【前編】名物TVプロデューサー“T部長”が誕生するまでの苦難の道のり・土屋敏男(テレビプロデューサー)

失敗ヒーロー!

2018/02/27
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諦めなければ出口は見つかる

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――逆に言うと、そのロケが失敗してたら、土屋さんはお笑い番組を制作することを諦めていたかもしれないですね。

土屋:テレビ局を辞めてたかもしれない。でもね、俺、本当に諦めだけは悪いんだよ。その後も何度も悔しい思いをして、枕を涙で濡らす時があったんだけど、諦めはしなかった。ただ、怖いよね。トンネルで例えるとさ、最初からこれはトンネルだってわかっていれば、いつかは出口が見つかるから安心なんだよ。でも、これは終わりのない穴かもしれない。最後まで行って、壁に突き当たる可能性もある。バラエティを作るっていうのはそういう感覚なんだ。トンネルを抜けるまでわからないっていうか。

――その「抜けるまでわからない」って感覚は今でもありますか?

土屋:今は、いつトンネルから出られるかわからないけど、必ず出られるっていう自信がある。諦めなければいつかは出口が見つかるってわかってきたんだ。諦めるか諦めないかだけだもんね。それは何においても一緒だと思う。若い頃は、先が見えないことへの不安を抱えるもんなんだ。でも、自分を信じて、他人に任せないで、先へ先へと進めば、必ず抜け出せる。成功したければ、諦めて引き返さずに、出口だけを目指すこと。寄り道をしてもいいけど、回れ右だけはしちゃダメなんだ。この年になって、そのことがようやくわかってきたよ。

――『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でバラエティ番組の作り方を学んだ後は、うまくいったんですか?

土屋:そうでもないんだよ。自分で企画した番組はどれも視聴率は1〜3%くらいで。自分でプランニングしたものがボロボロなんだ。欽ちゃんを司会に据えたゴールデン番組も6回で打ち切り。大御所を使えばいいってわけじゃないんだな、と。

その結果、編成にもう一回戻らされた。年齢で言えば、33歳。人の下では何かできるけど、一本立ちしてヒット番組を作れるわけではないんだって、やっぱりバラエティ番組を作る才能はないんだって、思い知らされた。そして2年後、制作に戻って『電波少年』をやる時に、自分が面白いと思うものを最後にやって、ダメなら辞めようっていう覚悟でやるわけだ。アポなしで危ないところに突撃する企画だったり、渋谷のチーマーを更生させたり、「俺は今、これが面白いと思ってます」ってことを形にしてみたんだ。そうしたら意外や意外、当時の中高生に熱狂的にウケた。あれ? 俺が面白いと思うことは他人も面白いと思ってくれるんだって、その時、再発見することになるんだ。

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後編では…

決して順風満帆なディレクターデビューを飾ったわけではない土屋さん。初めて担当したバラエティ番組では、失敗の連続。ディレクターとして失格の宣告を受けます。しかし、土屋さんが挫折を乗り越えることができたのは、見えないトンネルを突き進む「諦めの悪さ」があったから。この「諦めの悪さ」こそが、土屋さんの今に至るまでの原動力となるのです。『失敗ヒーロー!』第11回目の後編では、大ヒット番組『電波少年』について、またいかにして「今ないもの」を作り上げるのか、土屋さんのビジネス哲学について語っていただきます。

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