耳をすませて声を聞け! —— イ・ミンギョン著『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(すんみ・小山内園子訳、タバブックス)

「働く」を考えるベストセラー  第15回

2019/03/06
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著者:長瀬海
 

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

イ・ミンギョン (著)
すんみ、小山内園子(訳)
出版社:タバブックス
出版年月日:2018/12/13

この連載の第12回で、ジェシカ・ベネット著『フェミニスト・ファイト・クラブ』(岩田佳代子訳、海と月社)を取り上げました。そのときに、男性なのに、女性のことを理解して偉いね、という感想をいくつかもらいました。私は、それを聞いて、そうだぞ、私は男性なのに女性のことを理解してるんだ、と内心、誇らしく思いました。けれど、それが、間違いだと気付いたのは、イ・ミンギョン著『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(すんみ・小山内園子訳、タバブックス)を読んだからです。

まず、この本の成り立ちから、説明しましょう。2016年5月に韓国で「江南駅殺人事件」というのが起きました。この事件は江南駅の出口のビル付近で、ある男に女性が刺殺されたというものです。その男性は、特定の女性を狙ったわけではありませんでした。女性なら誰でも良いから殺したい、という目的で、一人の、たまたまトイレに入った女性を、殺したのです。

この事件に対して韓国では「この問題の根本的な原因は、韓国社会に蔓延する女性嫌悪にある」という声があがり、被害者の追悼運動が一気に広がりました。「女性嫌悪によるヘイトクライムではないか」という主張が数多くなされ、「私が殺されてたっておかしくない」という意識が韓国のいまを生きる女性のなかに芽生えたのです。そのようなフェミニズムのムーブメントの高まりのなかで本書は誕生しました。

さて、一読して、なぜ、私が自分は男性なのに女性が社会のなかで感じてきた苦痛を理解した気になったことを後悔したかというと、本書がまず、フェミニズムにおける理解とは何か? という本質的な問いから始まっているからです。その答えはひとつしかありません。女性が説明し、男性が理解すること。例えば、本書の著者イ・ミンギョンは次のように書いています。

男性は女性に説明されない限り、女性がどのような人生を送ることになるのかを理解することができません。つまり、男性は女性の目線で社会を見ることができないのです。一方で、男性中心社会で生まれ育った女性は、さまざまな経験をしながら自分に内在された男性の目線をとりはらおうと努力し、女性としての目線を育んでいきます。男性が権力を持っている社会で生きる女性は、自分の観点を持つようになる前、男性の観点でも世界を見ますが、ほとんどの男性は男性の観点だけで一生を過ごしても特に不便を感じません。(本書、68ページ)

フェミニズムの基本構造として、男性が女性の声を聞くことは揺るぎないものとしてある。だとするなら、前掲著の『フェミニスト・ファイト・クラブ』を読んだくらいで「(女性を)理解した」など、なぜ言えるでしょうか。仮にも書評家を名乗る私があのとき読み解かなければならなかったのは、著者であるジェシカ・ベネットがどれだけ骨の折れる作業をしてことばを紡いだかという点でした。そこにこそ想いを馳せるべきだったのです。

でも男性と女性は昔よりは平等になっているじゃないか。そう感じる人も多いかもしれません。日本では男女雇用機会均等法(1985年施行)に男女共同参画社会基本法(1999年施行)。この数十年でたしかに社会は変わりました。私自身、そのことを実感してもいます。しかし、男女平等が、男性だけが「主語」になった世界のなかで謳われている限り、平等とは名ばかりの、男性からの「計らい」に過ぎない。イ・ミンギョンがここで指摘しているのはその点です。それゆえ、これは、男にはヒリヒリ響く、文字通り「痛烈」な一文なのです。

本書には、こんなエピソードが描かれます。家父長制の根強い韓国では男性が女性におごることが当たり前になっている。女性は「キムチ女」として、その恩恵にあずからねばならない。さらに、韓国には徴兵制があり、男性は軍隊に入隊するという大変な思いをしているのに、女性はラクをしているように見られる、というわけです。

しかし、これは韓国に限った問題でしょうか。例えば、日本には徴兵制はなくても、働くのは夫、家事をするのは妻、という風潮が未だに強くあります。そこには、サラリーマンとして会社の中で戦っているのは男なんだから、感謝こそされても非難される覚えはないという抑圧が、あるように思います。
 
あるいは、日本の職場における女性管理職の割合を見てください。「日本経済新聞」(2018年4月18日号)の調べによると、8.3パーセント。圧倒的に男性が多い。女性は、結婚し、子どもを産むのだから大事なプロジェクトを任せられない。そんな意識が働いているのかもしれません。しかし、それは女性側から申し出たことなのでしょうか。それはこれまで男性だけが「主語」になった社会のなかで、女性や子どもや性的少数者たち「マイノリティ」の声を無視して男性たちが勝手に決めてきた、極めて不誠実で非民主的で、とてつもなくパターナリスティックな暗黙の了解だったのではないでしょうか。本書は、そんなルールに従う必要はないことに気づかせてくれるのです。

本書はフェミニストによるフェミニストのためのマニュアル本です。基礎編と実践編にわかれていて、社会で生き抜く「会話術」のようなものです。ではこの本は男性の「敵」でしょうか。そんなことはありません。たぶん男性が勝手に怖がっているだけ。何を? フェミニズムを。何故? 自分たちが享受してきた「利権」が脅かされるから。でもそもそもそれはそんなに恐れる必要があるものでしょうか。イ・ミンギョンは言います。

フェミニストが獲得しようとしているのは基本権です。男性にごちそうになりたくてフェミニストになったわけではありません。基本権とは、人間ならば当然与えられるべき権利であって、なにかをすることでもらえる補償ではない。フェミニストは家父長制が与える『枠』を拒否し、基本権を手に入れようと闘います。家父長制と女性嫌悪という枠のなかで男性から与えられるちっぽけな報酬には興味がありません。フェミニストは報酬を拒んでいるだけでなく、その枠自体を壊し、変えていこうとしているのです。(本書、64ページ)

家父長制にあぐらをかきたい男は、これからもきっと、フェミニストを怖がるでしょう。しかし、家父長制はもう古い。フェミニストはそんな旧態依然の社会を一度壊し、新しい社会を、男女が気持ちよく働ける社会を、作っていこうとしている、それだけなのです。イ・ミンギョンは綴ります。「女性には相手に理解させない自由、包み込むための努力をしない自由、相手がさしのべてきた和解の手を拒む自由があります」(本書、102ページ)。そこまで彼女に言わせてしまった、男=私たちは、大いに反省すべきでしょう。だからこそこれからは、彼女たちのことばに耳をすませる。その態度でもって、もうちょっといい世の中を作るために、フェミニストたちと立ち上がろうじゃありませんか。


photo by AJC1

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