太田光の「憧れ力」を褒め足りない。

現代偉人論 その8

2017/07/24
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爆笑問題の太田がテレビで、ラジオで、今日も不謹慎なことを言って、相方の田中に「やめなさい」とたしなめられている。二十年近く見てきた光景だ。不謹慎といっても、不祥事をおこした芸能人の名前を無意味に出すくらいのもので、忌野清志郎のように生放送中に放送禁止用語を叫ぶわけではない。不祥事をおこした芸能人を否定するわけでも肯定するわけでもないことは、その無邪気な顔つきから分かる。その人物に触れてはいけない空気、同調圧力にたいして、わざわざ挨拶をして茶化しているだけで、要するに遊んでいるのだ。爆笑問題の太田光は、テレビやラジオに出演することを「仕事」だと思っていない。では、彼にとっての「仕事」とは何だろう。

「漫才のネタ作り」と「原稿書き」は、俺の仕事のなかでは、ちゃんとしてる仕事だと思う。
とくに、原稿書きは一般の人で言う「休日」に書いているから、余計にその思いが強い。テレビやラジオの収録のない日が1週間のうち1日ぐらいあるんだけど、その日を使って書いている。これがまぁ、書き終わるまでは本気で憂鬱だ。
(太田光『今日も猫背で考え中』講談社+α文庫、2016年、5頁)

「漫才のネタ作り」と「原稿書き」。
今回は、この二つの創作行為から、太田光の「憧れとの距離の取り方」をみていきたい。憂鬱になるほど彼が本気で向き合っているのが、「漫才のネタ作り」と「原稿書き」という仕事で、それぞれに憧れの存在がいる。偉大な先輩に憧れながら、どう自分なりのオリジナリティを獲得していくのか。それは何かの表現を志す者にとって、永遠の課題でもある。

太田光にとって、憧れの芸人は、なんといっても「ビートたけし」だろう。彼が休日に「漫才のネタ作り」をしている理由も、ビートたけしと関係がある。さきほども引用した『今日も猫背で考え中』というエッセイ集は、もともと『しごとのはなし』というタイトルで発売されていたもので、太田光の「仕事哲学」がいくつも披露されているわけだが、「ビートたけし」については、こんなことが語られている。

なぜ漫才を続けているかと言えば、たけしさんの影響が強いように思う。
これはネタのスタイルうんぬんの話ではなくて、「ツービートは漫才を続けていない」ということに対してだ。俺は、芸能界に入った頃から「若い時期のたけしにそっくりだ」と言われていた。たけしさんに憧れてこの世界に入っていたから、その指摘は的を射てるんだけど、一方で「俺は一生、たけしさんの亜流でい続けないとダメなのか?」との思いもあるじゃない? 事実として、ツービートは漫才をやり続けていない。だったら、爆笑問題が漫才をやり続けるのはたけしさんの亜流ではないということ。そんな思いが2ヶ月に一度のタイタンライブで、俺をマイクの前に立たせ続けてきた。
(同、65頁)

憧れの存在から、どう距離を取り、どう乗り越えるのか。一つの答えがここにある。太田光が漫才を続ける理由は、「ビートたけし」が漫才をもう続けていないからで、彼が休日に漫才のネタ作りをするのも、そのことで本気で憂鬱になるのも、そうしないと「ビートたけし」を乗り越えることができないからなのだ。

では、太田光を憂鬱にさせるもう一つの創作行為、「原稿書き」についてはどうだろう。文筆家・太田光の仕事を知るには、テレビ雑誌『テレビブロス』で20年以上続いている「天下御免の向こう見ず」という連載を読むのが一番だ。

政治を語ることに関しては、『テレビブロス』の連載で30代の後半から実験的に続けていた。あの連載って、反響が少なくてガッカリすることもあるんだけど、俺にとっては常に一番新しいことを試せる場所でもあって。
(同、97頁)

芸人・太田光がテレビで政治番組を開始したのは、彼が40代に入ってから。つまり文筆家・太田光のほうが先に変化しているのだ。政治についてのエッセイを『トリックスターから、空へ』という本にまとめたのち、太田光は同じその連載で「物語」を書くようになった。これが短編集『マボロシの鳥』へとまとめられ、小説家・太田光が誕生することになる。

それでは、太田光は、どのような小説家の影響をうけてきたのだろう。
彼の所属事務所である「タイタン」は、アメリカの小説家カート・ヴォネガットによる長編作品「タイタンの妖女」からとられている。ここから分かるのは、実は芸人・太田光の心を支えているのが小説作品だということで、ほかにも宮沢賢治や太宰治については、小説家デビューする遥か前から、様々な媒体で書いてきている。

しかし「憧れとの距離の取り方」という点に注目していくと、原稿を書く際に一番、太田光が気にしているのは、向田邦子の存在だろう。向田邦子はテレビドラマ『阿修羅のごとく』や『寺内貫太郎一家』などの脚本で知られ、小説家としても短編集『思い出トランプ』で直木賞を受賞している。1981年の飛行機事故により51歳の若さでこの世を去ってしまった彼女の全集の解説を、太田光が書いていて、その原稿は『向田邦子の陽射し』という文庫本にまとめられている。向田邦子には「かなわない」。痛いほど太田光の気持ちが伝わってくる名解説がいくつもあるなかで、もっとも大切なことが書かれているのは、この箇所だろう。

