2016/11/01 公開

【前編】スポーツ専門クラウドファンディング「アレ!ジャパン」広報の、とっておきの“勝負服”は?

私の勝負服

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当時、「アレ!ジャパン」代表・田村からは「資金不足で困っているアスリートがたくさんいる」という話をされました。とても共感できました

人生を大きく左右したオーストラリア留学

――本日着ていただいている勝負服について、教えてください。

関口萌仁香(以下、関口) 去年購入した服です、ちょうど1年前ぐらいですね。

――すごくおしゃれですね。

関口 いやいや(笑)。もともとファッションとか全然疎くて、シンプルな服が好きなんです。スポーツ界で働いていることもあって、スポーティーな服ばかり着ていました。だけど、たまには「ピシッとしたものを着ていこう」と思って。大勢の人が集まる場に着ていくときに、ちょっと華やかに行けたらと思って。どうなんでしょうね、より多くの人に話しかけられるようになってるのかな? という気はします。

――どこかのブランドものですか?

関口 それが全然ブランドものではない、ファストファッションなんですよ(笑)。でも、この服を買ったことをきっかけに、それ以外もピシッとした服を着るようになりましたね。ファッションについて、少しは自信が持てるようになったかもしれません。でも、おしゃれなお店に入ることはいまだに躊躇しちゃいますね。「場違いかな」って。店員さんが近づいてくるような店とか、苦手です(笑)。

――なるほど(笑)。とはいえ、やっぱり普段とは違うフォーマルな服を着ていくことで、少なからず前向きな気分になる部分もあるようですね。今回の取材テーマは「勝負服」ということなので、これまでの人生において関口さんが経験した最も大きな“勝負”についてお聞かせいただけますか?

関口 最も大きな勝負ですか。結構前になってしまうんですけど、私は14歳のときに1年間、オーストラリアのゴールドコーストにテニス留学をしました。単発の勝負ということではないんですが、その留学を決断したことが、今までの人生で1番大きな勝負だったように思います。

その1年は、本格的にテニスに打ち込んだ初めての年でした。もう、毎週末のように試合があってすごくハードでしたね。日本と違って、オーストラリアは国土が大きいですから開催地までの距離がいちいち遠くて。試合に出るためには毎週、クルマで前夜入りする必要がありました。今思い起こせば、すごく良い経験でしたね。

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関口萌仁香(せきぐち・もにか)
アスリート支援クラウドファンディング「アレ!ジャパン」広報。1992年4月8日生まれ、神奈川県横浜市出身。湘南工科大学付属高等学校卒業。相模女子大学在学中にアレ!ジャパン立ち上げから携わり、卒業後は正式に株式会社サイバービジョンコンサルティングに入社。

――毎週、クルマで前夜入り……そうですよね、オーストラリアって日本の面積の約20倍ですもんね……。ところで、留学後もテニスを続けられたのですか?

関口 留学を終えて帰国したのは、高校入学前でした。そのまま、高校もテニス推薦という形で強豪校に進学しました。でもそこで、「もうテニスはいいかな」となっちゃったんです。

――えっ、留学をするほど打ち込んでいたのに? 何か理由があったんですか?

関口 そうなんです。オーストラリアでの環境に慣れてしまったので、日本とのギャップが大きくて。「このまま日本で頑張っても、上にはいけないな」と思ってしまったんです。

――オーストラリアと日本とでは、やはり文化的背景で大きな違いがありましたか。

関口 そうですね。オーストラリアで1年間テニスを徹底的にやって、日本へ帰ってきて再びテニスをしたら、練習内容に大きな差を感じるようになってしまって。環境面でも、オーストラリアに比べて日本は天候的に不安定だったりしますし。頑張ってやってはいたんですが、落ちていく自分しか見えなくて「もう嫌だ」となってしまったんです。教え方の文化一つとっても、全然違いました。

――なんとなく、想像がつきます。

関口 おそらく、ご想像のとおりです。オーストラリアでは日本と違って、スポーツについて「いかに楽しむか」に重点が置かれていました。日本に比べると、かなりラフというか、おおらかでしたね。一方、日本でスポーツをやるとなると先輩・後輩どちらがえらいとか、いろいろ細かいことに気を使わなければいけなくて。「えっ、どこを目指しているんだろう」と思うところが多くて、ちょっと合わないと感じてしまって。もちろん、そういった環境の中で学ぶことも多いですし、スポーツをするからには一定の「ルール」というものが必ず存在します。今となってはそれもとてもいい経験です。

――やはり、スポーツ教育における日本と海外のギャップはまだまだ大きいんですね。

関口 ただ、海外に行ったことですごく大きかったのは、「スポーツを楽しむこと」の重要性を知ることができたことですね。勝ち負けが本当に第一かといえば、そうではないなと。やはり、スポーツは人が行なうものですから。「どれだけ楽しんだか」「どんな人に出会ったか」というところが大事だと思います。人と人とが関わらないと、スポーツは成り立ちませんからね。

――なるほど、その時点で「スポーツを楽しむこと」の重要性に気づかれたと。そうした考え方は、今のお仕事にも確実に活かせているのでしょうね。では、高校を卒業された後、大学では何を学ばれていたんですか?

関口 高校卒業後は、「オーストラリアで培った英語力をさらに伸ばしたい」と思い、大学の英文科へ進学しました。けれど、たまたま選択した体育の授業の先生がテニスのコーチだったんです。「もう一度テニスをやったらどうか」という一言をきっかけに、先生が所属する社会人チームでプレーを再開することになりました。

――良かったですね! やっぱり、一度打ち込んだものからは離れづらいですよね。

関口 そうなんです、結局はテニスから離れられず(笑)。そして、その社会人チームでプレーしているときに「アレ!ジャパン」の代表・田村聡と知り合ったんです。「新しい形でのアスリート支援を日本で始めたいので、その広報をやってみないか」と声をかけてもらいました。それが今から4年前、当時大学2年生でした。なので、大学生活の半分は「アレ!ジャパン」に関わっていることになりますね。

――現在のお仕事は、そう考えると「テニスが繋いだ縁」なのですね。大学生の頃から現在のお仕事をされていたとは。

関口 そうなんです(笑)。先ほどもお伝えしたとおり、大学で進学したのは英文科でした。スポーツとは関係のない、ツアーコンダクターなど英語を使った仕事をしたかったんです。でも、気がついたらこうしてスポーツの世界に戻っていました(笑)。当時、「アレ!ジャパン」代表・田村からは「資金不足で困っているアスリートがたくさんいる」という話をされました。とても共感できました。実際、テニスをプレーすることにもお金がかかりますから。

――実際、どれぐらいの金額がかかるものなんですか?

関口 正確な金額は把握していないんです。実は私の現役時代は親に全部出してもらっていましたから。何も知らずに好き勝手やっていました。「お金を稼ぐって、こんなにも大変なんだ」と知ったのは本当に最近のことです。テニスをプレーすることでも、本当にすごい選手になれるのはほんの一握りですが、それこそ錦織圭選手のように海外に出てトレーニングを積む必要があります。そうしたら、1年で何百万円もかかってしまいます。スポーツをするのは、本当にお金がかかるんですよね。

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