「感情労働」の疲弊から働く人を守るために必要なこと

本当の「働き方改革」の話をしよう その12

2018/10/03
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著者:日野瑛太郎
 

近年、仕事のタイプとして「感情労働」というキーワードを目にする機会が増えてきました。感情労働とは、アメリカの社会学者A・R・ホックシールドが著書『管理される心 感情が商品になるとき』の中で提唱した概念で、「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などを不可欠の職務要素とする労働」と定義されます。具体的には、接客業全般、営業職、看護師、介護士、コールセンターのオペレーターなどが感情労働に従事する代表例として挙げられます。

定義では難しい表現をしていますが、要は自分の本当の感情とは違う感情表現を強いられる職種のことだと思っていただければわかりやすいのではないでしょうか。たとえば、飲食店の店員はよく研修などで「笑顔で接客するように」という指導を受けますが、その笑顔は必ずしも本当に心から楽しいと思って発せられた笑顔ではありません。それでも彼らは笑顔を作って店の評判を維持することが求められます。あるいは、コールセンターのオペレーターは業務上、多くの苦情を処理することがありますが、よくよく考えてみると苦情の原因を作ったのは、普通、対応をするオペレーター本人ではありません。それでも彼らは会社の代わりに謝罪をして、誠実に話を聞いているように振る舞う必要があります。このように、自分の本当の気持ちを抑圧することが職務の主要部分を構成するというのが、感情労働の特色です。

感情労働は往々にして非常にストレスフルであり、時にはバーンアウト(燃え尽き症候群)などを誘発してしまうと言われています。また、日本ではサービス業に対する要求水準が諸外国に比べて高いということもあり、それだけ感情労働の過酷さも際立っていると言えます。本当の意味での「働き方改革」を実現するのであれば、このような感情労働の今後のあり方についても考える必要があります。

そこで今回は、まず実際に感情労働に従事している人が個人として気をつけるべきこと、さらには彼らをマネジメントする立場の人間が気をつけるべきことについて考察します。また、より本質的な議論として、感情労働を巡る社会のあり方についても考えます。

過度の誠実さは、感情労働にとっては危険

身も蓋もない話ですが、感情労働には明らかに向いている人、向いていない人がいます。色々な人を観察していて思うのは、相手の立場になって真摯に対応しようという気持ちが強い人ほど、感情労働によって疲弊してしまう傾向が強いということです。逆に、仕事は仕事と割り切ってドライに自分の中で線を引くことができる人は、うまく感情労働と折り合いがつけられる場合が多いようです。

これは、一般的に言われている理想の人材像とは真逆です。たとえば、サービス業などでは「相手の立場になって真摯に対応できる人」が理想の労働者像のように言われていますし、そういう人を積極的に採用したいと考えている企業も多いはずですが、現実には適当なところで「割り切り」ができないと過大なストレスを抱え込む危険があります。それゆえ、感情労働に分類される職業に従事しようとする動機が「困っている人の助けになりたい」であるとか「お客様に感謝されたい」といったものが第一である人は、本当に自分がそれを職業として恒常的に続けていけるのかよく検討したほうがよいと思います。

世の中にある仕事は、どれも多かれ少なかれ感情労働の側面がありますが、それでも接客業や営業職ほど感情の抑圧が要求されない職業はあります。あまりにも感情労働が「向いていない」と思ったのであれば、そういう仕事から離れるというのが一番の解決策なのは間違いありません。

それでも何らかの事情によって感情労働にとどまらなければならないのであれば、必要なのはやはり線を引くことです。「ここまでは真摯に頑張るけど、ここから先は無理をしない」という基準を自分の中に持つことが感情労働の疲弊から自分を守るポイントになります。このような考え方を「妥協」だと捉えて「プロとして失格だ」と思う人もいるかもしれませんが、それは間違いです。むしろ、プロだからこそ、自分が提供できるサービスの限界を知っていると言えるのです。