自己表現とは、自分を表すことではなくて、自分を消すことだ。表現における自由とは、不自由を受け入れることだ。本当の自由とは、自由と決別する覚悟をすることだ。その覚悟が相手を守り、自分を守るのだ。
向田邦子は、少女の頃から、それを知っていたのだと思う。私のようなものにとって、本当に恐ろしい表現者とは、こういう人だ。本当の天才とは、こういう人だ。「表現しない」という覚悟。「言葉にしない」という覚悟。向田さんの沈黙には、いつも、本当に震える。
テレビその他で私を知っている人にはよくわかると思うが、私には、これが絶対出来ないという自信がある。トホホ。
(太田光『向田邦子の陽射し』文春文庫、2014年、38頁)

太田光が向田邦子に憧れる理由が、すべて書かれている。自分には出来ない、「表現しない覚悟」や、「言葉にしない覚悟」を、自分は持ちあわせていないと、彼がそう書いたのは、2009年のこと。デビュー小説の『マボロシの鳥』は2010年に発売されている。文庫版の「あとがき」を読むと、まるで向田邦子のように言葉を飲み込みながら作品を書いていたことがわかる。

物語を書こうと思った頃。私は“太田総理”や連載のエッセイ、ラジオなどで、“太田光自身”を剝き出しにしたストレートな言葉で思いを表現することしかしていない自分にウンザリしていた。「何と芸のないことをしてるんだろう」と。まあ、それほど大げさなものでもないのだが、ある意味行き詰まっていた。だから今度はそういう“思い”を直接語るのではなく、物語に変化させて、自分を後ろに引っ込めて表現してみたいと思っていた。そうしてこの小説集はそのつもりで、“詠み人知らず”の物語として成立させたつもりだった。しかし実際の反応は真逆の感想が多かった。
(太田光『マボロシの鳥』新潮文庫、2013年、358−359頁)

向田邦子のような「沈黙」は出来ない、と言いながらも、自分を消すことに挑戦する姿勢。そこにしか「憧れの存在」を乗り越える方法はない。挑戦して、失敗して、次があるのだ。小説家としての太田光の向上心はすさまじい。次作となった『文明の子』でも、自分を抑える挑戦は続き、『マボロシの鳥』の書評などで指摘された「説明しすぎ」「オチがつきすぎ」という部分についても、注意したと語っている。

2017年の今、太田光が前作を出してからすでに5年が経っている。向田邦子をリスペクトしすぎて小説家として「沈黙」しているのかと言えば、そうではない。太田光のもっとも新しい実験の場所である『テレビブロス』での連載を読むと、彼が「風刺小説」を書き続けていることがわかる。デビュー小説のもととなったストレートな短編小説たちは、まさにこの連載で書かれたわけだが、2009年より掲載される物語の作風が大きく変わり、「ウサギネコ」というキャラクターが登場するドタバタ風刺コメディが書かれるようになった。たとえばSMAPの解散が報じられた2016年の1月には、「あれから僕たちは」というタイトルの小説を掲載している。

ウサギネコを追いかけてきた四人の男達が行き着いた先に一人の男が立っていた。ウサギネコは男の横を通り過ぎて先へ行ってしまった。「……ったく、遅ぇんだよ」茶色のダウンジャケットにジーンズという検事としては風変わりな格好の男は振り向き、四人を見て笑った。「これからどうする?」
(『テレビブロス』東京ニュース通信社、2016年、1月30日号、98頁)

この小説に、意味があるかは分からない。「ウサギのように耳は長いが顔は完全にネコのウサギネコ」がSMAPメンバーそれぞれの代表作のキャラクターと会話をするドタバタ風刺コメディだ。意味はないのかもしれないが、太田光が新しいモードに入っていることは、よく分かる。

東京オリンピックの「エンブレム問題」が勃発したときには、「ウサギネコ」がマスコミからパクリ疑惑を追求される物語が掲載された。記者会見に挑んだウサギネコは、バックスバニーやミッフィー、キティちゃんの盗作ではないかとマスコミに問いつめられる。そこでウサギネコは、記者たちが大勢うつった写真を取り出し、反撃に出るのだ。

「ケケケ、オリジナリティ? 国の恥? おまえらこそそっくりだニャ。いつも誰かを持ち上げて、そのあと集団でたった一人をこれでもかって引きずり下ろすニャ。み〜んなおニャじ服着て、おニャじ顔して、…ケケケケ」
(『テレビブロス』東京ニュース通信社、2015年、9月12日号、98頁)

向田邦子の「沈黙」に憧れていた頃とは、変わり果てた小説家・太田光の姿がここにある。自分を消すのではなく、「ウサギネコ」という、わけのわからない存在に気持ちをたくして社会を風刺している。このような風刺小説を、向田邦子が書くことは、きっとなかっただろう。太田光にとって、そこが大事なのではないだろうか。「ビートだけし」が漫才を続けていないから爆笑問題で漫才を続けているように、小説家としての「憧れの存在」を乗り越えるために、向田邦子が書かなかったであろうことを書く。そのような挑戦を太田光は今、続けているのではないだろうか。


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髙畑鍬名(たかはた・くわな)

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