世界一高い10万円のコーヒーに500万円のカップ。コーヒー専門店「ザ・ミュンヒ」が実践する驚きの経営術 | マネたま

世界一高い10万円のコーヒーに500万円のカップ。コーヒー専門店「ザ・ミュンヒ」が実践する驚きの経営術

「働く」を考える。

2018/02/01
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一杯10万円のコーヒーをご存じでしょうか?

1.5kgの豆からたった100ccだけを1時間かけて抽出するコーヒーを、さらにオーク樽に詰めて20年間熟成させた「熟成樽仕込み氷温コーヒー20年物」です。そんな凄まじいコーヒーを出しているお店が、1981年創業の大阪府八尾市の名店「ザ・ミュンヒ」。

このお店、すごいのは一杯10万円のコーヒーだけじゃありません。店内にある食器は数百万円もするマイセンや、伊万里焼、バカラなど博物館クラスのものも含む高級品だらけ。

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▲10万円のコーヒーを寝かせているオーク樽

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▲カウンターにあるショーケースには、バカラなどの高級なグラスが並ぶ

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▲1730-40年ごろに作られたという「染付金彩花鳥文カップ&ソーサー」。お値段なんと500万円

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▲10万円のコーヒーはこの500万円のカップに注がれる

もう何から何まで破格のこのコーヒー店は、いかにして生まれ、そして経営されているのでしょうか? 一歩足を踏み入れれば、そこはまるで時が止まったような不思議な空気の流れる「ザ・ミュンヒ」店内にて、マスターである田中完枝(たなか かんじ)さんにお話を伺いました。

3年間で“1800万円”貯金したアルバイト時代

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――このお店「ザ・ミュンヒ」を開くまでは何をしていたのでしょうか?

学生時代は国分寺の牛乳屋さんで配達のアルバイトをしていて、そこで3年かけて250万円を貯金したんですよ。今の価値でいう1800万円くらいかな(※)。学生運動で逮捕されたりして、まじめな大学生ではなかったけどね。

※編集部注:田中さんが牛乳屋でアルバイトしていたのは1963年~1967年頃。当時の大卒初任給は3万円ほどである一方、2012年では20万円ほど。現在とはおよそ7倍の差がある。(出典:年次統計

――1800万円!?

毎月の給料をたくさんもらっていたから。でも自分で持っていたら使ってしまうから、大阪の実家に書留で送って貯めてもらってたんですわ。5千円(今の3万5千円)くらい残して。

住み込みだったから食費もいらないし、それで生活できたんですよ。それに当時は牛乳瓶を拾って帰ってくると1本10円で売れたから、20本で 200円(今の1400円)という感じで、良い小遣いになってたね。とにかくお金貯めて、小説や詩を書く時間を作りたかったんですわ。

――そもそもどうしてそんな大金を稼げたんですか? 労働量が多かったとか?

そう。朝も昼も夕方も配ってたから。1件の配達で3円。それを1000件周って1日で3千円。それを30日で9万円(今の63万円)。それに新しい契約を1件取ったら拡張手当が出るんやけど、弁が立ったおかげで手当だけで毎月2〜3万円くらいもらってたね。だからトータルで13万円(今の100万円)くらいはもらっていたかな。そこで手元には5千円しか残さないで貯金するから、そりゃ貯まる。牛乳屋じゃなく新聞配達だと月9千円くらいしかくれないから、食べてはいけるけど時間が足りなくなっちゃう。

――すごい……。そうして牛乳屋さんのアルバイトでお金を貯め、次は何をしていたのでしょうか?

そこで貯めたお金を持って大阪に帰ってきたんですわ。こっちで牛乳屋を買い取って、経営側に回ってね。それを10年くらい続けて、最後には店を2軒持ってたんだけど、その営業権を売って、このお店を開いた。

1杯10万円という「変態的」とも言えるコーヒーが生まれるまで

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――「ザ・ミュンヒ」を開店するきっかけは?

バイクが好きで、持っているバイク「ザ・ミュンヒ」(世界に5台、日本に1台しか無いという)を人に見せたかったのがきっかけの一つですね。もちろんコーヒーも好きだったけど、できるだけ働かないようにして時間を作って、詩や小説を書きたかったから。

――経営は順調でしたか?

15年間、毎晩満員で、二人の子供を育てて大学に行かせることができましたわ。その頃は今と違ってコーヒーの値段も安かったから、高校生や大学生の溜まり場になってね。まあ、その時の儲けが食器に化けていくんやけどね。今ある食器も家具もオープン当時にあったものじゃなく、後から買ったものなんですよ。

――えっ、当初は今のような高級なコーヒーではなかったんですね。コーヒーの値段を上げていった理由は?

暴走族のたまり場として他の人たちは寄り付かなかったし、その子らが来なくなったらあかんと思って、その子たちがいる頃からコーヒーをグレードアップしていったんですわ。

あとコーヒー屋として、銀座の「カフェ・ド・ランブル」に衝撃を受けてね。あの店を超えるのが目標だったんですよ。でも、同じことをしてもそこで終わってしまうから、違うことをしようと。勝つための方法を考えた結果、答えは一つ。「時間」だった。

――時間?

どこの店も5分でコーヒーを作るのが基本だし、それは「カフェ・ド・ランブル」もそう。でも、そこに30分や1時間をかけてみたらどうなるだろうと。すると、おいしくなることが分かった。でも、商売としては成り立たなくなる危険性が高い。

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――一杯にそんなに時間をかけていたら回転率も悪くなりますし、安く提供することもできないですよね。

そう。でも「商売にならないようなこと」を商売にできれば、なんでもできるとも思った。それで僕のところは一杯を1100円にして出したんですわ。幸いうちは持ち家だから家賃もかからないし、従業員も自分ひとり。だからこのコーヒーが出せる。それに今までの積み重ねがあったからこそできることだと思う。最初からこういうコーヒーだったらダメだったと思いますね。

――普通のコーヒー屋さんとして繁盛していた時期があるからこそできる、と。

そして覚悟と精神的な強さがないとダメ。僕の場合、それを支えているのは「ポエムを作りたい」という自分。それに文字としてのポエムもあるけれど「優れた詩人は文字にせずともなんでも詩にしてしまう」という中原中也の考えがある。ポエムというのは数ある言葉の中からエキスを抽出しているようなものでしょ。それとコーヒーも同じで、特に膨大な豆の中から一杯しか抽出しないうちのコーヒーは飲むポエムのようなものなんです。

――「飲むポエム」とは美しいですね。

そこまで行かないといけないと思ったんです。食物として飲むコーヒーとは違う、知的なコーヒー。だからうちのコーヒーは毎日飲むコーヒーじゃないです。うちに来たからにはよそで飲めないコーヒーを飲んで帰って欲しいですね。

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