男であることに疲れたよ……。――グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』(小磯洋光訳、フィルムアート社)

「働く」を考えるベストセラー  第28回

2020/04/02
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著者:長瀬海
 

男らしさの終焉

グレイソン・ペリー(著),小磯洋光(訳)
出版社:フィルムアート社
出版年月日:2019年12月25日

私たちの無意識にはあるイメージが刷り込まれています。職場で、社会で、主導権を握っているのはスーツを身に纏った男性であるというイメージが。例えば、ここ最近ヒットしたお仕事ドラマを見てみましょう。

銀行内部の腐敗を描き、権力者にやられた分を「倍返し」することで立ち向かおうとする銀行員の戦いを描いた『半沢直樹』。倒産寸前の会社を立て直す勇ましい企業戦士の逆転劇を主題とした『ルーズヴェルトゲーム』。ベンチャー企業の営業部で働く女性がワンマン社長から押し付けられる理不尽さと向き合いながら、決して自己を見失わない姿を映すことで「新たな働く女性像」を視聴者に見せつけた『獣になれない私たち』(このドラマは社会における男性の旧態依然のあり方を批判したものではありますが)。メディアのなかで映し出される「力を持った人間」は、どれもスーツをピシッと着た男性なのです。あるいは広告でも同じ。人材派遣や転職サイトなどのテレビコマーシャルでオフィスの管理職の椅子に座っているのは、必ずいかめしい顔をした男性社員。私たちのなかには男性というジェンダーが、良くも悪くも、猛々しい力を持った生き物として、インプットされているのです。

私たちの社会に巣食うこの男性性とはなんでしょうか。グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』(小磯洋光訳、フィルムアート社)は、男性性の正体を考察し、解体しようと目論む一冊です。

著者のグレイソン・ペリーはイギリスで有名なアーティストであり、トランスヴェスタイト(女装家)としても知られています。物心ついたときから、女性のファッションに大きな興味を持ち、一方で、男性というアイデンティティーに悩まされてきました。それゆえに、著者は、男らしさというものを冷徹に見つめ、それがいかに厄介な社会規範となっているかを解き明かすことを自身のテーマとしてきたのです。

著者は手始めに、デフォルトマンという概念を提示します。これは、イギリスの社会でロールモデルとなっている男性像のことです。「白人・ミドルクラス・ヘテロセクシャル」この三つが揃うだけで、イギリス社会では「昔から自分のウエイトよりはるかに上の階級で戦うことのできる集団でいられた」のだと著者は言います。そして、このデフォルトマンは模範的な性役割となり、全ての男性に、社会での振る舞い方を押し付けるようになります。同時に、男性もまたデフォルトマンを内面化し、それらしくあらねばならないという強迫観念のなかで生きるようになります。

これは、イギリスだけの問題ではないでしょう。「白人」という人種のカードを抜いて、そこに例えば、「高学歴」というワードを入れ替えれば、日本でも当てはまります。高度経済成長を潜り抜けた日本でもデフォルトマンは、規範的な男性のロールモデルとして機能し、今でさえ、私たちに、男性の(誤った)然るべきあり方として示されます。テレビに映る男性像、あるいは、家庭における理想的な父親像、それらがデフォルトマンに限りなく近い存在であるために、私たちはそのような男らしさを手にするために四苦八苦しているわけです。

デフォルトマンは感性より合理的な考えを採る人間です。そしてそうしたタイプの人々が発言力を持つことで、男性優位の社会が作り上げられ、感性豊かな女性を貶めるジェンダーバイアスが生じていったのでした。「デフォルトマンは感情的な利益(社会的な結束、生活の質、文化、幸福など)よりも、『理性的な』ゴール(経済的な利益、効率、自己決定、野心など)を優先する。何世紀も家父長制の時代が続いたことで、この世界はミドルクラスの男性の考え方を反映し支持するようになった」と著者は言います。(本書、28ページ)だから、「平等を育むためには、社会の基本構造に組み込まれたデフォルトマンのイデオロギーを取り出し、相反する見解を広げて並べてみる必要がある」わけで、そこから始めることでようやく、社会の軛となっている男性性を打ち壊し、女性と男性が公正な権利を持つ世界が生まれるわけです。

ただ厄介なのは、いくら社会が変わっていこうとも、在りし日の男性像にしがみつこうとする人々がいることです。著者は彼らをオールドスクールマンと呼びます。「昔ながらの男性性に疑問をもたず、社会の変化に適応していない男性」である彼らは、男性性が刷新されるのを望みません。彼らにとっては古き良き男性であることが自らを満たす唯一の手段であり、それを奪われることに怯えるのです。

そうやって、過去という鳥籠にいつまでもとらわれること。著者はそれこそが男性性の特徴だと言います。

フェミニズムは常に未来を向いている。女性が権利を獲得する日を、女性の役割が変わり広がる日を考えている。女性はより良い未来のために、より公正な未来のために働いている。女性は社会の変化だけでなく自分に生じる変化も受け入れようとしている。女性はこの拡大する役割を掴むために、適応し、新しいスキルを学び、自信を付けなくてはならない。しかし、男性はいつも、男性が『男性』だった(男性のための)黄金時代を呼び戻しているようだ。ハンティング(危険でスリリング)の時代、戦争(危険でスリリングで退屈)の時代、重工業(危険で退屈)の時代を。怒り、暴力、腕力といったビンテージな装備が力をはっきした時代を。そして男性が女性を支配した時代を。(本書、132ページ)

在りし日の男性像にしがみつく男性は未来へ進むことに恐怖を覚えます。そこには、男性性が壊されることによって一時的に生じる混乱があるからです。しかし、彼らはいつまでも過去に縛られず、来るべき社会を恐れず、自らをアップデートしなければなりません。そうでなければ、時代錯誤な存在として、文明の発展から取り残されていくのです。

そのためには「多様で柔軟な未来の男性性」を体現する新しいロールモデルが必要なのです。デフォルトマンにとって代わり、オールドスクールマンのノスタルジーを打ち破る、そんな存在が。では、来るべき新たな男性性を手にするためには、私たちはどのようにすべきなのでしょうか。

ここからは、私の持論ですが、メディアがその一助を担うべきだと思います。デフォルトマンを提示し続け、男性をノスタルジックな感傷に浸らすことを許してきたのはメディアでした。その罪滅ぼしとして、メディアがまず変わらなければならない。弱い自分を認められ、理性より感性を重んじることができ、社会の変化に柔軟に適応できる、そんな男性像を少しでも多く映し出すこと。男らしさにしがみつくことに疲弊した私たちにとって、救いとなるような新しい男性の姿をメディアが絶えず示し続けてくれることで、私たちは未来へ向かうことができるのです。


photo by Lali Masriera

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