【前編】「僕にとっての“社会”は“普通”なこと。引きこもり時代を美談にしたくない」髭男爵・山田ルイ53世(芸人)

失敗ヒーロー!

2018/09/11
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、ワイングラスを片手に貴族風の漫才を披露して一世を風靡した髭男爵の山田ルイ53世さん。著書『一発屋芸人列伝』(新潮社)が大ヒットを収めた、まさに一発屋芸人の王道を行く山田ルイ53世さんのマネジメント術とは何でしょうか。前編では、引きこもりだった思春期の頃、一発屋芸人となった当時の心境について、お聞きしました。

小さい頃は社交的。自分は「神童」だと思っていた

――まず山田ルイ53世さんの生い立ちからお聞きしたいのですが、なんでも幼少期は神童だったとか。

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髭男爵・山田ルイ53世(ひげだんしゃく・やまだるい53せい)
1975年4月10日生まれ、男爵キャラとしてはパリ・シャンゼリゼ通り出身。実際の出身地は兵庫県。お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになり中退。大検合格を経て、愛媛大学法文学部に入学も、その後中退し上京、芸人の道へ。「新潮45」で連載した『一発屋芸人列伝』が、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞し話題となる。その他の著書に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)がある。週に一度「貴族のメルマガ」を絶賛配信中。

山田ルイ53世(以下、山田):自分で思い込んでいたんですよね、「俺は神童だ」って(笑)。周りに言われたわけでもなく。ただ、スポーツも勉強もできるってだけで。大いなる勘違いでした。

――小さい頃の方が万能感はありました?

山田:子供ってみんなそうでしょ。大人をナメてるっていうか、なんでもできるんや!っていうね。人生のなかでも一番ナチュラルに天狗になれる時代でもありますからね。

――ご両親は厳しい方だったのでしょうか?

山田:厳しかったといえば厳しかったですね。両親ともに公務員だったので。親父は頑固ですぐカッとなるタイプで、真面目を体現したような人間でした。でも、そういう親の圧力に負けてビクビクしながら過ごす「ええ子」って感じではなかったんです。むしろ、ちやほやされることに悦びを感じる人間でした。

――では、友達付き合いも普通にされていたんですね。

山田:児童会長をしていたくらいですからね。後年、引きこもりになって人生ズタボロになるんですけど、その頃に比べたら、小さい頃は社交的でした。社会からドロップアウトしてからの自分と、小学校の頃の自分は全くの別人。友人たちの間でもリーダー役を演じてたんですよ。

ある「事件」が引き金になって引きこもりに

――山田さんが引きこもりになったお話しは有名です。

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山田:詳しいことは『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)に書いたんですけど、ウンコを漏らしたのが周りにバレまして。でも、それは結局、引き金に過ぎなかったんですよね。いろいろ原因を掘っていくと、例えば通学時間が長かったこととか、真面目すぎたとか、あるんです。中学受験で私立に入学したんですけど、通学時間が2時間もあって。朝5時に起きて、眠い目こすりながら学校に行って、宿題もわんさか出されるから、帰ったら遊ばずに勉強してました。もう、しんどくて。そんな日々が続いているなかで、ウンコを漏らすことで、ぷつんと糸が切れたんでしょうね。ある種、解放されたっていうか。こんな酷いことが起きたんやから、全部まっさらや、ええやんか、それでっていうね。

引きこもり初日には親父にドロップキックかまされるわけですけど、あぁこれで休める……って思いましたね。免罪符ができたっていうか。でもだからと言って、引きこもっている状態が天国だったわけじゃないです。むしろ、まぁまぁの地獄でした。今から考えるとあの時間は全くの無駄でしたね。だって、他の人たちは思春期の大事な時期、友達と遊んだり、勉強に部活に励んで、充実した生活を送ってたわけですよ。あの時代の6年間を無為に過ごすっていうのは、大人で置き換えたら懲役30年くらいくらっているようなものなんです。だから、僕ははっきり後悔しています。

――あの頃のご自分に声をかけるとしたら何て言いますか?

山田:学校行った方がええよって。友達作って遊んだ方がええよって。今過ごしている時間は後年何の役にも立たないよって。よくね、インタビューとかで「あの引きこもりの6年間があるから、今の山田さんがいるんですよね」って言われるんですよ。そんなことないですって(笑)。インタビュアーの方が美談を求める気持ちはわかるんですけど、何でもかんでも意味を見出すのって逆に窮屈なんです。そういう引きこもりを追い詰める一因にもなってしまう。だから、僕はあえて言います。引きこもりだった時間は完全に無駄やった、と。

――すいません、完全に美談に持っていこうとしてました(笑)。

山田:でしょ(笑)。ちょっと気配を感じたんですよ(笑)。でも、いろんなケースがあるとは思います。そりゃあ、引きこもりがあったから立派な大人に成長できる人もいると思う。でも、僕は違いました。

履歴書もボロボロ。残された道は芸人くらいしかなかった

――そんな引きこもりの時代にご自分が芸人になると思っていましたか?

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山田:そもそも、引きこもっている時に、外に出られるようになるなんて思ってはいなかったんですよ。芸人になるっていうのも、地域では名門と呼ばれる中学に入って、末は東大やって言われてたのが、ドロップアウトして、社会からこぼれ落ちた。なんとか大学検定試験を受けて、愛媛大学に入学して社会復帰したものの、履修ガイダンスを受けずに、結局中退してしまう。履歴書がボロボロなんです。それで何かどうでもよくなって、全部リセットや、芸人にでもなろう、みたいな感じで養成所に行ったんです。

――その後、東京の養成所に入所されましたが、ここも途中で辞めてますよね(笑)。

山田:挫折ばかりですね(笑)。養成所に関してはお金が無くなったのが大きいですね。バイトすればいいんだけど、バイトしたら負けやっていう変な意地が働いて。僕ね、芸人になるって誰にも言わずに、出てきたんですよ。親にも、友達にも。だから軽く失踪事件みたいに扱われちゃって。そういうところも計画性がないし、真剣味も足りない。でもこれで芸人辞めたら、いよいよ何もやることがなくなってほんまに死ぬくらいしか残されてへんなっていうところで、養成所で一緒だったIくんとひぐち君が僕をもう一度、お笑いに誘ったんです。

――では、いわゆる夢とか希望とかを持って東京に出てきたってわけではないんですね。

山田:違いますね。Iくんとひぐち君が僕を訪ねてきた時も、友達ができるくらいの感覚で話に乗って。あっちはツッコミができる人を探してたらしいんですけど、僕は別に二人に何の思い入れもありませんでした。そのうちに半年くらいして、Iくんが辞めちゃうんですけど、そうすると、ひぐち君と二人になるわけですよ。ひぐち君としばらく一緒の時間を過ごすとわかるんですが、あっ、この人、お笑いに向いてないなって(笑)。でも、毎日会うことができる人間ができたっていうのは、その時の自分には大きかったです。

――ちょっと失礼なこと聞いてしまうんですが、そんな日々を過ごしているなかで、人生辛いなって思うことはなかったのでしょうか?

山田:辛いなっていうのはありましたよ。子供の頃はあんなに褒められて育ったのに、急に誰ともコミュニケーションを取ることが無くなって、時間が余りに余って。生きてて手応えがないなっていう状態なんです。僕にとっては、お笑いで飯を食えるようになってからが正式な社会復帰なので、それまでは「芯を食った生き方は出来てないな……」というような心境でした。

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