宇多田ヒカルと椎名林檎の国語力を褒め足りない

現代偉人論 その4

2017/03/28
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「なんだって勉強だ」

昔は親や教師が、今では上司が、そんなことを言う。
それはその通りなのだろう、なんだって勉強だ。
カラオケで2度、そう実感したことがある。

俺はそのとき高校三年生で、秋には毎日、学校の自習室で勉強していた。ふだん使われていない教室に机を並べただけの自習室は、友人たちのたまり場だった。俺も予備校に行く時間が来るまでは、そこで問題集を解いたりしていた。

ところが、その日は、みんなで一時間だけカラオケに行こうという流れになった。俺は狂ったように頻出漢字をノートへ殴り書きしている最中だった。マジかよと思いながらノートをリュックにしまい、本当はここで漢字対策をしていたいのに、みんなと一緒に自習室を出る。ノリが悪いと思われるのが嫌だから、まだ秋の初めなのにもう本気で勉強してる冗談の通じない奴だと思われるのが嫌だから、自転車をこいで駅前のカラオケに着いてしまう。

このカラオケ、絶対に一時間じゃ終わらないだろうから、俺は予備校があることにして早めに出よう、そう思いながら、壁に貼ってある注意書きや、履歴に残っている歌のタイトルを睨みつける。そこに書かれた漢字を覚えたい。さっき自習室で取りかかりかけた頻出漢字対策の続きというか、悪あがきで、カラオケの部屋にあるすべての漢字で、せめてもの勉強をしようと思った。でも、どこにも勉強になりそうな難しい漢字は見当たらず、これじゃあ勉強に全然ならない。

友人たちが次々に歌い始めると、俺は漢字の書き取りのつもりで、テレビ画面に流れていく歌詞を頭のなかに書きつけていく。すると、誰かが椎名林檎の「ここでキスして。」を歌った。

〈あなたの長い睫毛も其の華奢で大きな手も全部大好きなの〉

大ヒット曲、みんなで歌うサビにさしかかって、急に漢字が難しい。「睫毛」も「華奢」も、読めるけど、サラッと書き取るにはレベルが高い。そう思った。

「現代文」の設問では、本文の一部がカタカナになっている。その部分の漢字を書きなさい、というのが書き取り問題の定番だが、もし、「マツゲ」、「キャシャ」というのが問題だったら、きっと書けなかっただろう。

「ここでキスして。」を歌った友人が、次に選曲したのは東京事変の「群青日和」だった。他の歌手の歌詞にも注意を払っていたが、ふたたび椎名林檎ということで、頭のなかで強くペンを握りしめた。

〈「泣きたい気持ちは連なって冬に雨を齎している」と、云うと〉

ちょっと待ってくれ、難しすぎて、頭のなかに書き取ることができない。そう思っているうちに、次の歌詞が表示されてしまう。驚いた。「もたらしている」は、あんな漢字を書くのか。なんという画数なんだ。

たしかに、なんだって勉強だな。

高三のときにカラオケで、強い実感をともなって、そう思ったわけだが、今、手元にある漢字検定のための辞書で確認すると、「睫」も「奢」も「齎」も、漢検1級レベルに相当する漢字だとわかる。

漢検1級というのは、約6000字の漢字を読み、書き、活用できるレベルのことを指す。高校卒業レベル、および常用漢字をすべて活用するには2136字の漢字を使いこなせる必要があって、それが漢検2に相当する。

皮肉にも、ここじゃ勉強できないじゃないかと思ったカラオケで、漢検・最難関レベルの漢字に出くわしていたことになる。椎名林檎の歌を誰かがカラオケで歌うだけで、知らず知らずのうちに漢字の勉強になるなんて、学校では教わらなかった。

なんだって勉強だ。

ふたたびそう実感したのは、出版社の採用試験を受けていたころのこと。語学教材を作っている会社のエントリーシートに、「ことわざ」にまつわる書籍の企画書を書くお題があって、締め切りの二日前まで書きあぐねていた。

