【前編】「ハウツー本を捨てよ、町へ出よう」・ヤマザキマリ(漫画家) | マネたま

【前編】「ハウツー本を捨てよ、町へ出よう」・ヤマザキマリ(漫画家)

失敗ヒーロー!

2018/01/10
Pocket

華々しい成功の裏には、必ず失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回のヒーローは、代表作『テルマエ・ロマエ』が累計900万部を越える大ヒットとなった漫画家のヤマザキマリさん。古代ローマという舞台設定でユニークな物語を紡ぎ出し、阿部寛氏主演で映画化されたことも記憶に新しい。『テルマエ・ロマエ』は40才を過ぎた頃の作品という彼女の、それまでを振り返るところから話題はスタート。

最初は、賞金が目的だった

――まずは、油絵を勉強されたヤマザキさんが、どうして漫画家を目指されたんでしょうか?

yamazaki-mari-1_0003_02

ヤマザキマリ(漫画家・随筆家)
1967年東京都出。17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。‘97年漫画家デビュー。『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。著書に『国境のない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)『スティーブ・ジョブズ』(講談社)『プリニウス』(とり・みきと共作 新潮社)など多数。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成29年イタリア共和国星勲章「コメンダトーレ」綬章。

ヤマザキマリ(以下 ヤマザキ): もともと白い空間があれば絵を描きたくなるような子供だったんです。本を読むのも文章を書くのも好きでした。ただ、漫画家になろうとは一切思っていなくて。未婚で出産し、どうにか稼がなければいけない状況のなか、絵を描いてお金になることを考えた結果なんですね。だから新人賞に応募したのも、当時子供を連れて日本に帰る航空券を買うのが目当て。何してでも生きていくしかないので、イタリア語を大学で教えたり、温泉レポーターをテレビでやったり、漫画を描いたり、7足 8足のわらじを履いていた1つという感覚ですね。

――その新人賞は獲る自信がありましたか?
 
ヤマザキ: ありませんでしたし、受賞後も編集者と話してひるみました。読者の嗜好に合わせて目をもっと大きく、脚を長くとか、読者が感情移入しにくいから外国人を出すなとか。なんでこんなに制約されるんだと思いながら、そのときは目をでかくしたりもしつつ、漫画はたまにやる程度でいいかなと思っていましたね。

――「たまに」なんですね! そのなかでどうして『テルマエ・ロマエ』が誕生したんでしょう?
 
ヤマザキ: 『テルマエ・ロマエ』は友達を笑かすために描いたようなものです。ローマ人が風呂から出てきた絵を友達の漫画家に送ったら、あんた頭おかしいよってゲラゲラ笑ってくれたんです。その人がかけあって、大手の出版社に見せてくれたんですが、そこには「おもしろいと思うけど、ローマとお風呂はニッチすぎる」って言われて。
それで、コミックビームというあまり知られていないコミック誌に持っていきました。そうしたら一発で出そう!と。そこの社長は、お金に関して全然ひるまないんですよ。売れるかよりも、作品をこの世に残せるかどうかにしか着眼していなかった。そういう気骨のある変人がいたから、『テルマエ・ロマエ』も許されたんです。

――『テルマエ・ロマエ』以前と以後では、仕事の仕方は変わりましたか?

yamazaki-mari-1_0002_03
 
ヤマザキ: 今は描きたいように描かせてもらっています。テルマエ以前は、何百枚というネームがボツになりましたし、編集者とも全然折り合いがつきませんでした。デビュー作はへんな作品だったから、話題性をとるまではよかったんですが、『次は恋愛で日本の女性が感情移入できるものを』と言われても、できなかった。日本に住んでないし、恋愛ものに興味がなかったので。それで壁にぶち当たりまして。
一方で、イタリア人と結婚して大家族で暮らす日常をブログに綴っていたんですね。友達に、これを漫画にしてしまえばすっきりするんじゃないかと言われて描いたのが『モーレツ!イタリア人家族』です。鬱憤を笑いに昇華するっていうのは、すごいいい分解の仕方だなと思いました。