時には、素の感情が出てしまってもよいでしょう。100点を目指そうとしないことが、疲弊から自分を守るひとつのポイントになります。

「抑圧された感情」をつねにモニタリングするのがマネージャーの仕事

感情労働の現場において、マネージャーの果たす役割は非常に重要です。良いマネージャーの下で働くことができれば、感情労働の心理的負担も減らす余地が生まれます。逆に、酷いマネージャーの下で働くことになると、現場の労働に加えてさらに上司との関係という別の問題を抱えて苦しむことになってしまいます。

感情労働に従事する社員をマネジメントするマネージャーに求められるのは、まず部下の「抑圧された感情」をよくモニタリングすることです。たとえば、ある部下は業務では笑顔を見せていても、実際には何か大きな悩みを抱えて苦しんでいるのかもしれません。感情労働の場合、業務上はあくまでそれらの感情を抑圧して働くことになるので、他の仕事に比べると、こういった部下の本音の部分が見えづらくなります。それをいかにうまくモニタリングできるかが、マネージャーの腕のみせどころです。

ポイントは、感情労働の現場を離れて、部下との信頼関係を築くことができるかどうかです。顧客の前では感情を抑え込んで働いていても、マネージャーの前では隠さずに自分の素の感情に基づいてものが言える関係が築けていれば、部下の問題を発見することは容易です。そのためには、日頃からの対話が重要です。一見、何も問題は起こっていないように見える場合でも、部下と対話する時間を定期的に設け、問題発見に努めるべきでしょう。

最悪なのは部下とマネージャーの対話自体が感情労働になってしまうことです。仮に、部下が上司と接する際に感情を抑圧して本音を隠し、上司もそれを当然だと思って受け止めるという関係が築かれたとすれば、それは感情労働そのものです。皮肉なことに、これは多くの会社で起こっています。もちろん、お互い立場があることなので上司と部下が100%本音で話し合える関係を築くのは現実的ではないのかもしれません。しかしそれでも、ある程度本音に沿った形で問題を話し合える関係を構築できるように、マネージャーは努力すべきでしょう。

過度の感情労働を求める社会は正しいのか

最後に、もう少し視点を引いて、感情労働と社会のあり方について考えてみたいと思います。ここまでは感情労働を「現実にあるもの」として受け入れてきましたが、そもそも働き手が過度の感情労働を求められる社会というのは良い社会なのでしょうか? 僕はこの点に疑問を持っています。

「おもてなし」という言葉で表現されるように、日本のサービス業の水準は諸外国に比べて非常に高いと言われています。たしかに、海外旅行で現地の飲食店の乱暴な接客などに触れると「笑顔ぐらい見せてほしい」と思ってしまうこともありますが、よく考えてみると実は笑顔を見せない接客のほうが普通であって、日本の方はやりすぎだとも考えられます。

高級飲食店で無愛想な対応をされたというのであれば怒る気持ちもわかりますが、ファストフード店やチェーンの喫茶店などで店員に「サービスが悪い」と詰め寄るのは果たして正しいのでしょうか。日本ではこれまで価格帯に関係なく高い水準のサービスを提供し続けてきたということもあり、低価格でも高いサービスが受けられるのは当然だと受け止めている消費者が数多くいます。しかし、その負担はすべて感情労働に従事する現場の労働者に行っているということを忘れてはなりません。この代償を消費者が理解して、サービスの要求水準を下げることができれば、感情労働の苦しみは社会的に緩和されるはずです。

そのためには、サービスを受ける側がサービスを提供する側の気持ちになってみることが必要です。また、サービス提供側も、過度の要求には強くノーと言うケースを増やしていく必要があるでしょう。最近はサービス業などを中心に人手不足が深刻化していますが、これは裏を返せば、現在の過剰サービスを見直す好機だとも言えます。

疲弊したとしても過剰なサービスが必要とされる社会が本当に良い社会なのか、それとも多少はサービスの質が下がっても健全に働ける人が多い社会のほうが良い社会なのか、ぜひ考えてみてください。


photo by Jeff Eaton

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日野 瑛太郎

ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)などがある。

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