2017/06/28 公開

リリー・フランキーの「あぶり出し力」を褒め足りない。

現代偉人論 その7

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人生で最も憂鬱だった夕方をリリー・フランキーに救ってもらったことがある。二年間の同棲が破局を迎え、借りていた部屋を引き払ったその直後、何をしていいか分からなくなって入った本屋で、『リリー・フランキーの人生相談 』という本を手にとった。現在も「週刊プレイボーイ」で連載されている人生相談を、2009年に単行本化したものだ。連載が始まったときから毎週たのしみに読んでいた人生相談を、あらためて45人分、まとめて一気に読み終わると、私は明るい気持ちになっていた。みんな悩んでる。俺もつらい。でもリリー・フランキーがいる。勇気をだせば、いつかリリー・フランキーが話を聞いてくれるかもしれないんだ、もうちょっとクヨクヨ悩んでいよう。

そんなことを思っていたから、リリー・フランキー本人がその連載が始まった当初、鬱気味だったことを知ったときは驚いた。2006年の本屋大賞を自伝小説『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 』で受賞したことにより、リリー・フランキーの知名度は一気に上がったわけだが、その影響によって鬱々としていた時期を振り返って、彼は「印税分は嫌なことがあった」と、2009年に行われたインタビューで語っている。200万部を越えるベストセラーだ。どれだけ嫌なことがあったのだろう。

鬱にならない人って、自分はいいものを書いているつもりで、「寒くなったな、あいつ」って言われてるのを知らないまま一生生きてく。そんな人、いっぱいいるでしょ。二〜三年ちょっと鬱状態になって仕事も滞った人のほうがまだバネがつくと思う。
(吉田豪『サブカル・スーパースター鬱伝 』徳間文庫カレッジ、2014年、21項)

幸せだよね。テレビ出たいとか、売れたいとかの人だったら。だから、鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持っている人じゃないと、俺は友達になりたくないから。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。
(同前、32項)

リリー・フランキーが真面目に語っている。そう、彼は仕事について語るとき、異様に真面目なのだ。ずいぶん真面目に語っているものの〈鬱が大人のたしなみで、鬱状態になって仕事も滞ったほうが、次の仕事へバネがつく〉という前向きな意見は、一般的な「鬱」の捉え方と相当ズレているだろう。しかし、この「ズレ」こそがリリー・フランキーなのだ。

世間一般の常識にとらわれずに、ズレた感性のまま書いた文章が評判となって、リリー・フランキーはまずコラムニストとして知られるようになる。そこからいつの間にか日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞するほどのメジャーな俳優となり、今では日本映画に欠かせない存在となっている。独特な世界観をもつ彼が、世間からズレたまま、真面目なのか不真面目なのか分からないまま、謎めいた存在としてお茶の間に存在し続けているのだ。これは本当に奇跡的なことだと思う。そんなリリー・フランキーの「仕事哲学」とは、どのようなものだろう。

全部食えないから仕事だったら何でもやりますよというので始まっただけで、全然多才でもマルチでもない。でも、ある程度年をとって新しいことやるのを恥ずかしいとも怖いとも思わなかったから、色々やらせてもらえた。
(『文藝 2002年春季号』河出書房新社、46項)

これは、2002年に「謎のマルチ・アーティスト」として文芸誌『文藝』に特集された38歳のリリー・フランキーが語った言葉。ポイントは「ある程度年をとって」という箇所だ。たとえば、リリー・フランキーが初めて映画に出演したのは2001年に完成した主演作『盲獣VS一寸法師』で、彼は撮影時35歳だった。監督は、高倉健の代表作『網走番外地』をはじめとするメジャー作品から数多くのカルト映画を監督した奇才・石井輝男。演技経験がないにもかかわらず、そんな石井輝男からの出演依頼(しかも主演!)を引き受けてしまう35歳。しかも理由は、石井輝男の「現場」を見たいから。真面目なのか不真面目なのか、俳優としてのキャリアの出発からしてリリー・フランキーは「ズレている」のだ。というよりも、むしろ普通の俳優からズレているところに彼の魅力があったようだ。初めての映画出演を終えて、憧れの奇才・石井輝男に言われた言葉を、リリー・フランキーは様々なインタビューで答えている。

で、芝居なんて、やりかた全然わからなかったのに、終わった後に石井さんが「もう一回、一緒に映画やろう。リリーさんはお芝居がうまい」って言ってくれたんです。「どうしてですか」って聴いたら、「きみはセリフがうまく言えなくても、僕がOKっていったら、涼しい顔で楽屋に帰っていったよね。それでいいんだ」って。「監督ってのはね、撮影しながらね、このシーンいらないなとか、ここは編集でとっちゃうかとか思ってるものなんだ。君は僕を信じてくれてるんだな。だからもう一度やろう」って。
インタビュー リリー・フランキー (「FREE PAPER dictionary」)

