普通から外れても「働く」ことはできるということ――池田達也『しょぼい喫茶店の本』

「働く」を考えるベストセラー  第24回

2019/12/04
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著者:長瀬海
 

しょぼい喫茶店の本

池田達也 (著)
出版社:百万年書房
出版年月日:2019年4月

JR中野駅から徒歩12分、西武新宿線の新井薬師前駅から5分歩いたところに、段ボールで「しょぼい喫茶店」と書かれた看板が掲げられています。近所の子どものいたずらでもない。法の目をかいくぐった闇組織の密会所でもない。ここは、正真正銘、日本で唯一の、しょぼい喫茶店なのです。オープンは2018年3月。1年9ヶ月が経ってもなお、しょぼく、営業している。この店は一体—。

池田達也『しょぼい喫茶店の本』(百万年書房、2019年4月)は、この喫茶店をめぐる、感涙必至の物語が詰まった一冊です。店主の池田達也こと「えもいてんちょう」(ネット上での愛称)は、留学した後、大学卒業間際にお店を立ち上げました。と、書くと、なんだ、また意識高い奴の起業自慢か……と、この記事を閉じてしまうでしょう。いえ、そんなことはないんです。本書の前半に綴られている池田氏の半生から浮かび上がってくる像は、おそろしく社会性がなく、どうしようもなく自己肯定感の低い若者の姿です。

彼は、少し間違えれば、死を選んでしまうかもしれないほど鬱屈とした日々を過ごしていました。現代社会が押し付ける「生きづらさ」を抱えて社会の入り口の前に佇んでいたのです。とにかく働くことが苦手。アルバイトをしてみても長くは続かない。そんな人間にも、否応なく訪れる、就職活動という拷問。池田氏は、そこから逃げるために、国外逃亡を試みます。しかし、海外生活もうまくいかず、日本に帰ってくると、止むを得ず、就活に励むことに。「なんとか置いていかれたくなくて、必死に本当の自分を押し殺して、就活生になろう、大人になろう、とやってみた」。しかし、結果として待っていたのは、社会不適合者の烙印。みんなが歩む「普通というレール」の上を「僕」は歩くことができない。その現実は、彼を死の方へ、死の方へ、追いやります。

暗闇に全身を押さえつけられながら、生を諦めることばかり考えていた日々のなか、彼はネットで二人の「普通じゃない人」に出会います。日本一有名なニートであるphaさんと、年収200万円ほどの幸せを享受する日本一しょぼい起業家のえらいてんちょうさん。前者から「自分の価値基準で幸せを決める」ことの重要性を訓えられ、後者から「金がないことが貧困なのではなくて、金がないならないなりにやる、ということができないのが貧困。金を得る方法を知っているのが知性ではなくて、金がなくても笑って過ごせるのが知性」という言葉を授けられた池田氏は、不意に、人生を納得させる道を見つけました。喫茶店の開業です。

喫茶店であった必然性はないと池田氏は言います。ただ、なんとなく喫茶店。だから目的もビジョンもなかった。自由。彼がその時に見えていたものは、その自由というふた文字だけだったのです。とはいえ、開業には資金も必要。場所も必要。ネットで探し出した物件に必要な初期投資金額は100万円でした。焦り出す池田氏が飛びついたのは、一つのツイート。挑戦する若者の姿が見たい。100万円くらいなら面倒を見る。一か八かで、彼は出資を求める戦略を練ることにします。そこから実際に100万円を得て、開業に至るまでの経緯は、ネットの時代ならではの、マジカルストーリー。詳しくは本書を読んでみてください。

喫茶店を始める準備は整いました。「しょぼい喫茶店」という名前は、「人間誰しも誰かにとってしょぼい存在だけど、同時に他の誰かにとっては尊い存在なんだと思い、そこから名付けた」と言います。ここまででわかる通り、池田氏は、意識の低い方から、自分だけの幸せを、見つけ出そうと試みたわけです。働くことを恐れながら、なんとか手にした自由がそこにはあったのです。

時を同じくして、池田氏の前に、協力者が現れます。現在の「しょぼい喫茶店」を語るのに欠かせないおりんさんという、この女性は、東京で看護師をやっていたけれど、激務からうつ病を患い、実家で療養中のところ、池田氏のブログを見つけました。「人とゆるくつながる場所をつくりたいと思ったけれど、なかなか難しくてどうしようかと悩んでいる折、このブログを見つけた。どうにかして協力したいので、働かせてほしい。」ここから、おりんさんと池田氏の二人三脚での経営が始まります。

本書は、経営ノウハウを伝えるために書かれているのではありません。本書に描かれる、生きることに不器用な人たちが、誰かを支えるということに気づき、自分の世界を築き上げるストーリーを通じて、私たちは働くということのヒントを得ることができるのです。世界は一人ではどうにもならない。でも、二人だったら、どうにかなるかもしれない。「しょぼい喫茶店」の物語はそのことを教えてくれます。

順風満帆なスタートを切った「しょぼい喫茶店」。しかし、その先には困難、失敗、挫折の日々が待っていました。苦悩の末、池田氏は、一つの自己認識を得ます。「僕は優秀な経営者じゃないんだ」。ここにたどり着いたとき、ようやく、「しょぼい喫茶店」は自分たちの道のりを歩くことができたのです。

結局、僕は『当てる』ことも『攻略する』こともできていない。
いろんな試行錯誤をしてみてわかったことがある。『攻略する』ということだ。新井薬師前という微妙な立地の5坪もないような小さな喫茶店で、経営素人の二人が一発逆転を狙うなんて自分でも滑稽だと思う。魔法はない。この喫茶店で一発逆転はできない。それはわかっている。わかっているけれど、それでも僕とおりんさんは、いつか魔法が起こるんじゃないかと本気で信じている。そう信じてサイコロを振り続けること。魔法が起こるまで、地道で泥臭くて、お世辞にもシンデレラストーリーとは言えない日々を、毎日毎日繰り返すこと。それが優秀な経営者じゃない僕とおりんさんにできることなんだと思う。(本書、157ページ)

意識の低いところから始まった「しょぼい喫茶店」の物語は、決して大きなサクセスストーリーじゃありません。だけれど、「普通というレール」から外れたところでも、働くことができる、働く自分の姿を自由に描くことができることを、示してくれます。働くことの自明性が打ち破れていく音を頭のなかで聞きながら、本書の175ページのある一文を目にした瞬間、私の両目から大粒の涙が溢れ出ているのに気づきました。「しょぼい喫茶店」という働き方は、人間にとって幸せとは何かを説くものでもあります。彼らの物語は始まったばかり。末長く、続くことを祈って。

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