バブルを謳歌したおっさんよ、お前はもう死んでいる ――酒井順子『駄目な世代』

2019/05/09
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著者:長瀬海
 

駄目な世代

酒井順子 (著)
出版社:KADOKAWA
出版年月日:2018/12/15

根性論を振りかざす先輩。飲み会のたびに景気の良かった時代の自慢話をしてくる上司。口では一丁前なことを言うのにPCスキルときたら全くダメな管理職。そう、ダメなんです。私たち(筆者は30代前半、ゆとり世代よりちょっと手前)よりも前の世代の方々は! と勢いよく言えるのは、『駄目な世代』(角川書店、2018年)で、著者の酒井順子が半生を振り返って、内省してくれているから。本書は、バブル景気を生み出したわけでもなく、先輩が作ってくれた船に乗っかって、ディスコでひたすら騒いでいた今の50代(作者じしんの世代)を自虐的に、(愛を込めて)批判します。

バブルへと日本を進めていったのは、今は既に他界している人だったりするし、バブルの時代に社会の中核となってその泡を攪拌して膨らませていたのは、今はリタイアライフを送っている人。そんなバブルの主役と言ってよい人たちは、「バブル世代」とは言われません。バブル世代とは、広義で言えば「バブル景気に浮かれて楽しい若者時代を過ごした人」。狭義で言うと、「バブル景気の影響で苦労せずに就職できた人」のことを指すのです。(本書38ページ)

そんな作者は、就職氷河期とか、ロスジェネとか言われる人々を前にすると、つい、萎縮してしまうと言います。けれど、私見を言えば、バブル世代の人々は何も悪くないわけです。時代がそうだった。ただ、それだけ。大切なのは、自分たちの世代に共通の項を見いだすこと。自分たちとは何者なのかを理解すること。それなしで、下の代、例えば、ゆとり世代を批判することなどできやしないし、後輩を育てることなどできはしないのです。

本書がとてもクリティカルなのは、まさにそのことをやってのけているからです。例えば、言います。セックス一つとっても、それに対する向き合い方がそれ以前の世代と異なっていた、と。

七〇年代、独身女性達が、解放とか抵抗を念頭に置いてセックスしていたのに対して、八〇年代のトレンディドラマの主人公は、何も考えずにセックスをしていました。ドラマにセックスシーンは出てきませんでしたが、都会で一人暮らしをする女性が恋愛をするということは、当然セックスをしていたということ。そして結婚前に色々な男性と付き合うということは色々な男性とセックスをすることでもあった。(本書、44ページ)

主義主張や強いメッセージなきセックス。70年代のウーマンリブが隆盛したような政治の時代から、趣味の時代へと変わっていったことを意味します。アンダーグラウンドのカルチャーが「宝島」などの雑誌から新たに生まれ変わり始めたのもちょうどこの頃でしょう。(無論、「宝島」はもっと以前からサブカルメディアの代表として機能していました。)つまるところ、「行動を決めるのは、意志でも思想でもなく、「気分」。なんとなく気分が乗ればセックスするし、なんとなく好きなものを着たり食べたりする。今振り返るならば、この感覚は八〇年代を象徴するものでもありました。八〇年代の若者達は、権威への反抗やら社会の改革など考えることなく、自らの気分に従うことに酔った」(本書46ページ)わけです。

酒井順子がそう言うとき、その念頭にはもちろん、田中康夫『なんとなく、クリスタル』や村上春樹の存在があるのでしょう。彼らが爆発的にヒットしたのは、時代の「気分」に上手く乗れたからでしょう。ある哲学者は、この時代の感性を「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」と言いました。バブル世代の人々は、自らの感覚だけを頼りに、世間を渡り歩いていたわけです。

だから、彼ら・彼女らは、決して時代のイニシアティブを握るタイプの人間ではありませんでした。彼ら・彼女らは、本書の言葉を借りれば、「永遠の後輩」の集まりだったわけです。酒井順子は述懐します。「私たちは、「オールナイトフジ」を見ながら、とんねるずにキャーキャー言っていた。女子大生になれば、先輩達にかわいがってもらってとにかくモテる。先輩、ついていきます!」(本書、58ページ)その態度こそが彼ら・彼女らに求められていたのであり、後輩として先輩の後ろを歩いていれば、おいしい思いができたのです。その象徴が先に挙げたとんねるずだったわけです。とんねるずの後輩に対する「体育会的なかわいがり芸」こそが面白い。その「気分」はいつまで経っても抜けないのです。

それゆえに、酒井順子は一つ後悔の念を吐露します。私たちは、後輩に何も残せてやれなかったと。自分たちが楽しむことで精一杯で、社会的な革命を果たすことができなかった、と。少し長いけど、引用します。

昭和は、女性の地位の激変期でもありました。(中略)その時々で、女性の地位を何とかしよう、と考えて活動をしてきた女性(や男性)が存在していました。その方々の尽力のおかげで、選挙権やら人権やら働く機会やらを私達は得ることができたわけですが、ふと思うのは「では私達は後輩のために何かをしてきたのか」ということ。昭和人的生き方をまっとうせず/できず、かといって先達のように、「女性の地位向上のために」と闘った訳でもない。下手に平成方面に色気を出して足をかけたせいで、昭和と平成のあいだで股裂き状態となってアウアウ言っている、駄目な世代ではなかったか。(本書、107ページ)

下の世代が、この自己世代批判を評価してみるのもおかしな話かもしれませんが、彼女が、至極、まっとうなことを言っていると思います。申しわけないけれど、バブル世代が作り上げたのは、24時間戦えますという根性論、とにかく付き合いだけはうまい世渡り術、そういったもの。それは、私たちの世代からしたら、ウザい。もう、そんな時代は終わったんだよ、そう言いたくなる歩き方なわけです。

だけど、本書が教えてくれるのは、こうした自己批判をできるほど、現在はバブル世代にとっても生きづらい世の中になったということ。そして、上の世代を疎んじてばかりいるだけでは、私たちの生きやすさは改善できないということ。酒井順子が示して見せたように、私たちも私たちなりに私たちの世代を批判する、その土台を今のうちに整えてみても良いのかもしれません。


photo by liz west

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