適合者」というお話をされていますが、何をきっかけに、そのことを認識されたのでしょう?

ヨシダナギ(よしだ・なぎ)
1986年生まれ、フォトグラファー。幼少期からアフリカ人への強烈な憧れを抱き、2009年より単身アフリカへ。その後、独学で写真を学び、アフリカを始めとする世界中の少数民族を撮影。唯一無二の色彩と生き方が評価され、テレビや雑誌など多数のメディアに出演。2016年発売の写真集『SURI COLLECTION』と紀行本『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』が講談社出版文化賞写真賞。2018年には独自の生き方を綴った異色のビジネス書『ヨシダナギの拾われる力』を上梓。

ヨシダナギ(以下、ヨシダ):16歳の時に初めて経験した、アルバイトがきっかけでした。中学2年生から不登校になり、引きこもりのような生活をしていましたが、自分なりに「何かしなきゃ」と思ったんですね。そこでチェーンの飲食店でバイトを始めたものの短期間でクビになり、しかもクビの宣告に気づかないまま、しばらく出勤し続けていたんです。シフト表に名前がないのも「店長が書き忘れちゃったんだな」って、自分で名前を書き込んで(笑)。

改めて振り返ってみると、確かにクビを伝えられてはいました。バイトの個人面談があり、その時に店長から「お前がシフトに入っている時だけ、人が多いのが分かるか?」と言われて。きっと店長は、「一人分の働きができない人間はいらない。もう辞めてくれ」と続けていたはずです。でも、肝心なところを聞き逃していたのか、「私がいる時だけ人を増やしてくれるなんて、店長は優しいな」と思いながら、出勤を続けていたという(笑)。

――なかなか強烈なエピソードですね。結果的に、どのようにクビだと気づいたのですか?

ヨシダ:お父さんに指摘されたんです。「私がいる時だけ、人を増やしてくれているんだって。優しい店長だよね。でも、シフト表に私の名前を書き忘れる、うっかり者でもあるんだよ」という話をしたら、「それはクビになったんだ。即刻、バイトに行くのをやめなさい!」と言われて。「最近、職場の人の視線が冷たかったのも、このせいだったんだ」と、背筋がゾーッとしたのを覚えています。

でも、クビになるのも仕方なかったんです。バイト先の先輩に「あなたは仕事が遅いから、テキパキ動きなさい」と指導され、言われた通りに早く動こうとすると、かえって失敗することが多々ありました。これも父から指摘されたことですが、私は他の人に比べて、動きのテンポが遅いんです。「お前が一生懸命なのは分かっているが、効率第一のチェーン店で働くのは難しい。お前がふつうに働きたいなら、個人経営の店にしなさい」と言われて。

進む道を示してくれた、母という存在の喪失

――ヨシダさんは「両親から『もっとふつうの生き方をしてくれ』と言われてきた」というお話もされていますね。「ふつう」になるため、何かトライされたことは?

ヨシダ:自分の中では、いつでもふつうなんです。特に中2で不登校になるまでは、努めて周りと同じようにしているつもりでした。小4の時の引っ越しをきっかけに転校先でいじめに遭っても、お母さんに背中を押されて、通い続けました。それこそ、みんなと同じように。

みんなが当たり前のように行く学校に行かない。中学2年生でふつうじゃない選択をしたのは、両親の離婚がきっかけです。それまで背中を押してくれていたお母さんが、家を出てしまったんですね。中2の夏休みの終わりに両親が離婚して、夏休み明けから、学校に行くのをやめました。母が家を出た直後です(笑)。

――直後ですか! お母さんの偉大さというか、影響力の強さを感じさせられますね。

ヨシダ:ちょっと宗教じみているくらい、お母さんの言うことは絶対でした。うちの母は「あなたは今、自分のお金で生活していない。パパとママに育てられているんだから、何か不平不満があったとしても、一人で稼げるようになってから言いなさい」というポリシーの人。改めて考えると、幼い子どもに向ける言葉じゃないですよね(笑)。でも、当時の少女ヨシダは、納得してしまった。「ごもっともです」って。

「おかしな母親だ」と思う人もいるだろうし、確かに極端です。けれど当時の私からすれば、「養われているうちは親の言うことを聞きなさい」という母の姿勢が心地よかった。悩んだり、迷ったりする以前に母がレールを敷いてくれるから、子ども心に楽だったんです。私の進む道を示してくれた母が家を出てしまったことで「もう、いいや」と、学校に行くのをやめました。

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