大きな書店にいって「ことわざ本」を調べてみると、思ったよりも数があった。手にとってパラパラ読んでみる。何も妙案は思いつかない。どうしたものか思いあぐね、一人でラーメン啜っていると大学の友人から連絡があり、これから数人でカラオケとのこと。締め切りはまだ二日後だ、気晴らしに歌うのもいいかもしれない。

カラオケに到着するやいなや、今日は「宇多田ヒカルしばり」だと告げられる。上等だ、じゃあ俺は「traveling」を。そう思って履歴と予約曲を確かめると、次にもう誰かが歌うことになっている。「COLORS」も次の次に入っていて、なんの曲を歌おうか迷っているうちに「traveling」のイントロが流れだした。友人が歌い始めると、冒頭で急に「ことわざ」が耳に飛び込んでくる。

〈仕事にも精が出る 金曜日の午後〉

歌い出しに「精が出る」という慣用句を持ってくる度胸がすごい。宇多田ヒカルって変わってるよなあ、しみじみ思っていると、もう次の曲。「COLORS」のイントロが流れだして、今度はサビで耳を疑った。

〈オレンジ色の夕日を隣で見てるだけで
 よかったのにな 口は災いの元〉

サビのなかに、とても自然に「ことわざ」が埋め込まれている。しかも、口は災いの元、というのは、ややダサめのことわざじゃないか。どうなっているんだ。興奮しつつ、その後のカラオケも、ことわざに注意して宇多田ヒカルの歌を聴いていると、どんどん出てくるのだった。

「笑う門には福来る」/(Fight The Blues)
悪気の無さが「玉に傷」/(蹴っ飛ばせ!)
基本世の中は「弱肉強食」/(虹色バス)

その場でスマホに、「声に出して歌いたい日本語」という企画をメモった。宇多田ヒカルは意識的に「ことわざ」を歌詞に取り入れているはずだ。他のアーティストの曲でも、宇多田ヒカルほどではないにせよ、ことわざが入っている歌詞はあるだろう。そういった曲を集めて、ことわざの本をつくるのは、どうだろう?

と、企画書をこしらえることに成功したのはいいものの、採用試験的には、あえなく書類審査で落ちてしまった。くやしかったので、この一連の出来事をよく覚えている。

だから今ここで、あらためて宇多田ヒカルの「国語力」を讃えたい。

少なくとも俺にとって、ことわざ、慣用句、そして四字熟語なんてものは「国語」の先生や親が口にするもので、ダサいイメージがあった。とてもじゃないけど、自分が使いたいと思う種類の日本語ではなかった。でも宇多田ヒカルは、これ以上ないくらい魅力的なメロディを、ことわざに与えてくれたのだ。ダサいと思っていた言葉の、新しい一面を引き出してくれた宇多田ヒカルは、最高の「国語」の先生だと思う。

「なんだって勉強だ」

昔は親や教師が、今では上司が、そんなことを言う。その通りだと今では思う。だから子供や生徒や部下がカラオケにいくことを、勉強だと認めてほしい。思えば、カラオケというのは大量の日本語を「ふりがな」つきで浴びる場所。そして椎名林檎や宇多田ヒカルの歌をカラオケで歌うだけで、確実に「国語」の勉強になるわけだ。椎名林檎も宇多田ヒカルも偉大なる「国語の先生」だと思う。

ところで、2016年に発売された宇多田ヒカルの最新アルバム『Fantôme』には、宇多田ヒカルと椎名林檎が共作した曲が入っている。そのタイトルは「二時間だけのバカンス」、もちろん「ことわざ」が登場する。そして例によって、サビに出てくるのだ。そんなアーティストが、これまでにいただろうか。

〈朝昼晩とがんばる わたしたちのエスケープ
 思い立ったが吉日 今すぐに連れて行って〉

ダサいことわざに、最高のメロディ。日本屈指の「国語の先生」たちのコラボレーションに感謝する。そして俺たちも思い立ったが吉日、なんだって勉強だって、胸はって遊びに出かけよう。


photo by hiroaki maeda

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髙畑鍬名(たかはた・くわな)

映画監督。監督作『FUCK ME TO THE MOON』がDMMにて配信中。タイトルが気になった方は、ぜひチェックしてみてください。→http://www.dmm.com/digital/cinema/-/detail/=/cid=5492moosic00002/