ホモソーシャルってなんだ?男たちの男たちによる男たちのためだけの紐帯から逃れるための教科書――清田隆之著『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』

「働く」を考えるベストセラー  第20回

2019/08/07
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著者:長瀬海
 

よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門

清田隆之(桃山商事)(著)
出版社:晶文社
出版年月日:2019/7/11

「いやいや! それルッキズムだから!!」そう、私に注意してくれたのは、ある先輩ライターでした。彼女は、私のツイッターを見て、即座にLINEでメッセージをくれたのです。
私がツイートした内容は、だいたい次のようなものでした。「才色兼備な翻訳者の○○さんが新しい訳書を出しました! とっても面白い!」今、冷静になって思えば、「才色兼備な」なんて不要な形容詞だし、どう考えてもルッキズム(他人を身体的な特徴で判断する、差別的なふるまいのこと)として回収されてもおかしくない発言です。でも、私は、自分でも信じられないくらい不用意にそんなツイートをしていたのです。

私は、男尊女卑なんてもってのほか、女性と男性が平等になるような社会こそが理想だ、と考える人間です。少なくとも、自分はそういう人間であってほしい、と願う男性です。けれども、不意に、上記のようなふるまいをとってしまった自分、そしてそのことの危うさに先輩からの親切な指摘がなければ気づけなかった自分がいることに、怖ろしさを覚えました。では、私のこの不用意な発言の根底には、何があったのでしょう。

それを教えてくれるのが、清田隆之著『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』(2019年、晶文社)です。この本では、恋バナ収集ユニット「桃山商事」(とても面白い活動をしているユニットです、興味のある方はイースト・プレスから2017年に刊行された桃山商事著『生き抜くための恋愛相談』を読んでみてください)の一人として、女性たちから様々な男性への不満の声を聞いてきた著者が、具体的に、男に特有の女性をモヤっとさせるふるまいを紹介・分析しています。

普段は仕事仲間であるクライアントと食事をしただけで、相手から「恋愛相手としてワンチャンあるっしょ」というコミュニケーションをとられるようになったり。生理痛で休みますと言っただけで、男性の上司から「この時期ですので、インフルエンザの可能性もあります。病院で診察してもらってください」と謎のメッセージをもらったり。会社のスケジューリングが何かと、男性社員を基準に設計されていたり。そのような、日常に転がっている男のダメな部分――それは往々にして、男性の深層心理に原因があります――がいかに女性をモヤモヤさせているのか、本書は丁寧に暴いて見せてくれます。

そして、著者はその原因の一つとして、男性がたえずホモソーシャルな関係性を結びがちであること、があげられると述べるのです。男は男性同士で集まると、女性蔑視な発言をしがちである。男性はどうして個人と集団でキャラが変わってしまうのか。男性間のコミュニケーションの様式や文法がわからない。そのような女性の不満を前に、ホモソーシャルな「男同士の関係」とは一体何か、という問題を立て、著者は、男性が女性をモヤらせる本質的な部分をえぐって見せるのです。

では、ホモソーシャルとは何か。時に、「ホモソ」と略され、女性たちをイラつかせるそれは、社会学的には「男の絆」や「男同士の連帯」を意味するものです。それだけ聞くと、なんだか美しいものなんじゃないか、という倫理観が働きますが、それは男女平等を目指す社会にとって大きな障壁として立ちはだかっています。この問題に関して、著者はホモソーシャルの専門家である前川直哉氏と対談しながら、その正体を露呈させていくのですが、鍵となるのは次の部分。

前川 ホモソーシャルの一番ダメなところって、女性を「女」という記号や集合でしかみていないところなんですよ。女性が自分と同じように社会を担う一員であり、同じように物事を考え、同じようにさまざまなことを感じながら生きている存在だとは見ていない。
清田 多くの男性が胸に手を当てて考えるべき問題だと思います……。そういう価値観を無意識にインストールしてしまっているせいか、ホモソーシャルが許容する女性像ってかなり狭いような印象があります。ホモソーシャルな男性たちや、ホモソを描いた作品(ヤンキー映画や往年のジャンプ漫画など)なんかを見てると、そこに存在する女性像って、男たちのお世話をする「マネージャー」か、高嶺の花みたいな存在の「ミューズ」か、一緒に戦える男勝りの女という意味の「名誉男性」の3種類くらいしかいないように感じます。そして、その女性たちの複雑な内面が描かれることはほぼなく、与えられた枠組みから決してはみ出さない。
前川 要するに“人間扱い”していないんですよね。一緒に働いていても、恋愛していても、目の前にいる女性を人間として見ていない。女性たちの中には、「ここにいる私をちゃんと見ろよ」っていう苛立ちが相当あると思います。(152ページ)

そこから話は、ホモソーシャルが現代の日本社会の構造といかに結びついているか、に及んでいきます。それは非常に根深い問題です。上記の会話を読んで、「いや、俺はそんなんじゃない」と思う男性もいるかもしれないけれど、そういう男性も、ふと、振り返ってみると、いかに会社が男性のルールで作られているかに気づくと思います。あるいは、素朴に、男性の集まる飲み会を思い出してみると、そこで交わされる会話がいかにミソジニー(女性嫌悪)と不可分なものであるかに思い当たるでしょう。
 
これは一部の男性の問題ではありません。(著者はそうははっきり言明していませんが)全ての男性の深層心理にガッチリと結びついているものなのです。私のような、自称「ジェンダー意識の高い男性」でも、そう。先のルッキズム発言は、おそらく、このホモソーシャルな男性性と、ぐるぐるっと絡まっているものだと思います。そして、この問題設定を敷衍させていけば、上記に挙げた、女性をモヤッとさせる男性のふるまいの、根本的な原因が浮かびあがると思います。
 
男は、どうしようもなくホモソーシャルな生き物である。では、その命題に対して、女性たち、そして私たち男性は、諦念を抱かなければならないのでしょうか。諦めて、男たちがホモソーシャルな動物と化する前に、著者は一つの提案をします。それは「鏡を見る」ということです。それは具体的な対処法です。例えば、日頃のふるまいについて、女性から意見をもらう、とか(私が先輩ライターから注意をしてもらったように)。会話をテープレコーダーに録音してみるとか。こうした、男性同士の絆について書かれた本を読む、ということとか。そのように、自分自身を客観的に眺め、コミュニケーションのPDCAサイクルを修正していく。そのことによって、ホモソーシャルな紐帯から、自己を断絶させることができるのだと著者は述べています。
 
ホモソーシャル問題の他にも、実に多くの男性特有の問題が、本書には書かれています。(本書はホモソーシャル問題だけで全てを解決しようとするものではありません。)ですが、その全ては、根本に男性のホモソーシャルなあり方が関わっている、逆に言えば、そのあり方を改めることができれば、その問題の多くは解けるのではないか。本書を読み、私は、そう、考えます。まさに、男性としての自己を改める「鏡」となる一冊。これ以上、「失敗」しないためにも、全ての男性が、そして男性を非ホモソーシャル化させたいと願う女性が、読むべき「教科書」なのです。


photo by xlnrth

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