「ふつう幻想」を打ち破れ!――富永京子『みんなの「わがまま」入門』

「働く」を考えるベストセラー  第21回

2019/09/05
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著者:長瀬海
 

みんなの「わがまま」入門

富永京子 (著)
出版社:左右社
出版年月日:2019年4月30日

私が会社員だった頃の話をします。私はとても「わがまま」でした。私がかつて勤めていた
会社は営業業績が良くないと、連帯責任で、営業部全員の休日を勝手に買い取ってしまう習慣がありました。はじめは、みんながそうしているから仕方ないか、と思っていたのですが、だんだんと腹が立ってきました。営業業績が良くないからって、なんで休日を返上せねばならないのだ。休む権利くらいあるだろう。っていうか、休んだ方が会社の空気も良くなるし、働きやすくなるんじゃねえ? あたかも当然のように社員のプライベートを踏みにじる会社のあり方に違和感を覚えるようになったのです。そして、とうとう我慢できなくなって、行動に出ました。

会社には労働組合などなかったので(そもそもそれがおかしい)、私は社内弁護士に訴えることにしたのです。ただ、私一人で立ち上がっても、学生感覚が抜けない新卒社員の戯言と思われてしまうので、仲間を集めることにしました。数が大事だ。そう思い、同じ営業部員の同僚に声をかけて、一緒に声をあげようと言ったのです。しかし、そんな私に、同僚たちは、「え? ちょっと何、ヤバイことしてんの? みんな我慢してんだからお前も黙って仕事してなよ」というような言葉をかけてきました。私は浮きました。なんか一人で恥ずかしいことをしてるんじゃないか、そんな気にもなりました。あのすごく微妙な空気はなんなのか、よくわかりませんでした。

富永京子『みんなの「わがまま」入門』(左右社)はこのメカニズムをうまく説明してくれています。本書は、「わがまま」について、その声をあげる意味を考察したものです。本書の簡単な定義で言えば、「わがまま」=「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」と考えることができます。
この定義で言うなら、私があのときとった行動は「わがまま」です。制度を変えるまではいかないまでも、会社に社員から休日を奪うと、怒る人が出てくるよ、と知らしめたかったからです。しかし、それは他人から白い目で見られることになりました。例えばこういうところに、本人特有の問題があると本書は指摘します。

誰かが「わがまま」を言う、それを横で見ている人は「ずるい」と口にする。そこには、みんな平等なんだから、一人だけ変なこと言わないの、という、いわば同調圧力があるのです。みんな「ふつう」であるべし、とされる。では、このみんなとは一体誰なのか。会社のフロアを見ると、それぞれに頭がある。それを指して「みんな」と呼ぶのですが、つぶさに見ると、そんな雑なくくりではカテゴライズできないことがわかります。もちろん男女の別もあるし、LGBTの人もいる。シングルマザー/ファザーの人もいれば、独身の人もいる。身体に障碍のある人だっている。外国から来た社員さんもいるでしょう。つまり、「みんな」はみんなではない。個々の間に差異があるわけです。だとしたら、そのなかで「ふつう」であることなんて成立するわけがない。けれど、その人たちが集まると「ふつうはこうする」という規範が生まれてしまう。これを本書では「ふつう幻想」と呼びます。

「ふつう幻想」とは「ふつう」が良しとされた時代の遺産です。かつて一億総中流社会という時代がありました。そこでは「みんなふつう」という感覚があった。9割ほどの国民が中くらいの生活をしているという意識があった。「みんな」の「ふつう」があまねく人々に共有されていたのです。時代は過ぎ、現在は、グローバル化が進み、価値観の多様化が叫ばれるようになりました。そこには、本書の言葉を借りると「個人化」が進んだ社会があるのです。それなのに、一億総中流社会に育った親や先生の教えのせいで、「ふつう」でいること、目立った行動は避けることが身についてしまっている。これが「ふつう幻想」なのです。「ふつう幻想」がはびこる空間では「わがまま」が言いにくい。私が会社内で浮いてしまった原因がここにあるのです。

しかし、誰にだって「わがまま」を言う権利はある。価値観が多様化し、個人の苦しみがなかなか共有されないいまだからこそ、そのことを確認しておく意味があると著者は言います。ここで著者が「わがまま」という言葉を使うとき、念頭に置いているのは、社会運動です。政治的なデモ、フェミニズム的な連帯。危機感を抱える人々が社会への不満をぶつける際に発する「わがまま」をそばで見ている人たちが肯定してあげること、そのことが大切なのです。人によっては、デモなんて怖いし、そもそもそんなので社会は変わるの?というかもしれません。だけれど、「何かが大きく変わらなくても、行動する人やその周りの人にとって何か変化があれば、その人にとって、社会運動をする意味になる」と著者は言います(本書、103ページ)。

正直、言います。私もデモは苦手でした。コスパが悪いと勝手に思っていました。だけれど、本書を読んで、認識を改めました。「社会運動の仕事は、あくまで『わがまま』を公の場に出して、隠れた願望や要求を形に出して人に伝えること」(本書、95ページ)。そうだとするなら、位相は異なりますが、あのとき休日をくれ!と叫んだ私と、社会運動で政治的な主張をする人たちは連帯できるはずなのです。連帯とまでは言わないまでも、私は彼女・彼らの声を認めてあげ、そして今度は彼女・彼らに私たちの声をも認めてもらうべきなのです。でなければ、この社会は「わがまま」も言えない、息苦しい空間になってしまいます。

その上で、本書は、どうやったら「わがまま」を言えるか、その方法を極めて実践的に書いています。「ふつう幻想」から遠く離れて、ボソボソっとで良いので、「わがまま」を声に出してみませんか。


photo by Maria Eklind

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