【前編】「一度どん底へ落ちるために失敗をする。そこからどうやって這い上がるかが芸の道」水道橋博士(芸人)

失敗ヒーロー!

2018/06/12
Pocket

華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、たけし軍団の一員として、若き頃からビートたけしさんと師弟関係を結んできた水道橋博士。最近ではバラエティタレントとしてだけでなく、コメンテーター、作家としても活躍する水道橋博士の人生哲学とは一体どんなものなのでしょうか。前編では知られざる水道橋博士の生い立ちや芸人を目指すきっかけ、そしてビートたけしさんとの出会いについて伺いました。

親として、父親を反面教師だと思っている

――水道橋博士の幼少期からのお話を聞かせてください。一体、どのようなご家庭で育ったんですか?

sui-1-02

水道橋博士(すいどうばしはかせ)
1962年8月18日生まれ、岡山県出身。86年にビートたけしに弟子入り、翌年、玉袋筋太郎とともにお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。テレビ・ラジオや舞台を中心に活躍の場を広げる一方、ライターとして雑誌等にコラムやエッセイを執筆する。芸能界を内側から綴った『藝人春秋』(文藝春秋)、その続編として自身が芸能界に送り込まれたスパイであるという設定で記した『藝人春秋2(上・下』(同)が話題を呼ぶ。また、自身が編集長を務める日本最大級の有料メールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』も好評配信中。

水道橋博士(以下、博士):家業は、倉敷で紙問屋や小売、不動産経営とかしてるの。実家は庭に池があるような豪邸だった。ただ、父親は自分が苦労したから、子供には贅沢をさせないという方針で子育てをしていた。だから、俺は自分の裕福さには気が付かないで育ったんだ。でもね、本だけはいくらでも買っていいって家だったんだよ。小学生の頃は「神童」って呼ばれるほど成績が良かった。児童会長を務めて、「末は博士か大臣か」なんて田舎で言われてきたんだけど、本当に博士になって帰ってきちゃった(笑)。

――父親との確執みたいなものはなかったんですか?

sui-1-03

博士:確執がある、ないというより父親自体と喋ったことがあまりない。子供と関わることが苦手な人で、家族旅行にも行かないし、男尊女卑の人だった。だから、俺も今は親になったけど、父親を反面教師にしていて。妙にフェミニストだし、子供と一緒に遊ぶ時間を大切にしている。

――そこまで優秀でいて、学問の道とは別の道を選んだのはなぜだったんですか?

博士:中学受験をして岡山大学附属中学校っていう国立のエリート校に越境入学するんだけど、それまで俺は何でも一番だと思っていたの。勉強も、スポーツも。でも、中学に入って、試験で真ん中くらいの成績だったことにすごく驚いた。スポーツも後ろから数えた方が早いくらいで。自分は万能な人間じゃないってことに初めて気が付くわけ。それから勉強をやめて、一気にいわゆる、サブカルチャーの方面にシフトを切った。映画館に行ったり、図書館に篭ったり、大人の雑誌を読み漁る日々が続いたんだ。

たけしさんのラジオを聴いて啓示を受けた。この人に会いに行かなくちゃって

sui-1-04

――そこから芸能界の道を目指されるまではどのような経緯があったんでしょうか?

博士:実は芸人になるって決める前に、雑誌記者になりたいって思っていた。特に『週刊ファイト』というプロレス誌を愛読していたこともあって、プロレス記者を目指したんだよね。その雑誌に自分で書いたオリジナルの記事を投稿していた時期もあるんだ。今読み返すと、ものすごく青臭い文章(笑)。それから、もう少し経ってから、伝説的なノンフィクションライターだった竹中労の『ルポ・ライター事始』を読み、ルポライターにも強く憧れた。自分の人生を振り返ってみると、俺には昔から異常なまでに紙や文字への執着心があったんだと思う。それはたぶん実家が紙を扱う家業だったからっていうのもあるんだろうけど。俺ね、自分の小さい頃、書いた文章を全てコピーして保管してあるんだ。日記も小学校四年生の頃からつけていて、全部持っている。記録魔なんだよね。

――それはすごいですね。ただ、そんな青年が芸人になろうとする姿が想像できません。

sui-1-05

博士:ルポライターになりたいと思った時、「正義とは何か?」って自問自答したんだ。その頃は高校に進学してたんだけど、引きこもりの日々を送ってて。いわゆるコミュ障で。人生で最も鬱々とした時期で、闇の中に潜っていた気分だったなぁ。そこで俺は果たして俺如きが「正義」を問えるのか、社会のために何か行動を起こせるのか?って考えていた。そんな折だったんだよね、「ビートたけしのオールナイトニッポン」をラジオで聴いたのは。その瞬間、啓示を受けた気がしたんだ。「この人のもとに行ったら俺は何者かになれるかもしれない」と思った。そしたら、生き直せるし、自分の人生を生きられる、と思って、それから受験勉強を始めて、たけしさんの人生をたどるためだけに明治大学に入学したんだよ。

――「啓示を受けた」というところをもう少し聞かせてください。具体的にたけしさんのラジオのどこに感銘を受けたんですか?

博士:たけしさんのラジオを聴いて、お笑いって絶対に「負け」がない職業だと思えたんだ。一生貧乏のまま終わってもどんな惨めな境遇でも、それを「くだらねぇ!」って笑い飛ばせばいいわけだから。そこで「勝てる」。それに比べるとルポルタージュは出口がないんだ。正義には正解はない。永遠に自問自答を繰り返さなきゃいけないから。でも、お笑いには出口があった。少なくとも、たけしさんは脱出口を作っていた。だから、電波に乗って俺の耳に届くたけしさんの声を聴いて、「とにかく、たけしさんに会いに行こう、そうしない限り、この鬱屈とした曇天には出口がねぇぞ」と考えたわけなんだ。

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!
運営会社 | Copyright © kaonavi, inc. All Rights Reserved.