――ご自身は苦労されたと思いますが、読者からしたらとても笑える作品になっていますよね。そもそも海外に渡ったきっかけはお母様の影響と伺いました。
 
ヤマザキ: 14才のときに母に送り出されてイタリアにひとり旅に出たのが最初ですね。母子家庭で、止むを得ずほったらかしにされているのは子供時代から感じていたし、同時に母の必死さを見ていると苦労かけないようにしようと思っていました。母は常にあんたの判断でやりなさいという感じだったのですが、私が未婚で子供を産んで帰ってきたときの開口一番は「孫の代まで私の責任だ」。80代になっても、温泉に行けば「英気を養ったから明日から働くぞ」って言うような母です。

毅然と変人でいれば、いじめられなかった

――かっこいいお母様ですね。海外で未婚でのご出産、我がことと思うと想像を絶してしまうのですが…。

yamazaki-mari-1_0001_04
 
ヤマザキ: 想像を絶しなくていいですよ(笑)。たしかに海外で未婚で出産したら周りにすごく騒がれました。でもそんなに大騒ぎするようなことかなって、俯瞰で見て思っていたんですよね。難民船の中や何も無いサバンナでも子供は生まれるわけですから。
人種差別やいじめだってどの社会でもあります。そんななかで、毅然とやっていけるかどうか。私はそんなこと考えているゆとりがなかったし、だんだん図太くなりました。こちらが何者であるか考えないオーラを出していれば、特別に扱われなくなる。学校時代も、私はずっと変わり者だったけど仲間外れにならなかったのは、毅然と変人だったから。そんなやつはいじめがいがないわけですよ、いじめっこにとっても。

――たまに日本に帰ってくると、日本はどんなふうに見えますか?
 
ヤマザキ: 日本はいろんな意味で過保護にできているな、と。戦後の日本はぐちゃぐちゃで、ある意味図太かったりエネルギーがある人しか生き残っていけなかったと思いますが、そんな面影はもう無い。今の過剰な便利さはお金の力のためにありますよね。それを意識せず、これは日本人の人徳なんだと思い込みすぎているのも危険だなと感じます。
俯瞰で見る人がいなくて、情報のなかで騒ぎになって情報のなかで動いている感じというか。俯瞰して何かを言おうとすると非国民か?!みたいに叩かれてしまったり。悪者にしても堂々と悪者を真っ当できている人がいない。堂々と人の怒りを買うような態度を取ったり、何かとんでもないことをやらかしてくれるような人が居てくれた方が、我々は客観的に物事を考えたり見ることもできるはずなんです。

――失敗との向き合い方も違いがありますか?
 
ヤマザキ: 日本人は、自分の欠点ばかりと向き合おうとしますよね。ほら失敗した、だからこういうことしなきゃよかった、って。だからなのか、失敗しないよう、あと責任転嫁できるようハウツー本が溢れている。大人も政治家もなんせ失敗を隠そうとするでしょう。人間なんだから失敗だってセットなのに、失敗は見せちゃいけないものみたいにするから変だなって。失敗をしなければ学べないもの得られないもが沢山あるというのに、それをまるで避けてきたように、スマートに生きてきた人みたいに振る舞うほうが逆に未熟でかっこわるいと思います。

ハウツー本は、持ってもいいけど、隠すべからず!

――じゃあ、ハウツー本は捨てるべきですかね?

yamazaki-mari-1_0000_05
 
ヤマザキ: 気の慰みですから、何かのせいにできるものを全部捨てたらいい。それか、ハウツー本買ってもいいけど、持っているのなら隠すなと思う(笑)。ハウツー本買ってるのに結局なにやっても全然だめだとしたら、それはそれで味わい深い(笑)。
この間、表参道のお洒落な店の前で派手に転んだんです。めっちゃ恥ずかしいし久々に痛かった。こじゃれた人々がみんな素通りしていくなかで、スケボー少年が大丈夫ですかって立上がれない私の前に現れたんです。ああ、きっとこの子は今までスケボーでいっぱい転んだことがあるんだなって思いました。転ばないとあの屈辱感はわからない。声をかけてもらえたことでのほっとした感じとか、それはそれで感受性の肥やしになる。失敗をして恥ずかしい思いをして彩り豊かな感性を養わなければ、表現者として何かを伝えることはできないですよね。


後編では…

失敗ヒーロー!』第10回目の後編では、さらに『テルマエ・ロマエ』について、また日本男児が持つべき「ヘン力(りょく)」や「俯瞰力」、そして「自分に合う仕事の見つけ方」についても語っていただきます。

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!
運営会社 | Copyright © kaonavi, inc. All Rights Reserved.