AIの時代に「1日8時間」も働く必要は本当にあるのか?

本当の「働き方改革」の話をしよう その13

2018/11/06
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著者:日野瑛太郎
 

まず質問です。みなさんは1日何時間ぐらい会社で働いていますか? 労働基準法では1日の労働時間は8時間、1週間換算で40時間までと決められています(労働基準法第32条)。もっとも、現実にはこの規制を遥かに超えて残業をしているという人も少なくありません。一昔前までは、月100時間は残業をしているなどと言う人の話もよく耳にしました。これは単純に週で換算すると法定労働時間を60%以上超過していることになり、そういう人にとっては「1日8時間労働」など夢のまた夢にしか思えないはずです。

僕自身、就職活動の時に「一切残業がない、1日8時間労働を守っている会社」という軸で会社選びをしてみようとしたことがあるのですが、悲しいことにそんな会社はほとんど見つかりませんでした。いわゆる「働き方改革」であまりにもひどい長時間労働は緩和されつつあるものの、基本的には多くの日本人がまだ法定の「1日8時間労働」を実現できていません。むしろ「高度プロフェッショナル制度」のような労働時間規制に逆行する制度も創設され、「1日8時間労働」の実現は遠のきつつあるとすら言えるかもしれません。

このように日本人の労働時間を巡る現実は非常に厳しいものがありますが、今回はさらに根本的な問いとして、そもそも労働基準法で規定されている「1日8時間労働」というものの妥当性を疑ってみたいと思います。法律では1日の労働時間は8時間とされていますが、なぜこれは10時間でも6時間でもなく、8時間なのでしょうか? この8という数字はどういう理由で規定されているものなのでしょうか? 疑問に思ったことがある人もいると思います。まずはこの疑問から考えてみましょう。

人類はいかにして「1日8時間労働」を獲得したか

労働時間規制の歴史を紐解くと、話はイギリスの産業革命までさかのぼります。イギリスで産業革命が起こった当初は、まだ労働者を守る法律は存在しなかったので、工場労働者は概ね1日12時間から16時間程度、休みは週に1回といったひどい待遇で働かされていました。

当然ながら、こんな待遇で働いていれば健康を害する者も増えてきます。そこで待遇改善を求めた労働運動が起こり、1802年には世界初の労働者保護法である「工場法」が制定されます。もっとも、1802年の工場法は実効性が乏しく、さらなる運動を経て1833年の「一般工場法」でようやく実効性のある形で1日の労働時間が12時間(成年の場合)に制限されます。

その後、さらに何度かの改正を経て、1874年には週56時間労働制(平日は1日10時間、土曜日は6時間)まで制限は強化されます。イギリス以外の国でも同じように労働運動によって工場労働者の待遇は改善され、ついに1919年の国際労働機関総会で「1日8時間」という今とほぼ同じ国際基準が規定されました。

以上のことから、労働基準法で規定されている「1日8時間」という数字は、先人達の大変な努力によって獲得されたものであることがわかります。僕たちは、安易にこの制限を手放すべきではないと言えるでしょう。最近では、成果主義の名のもとに労働時間規制を撤廃しようという動きもありますが、そんなことをしては労働時間規制を獲得するために必死に戦った先人達に申し訳ないと僕は思います。

1日8時間労働は現代社会に合っていると言えるのか

さて、1日8時間という数字が先人達の努力によって獲得された数字であることは分かったとして、問題はこの8時間という数字が現代でも妥当なのかということです。上述のように、1日8時間という数字が設定されたのは1919年のことです。今は2018年なので、約100年経過していることになります。それでも未だに1日の労働時間が8時間のままだというのは、何かおかしい気がしませんか?

100年前と今とでは科学技術の水準が大きく変化しています。多くの仕事は当時より機械化・自動化され、100年前と比べれば労働者の生産性は何十倍にも向上しているはずです。それだけ生産性が上がったのであれば、労働時間が少しぐらい減ってもいいはずですが、不思議と労働時間はまだ1日8時間のままです。

科学技術の進歩は今後もさらに進むと思われます。最近はAI技術が発達し、単純作業だけでなく知的労働までもが機械に置き換えられようとしています。それならなおさら、労働時間は減ってもいいはずです。しかし「AIで仕事がなくなる!」という話はよく聞いても、「AIで労働時間が短くなる!」という話はあまり聞きません。

なぜこういうことが起こっているのでしょうか。これは僕の仮説ですが、みんながどこかで「仕事は最低でも1日8時間はするものだ」という固定観念を捨てられていないからだと僕は考えています。一言で言えば、「やればできるけど、やろうとしていないからできない」ということです。

そもそも、人間は1日に8時間も集中して仕事ができるものではありません。僕も自分の会社員時代を振り返ると、長く会社にいたからと言いってすべての時間で集中して働いていたわけではないことに気づきます。労働時間を短縮するために、働き方を改善する余地は多分に残っていると思います。

実際、北欧の企業では1日6時間労働制への移行に挑戦し、生産性の面や健康の面などでポジティブな結果が出始めているようです。日本でも、たまに1日6時間労働にチャレンジしている企業の例を目にしますが、まだ数は多くありません。ぜひ、もっと多くの企業が挑戦してみてほしいと思います。

週休3日というワークスタイルも十分ありうる

ここまでは1日の労働時間を削減していくという話でしたが、これとは別のアプローチとして、1週間の中で稼働日を削減していく「週休3日」というワークスタイルもありえます。人によっては、1日の労働時間を削減するよりもこちらの方が魅力的に思えるかもしれません。

考えてみると、現状でもたとえば祝日のある週は週休3日で働いていると言えます。ではそのような週は仕事が多すぎてどうしようもないのかというと、案外、なんとかなってしまうものなのではないでしょうか。あとはそれをすべての週に拡大できれば、週休3日は実現できます。こちらも、決して夢物語ではありません。

もちろん、1日6時間労働にせよ、週休3日にせよ、実現するには労働生産性を向上させる取り組みが不可欠です。そして、生産性向上を一番妨げているのは、「どうせ生産性を向上させたって、こなす仕事が増えるだけで仕事の時間は減らない」という諦めではないでしょうか。

生産性向上の結果を実際に労働者にメリットがある形で還元できるのであれば、つまり、生産性を上げた分だけ本当に働く時間を減らしてよいとなれば、生産性を上げる取り組みは今よりもっと進むでしょう。現在、多くの企業が採用している生産性向上策には、この視点が大きく欠けていると思います。

経営者にだけメリットがある生産性向上ではなく、労働者にもメリットがある形での生産性向上を実現し、ひとつでも多くの会社が既存の常識(1日8時間、週40時間労働)に縛られることなく、労働時間削減に取り組むことを期待しています。


photo by Matt Wiebe

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日野 瑛太郎

ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)などがある。