同じインタビューのなかで、自分のことを「役者ではない」と語るリリー・フランキーは試写で出演作を見るときでも、自身の演技について気にすることなく、映画コラムを書いていたときのように「観るプロ」として客観的に観ることができると語っている。監督がOKを出してもリテイクを願い出る俳優や、最初の試写では自身の芝居が気になって冷静に出演作を観ることができない俳優が少なからずいるなかで、リリー・フランキーの俳優心理の「ズレ」っぷりは異様とも言える。

イラストレーター、コラムニスト、カメラマンなど、多くの肩書きをもつリリー・フランキーは、それらを独学で試行錯誤しながら会得してきた。それゆえに彼はそれぞれの現場の常識からズレていて、そのズレがエネルギーになるのだろう。仕事をしていて一番テンションが上がるのは、新しい仕事を始めて、ルーキーとして現場にいるときだと語っている。そんな「ズレ」まくりのリリー・フランキーだが、一つだけ、ズレていないことがある。

うーーん、絵を書いていても、文章書いていても、お芝居をしても、楽しいと思ったことないんです。
(略)
でも、長く原稿とか書いてると「あ、いいものが書けた」って思えるのはほんの一瞬で、もうその後はずっと苦しい…。だから無責任な仕事に行きゃ行くほど楽しいですよ。無責任なトークショーとか、みんなでオナニーについて話そうみたいなテーマだったら、ただ楽しい。でもね、いいものを作ろうと思ったら、苦しいもんですよ。
「あ、楽しい」と思える一瞬のためにずっと苦しんでる 」(「ニューヨークビズ!」)

どの仕事も楽しいと思ったことがない。そんな発言をすれば、普通は非常にネガティブな意見に聞こえるはずだ。リリー・フランキーではどうだろう。「あ、いいものが書けた」と一瞬だけ思って、あとは苦しい。でも、やる。楽しくなくても、苦しくてもいいから、いいものを作りたい。暗いようで明るい、なんて前向きな意見だろう。そしてなによりも、「いいものを作りたい」という一点でのみ、リリー・フランキーはズレていないのだ。様々な仕事をしてきて、いいものを作るには苦しいことを知ったうえで、それをやり続ける覚悟は、ズレてもいないし、ブレてもいない。

では、いろんな現場で、それぞれの常識からズレ続けながら、いいもの作ろうとするリリー・フランキーが、謎めいた存在のままお茶の間に存在し続ける理由はいったい何だろう。俳優としてのリリー・フランキーも、もはやルーキーではない。15年ぶりの単独主演映画として2016年に公開された『シェル・コレクター 』でのインタビューから、そのヒントを垣間見ることができる。

純文学とエンターテインメントの違いはダーツにたとえるといちばんわかりやすいと言われたりします。エンターテインメントというのはダーツの真ん中の「ブル」に当てつづけること。純文学っていうのは真ん中のブルの周りにダーツを射しつづけることで真ん中をあぶり出すこと。世の中の人間を描いたもの、恋愛や家族を描いたものっていうのは、ダーツの真ん中を狙いがちですが、この作品はそこ(真ん中)に当てない。小説で言えば純文学。映画で言えばカルト映画です(笑)。とはいえ、物語を見るためだけに映画があるわけではないと思うし、だから、こういう映画もなきゃいけないと思うんです。わけがわからなくても、なぜか頭のなかにずーっと残ってる。そして、知らないうちに(劇中の)一言を思い出すような映画ですよね
「シェル・コレクター」公式ホームページ

ダーツの真ん中を狙うのではなく、真ん中をあぶり出すために「周り」を狙い続ける。これはどんな仕事をしてもその現場の常識からズレまくってきたリリー・フランキーそのものだ。つまり、売れたいわけでも、テレビに出たいわけでもないのに、リリー・フランキーがわざわざテレビに出てお茶の間に身を晒すのは、彼が純文学的な、カルト映画的な文化を守りたいと思っているためではないだろうか。真面目なのか不真面目なのか分からないまま、謎めいた存在としてテレビや映画に出演し、真ん中をあぶりだすように、リリー・フランキーは「メジャーなカルト俳優」という矛盾を引き受けている。メジャーなカルト俳優であり続けることで、これまで愛してきたカルト映画的な文化をこれからも存在させ続ける、そんな使命感をリリー・フランキーは心に秘めているように思う。

鬱が大人のたしなみで、いいものを作ろうと思ったら苦しいということを、彼は全身全霊で教えてくれている。苦しみ方を教えてくれるというのは、本当に偉大な先輩にしかできないことだ。いいものを作るために、苦しむ覚悟はあるか。リリー・フランキーの仕事にふれるたびに背筋が伸びる。


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髙畑鍬名(たかはた・くわな)
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