瀧波ユカリ/漫画家 空気を乱すことを怖がらず、自分の領域は自分で守る【前編】

2019/05/14
Pocket

華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回はデビュー作『臨死!!江古田ちゃん』が今なお愛されている瀧波ユカリさんが登場。前編では、漫画家として挑戦するまでの苦労や、漫画家生活を支える旦那さんとのコミュニケーションの取り方などをお伺いします。瀧波さんならではのストレスのない人間関係の築き方とは?

漫画は実力主義の世界。怖くてなかなか描き始められなかった

――瀧波さんのデビュー作『臨死!!江古田ちゃん』はドラマ化に加え、最近2回目のアニメが放送されました。本当に長く愛される作品ですよね。

瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)
1980年3月28日生まれ。北海道釧路市出身。2004年アフタヌーン四季賞冬のコンテストで『臨死!!江古田ちゃん』が四季大賞を受賞し漫画家デビュー。受賞作は『月刊アフタヌーン』で即連載化。自身の育児経験を綴った漫画エッセイ『はるまき日記』や、母を看取った体験を綴った『ありがとうって言えたなら』など、リアルな日常を描いた作品で注目を集める。

瀧波ユカリ(以下瀧波):2回目のアニメ化は10年くらい前から、12人の監督がそれぞれの江古田ちゃんを描くという構想があって、少しずつ動いていたんです。原作はかなり前のものなので、今見るとちょっと古いなと自分でも思うところもありますが、アニメ界のレジェンドたちが、今の時代に合わせた形で再生してくださいました。

――現在では4コマ漫画以外にも、漫画エッセイなどさまざまな作品で注目を集めていらっしゃる瀧波さんですが、いろんな職業を経験した後に漫画家デビューされたそうですね。夢に挑戦できた理由や原動力は何だったのでしょうか?

瀧波:むしろ、それまで一度も挑戦したことがなかったんです。大学受験も高校3年の夏に進路を考えたくらいだし、がむしゃらに努力したわけでもなくて。ぼーっとしていたら大学も卒業してしまい、頑張っていないから挫折もない状況でした。漫画家を目指すのは最初の挑戦みたいな感じでしたね。

漫画って結果がすぐ出る実力主義の世界なんです。中学生でもできることだしスタートラインはみんな同じ。その実力主義の世界が、現実的すぎて私には怖かった。だから、なかなか描き始められなかったんです。原稿用紙を前にすると、何も描きたいことが浮かんでこなかった。それで「今すぐは描けないな」と思って大学卒業後、フリーター生活を送り始めました。

気の向くままに描いて生まれた『臨死!!江古田ちゃん』

――実際に漫画を描き始めることになった転機は何だったのでしょうか?

瀧波:24歳になった時、ちょっとこのままじゃヤバいと思ったんです。もう24歳なのに、大学で学んだ写真もやってないし、漫画も始めてないと焦り始めました。まずは挑戦してみないと夢を諦めるという選択肢も生まれない。このままじゃ何も始まらないと思ってやっと描き始めたんです。

最初はストーリー漫画を描いてみたけど、全然上手く描けないんですよ。いきなり上手な絵でデビューする若い人が多いけど、どうやってそんなに上手くなったのか、今でも教えてほしいくらい(笑)。全然描けない自分が嫌になって、息抜きで4コマ漫画を描いてたら、そっちでデビューすることになったんです。今思うと本当にラッキーですね。

――息抜きで描いたものが、その後のご自身のスタイルになったんですね。

瀧波:そうなんです。ちゃんとしたものを作ろうと思いすぎていたから、描けなかったんだと思います。物語に起承転結があって、絵も背景もちゃんとしているものを描こうと思っていた。でも、そういうのを全部やめて気の向くままに描いてみた結果、そこに自分のできることがちゃんと入っていたんです。

――デビューした後は、自身が描きたいものと世間が求めるもののジレンマで悩んだことはありますか?

瀧波:はい。4コマ漫画だとずっと同じ世界の繰り返しなんです。少しずつ登場人物を増やしてはいくけど、一定の世界観のなかで笑いを取るという感じです。それに慣れると要領は掴めるけど、5~6年も続けると飽きてくる。他のことをやりたくても、それ以外のスタイルを世間からは求められていなかった。

20代はいろんなスタイルに挑戦して吸収するのが一番向いている年頃だと思いますが、その時期に同じことをし続けたのは大変だったし、今思うとちょっと失敗だったかなとも思います。私の場合はエッセイの仕事が来たことで、ちょっとずつ作風を変えていくことができました。

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!