【前編】「俺はかつてヒップホップ界の泥水世代だった」・サイプレス上野
失敗ヒーロー!

呪われた土地、横浜ドリームランドで育った泥水
―― 上野さんが育った横浜ドリームランドという土地は、一体どんな磁場がある土地なんですか?
サ上 呪われた場所って感じです(笑)。俺たちはまだ、あの土地の呪縛が解けてない。これからも解けない。ずっと縛られてるって言ったら変ですけど、あそこで過ごした日々は鮮明に記憶に焼き付いてます。文化だったんですよね。携帯もない時代だったから、とりあえず行けば誰かがいて、遊んでるんです。そこでスケボーだったりグラフィティだったりが日々行われたわけで。
―― 上野さんは今やインディーズヒッピホップシーンの伝説的な存在となっていると思います。ですが、あの頃苦労も多かったと思います。インディーズ時代の苦労話や失敗談をお聞かせください。
サ上 僕らは自分たちの世代を泥水世代って呼んでるんです。せっかく雑誌「BLAST」の表紙に載ってもそれが最終号で廃刊になっちゃう。つまり未来がない。雑誌は続かないし、YouTubeもないからPVだって簡単に作れない。メジャーも手を上げてくれないし、自分たちでやるしかないわけで。だから、けっこう彷徨ってましたね。ただ、同時に、面白い奴らが周りにたくさんいて助かった面もあります。地方に呼ばれても交通費が出ないから、みんなで鈍行で行ったり。泊まる場所もないから寝ないで、名古屋駅の噴水で体を洗って怒られたり(笑)。そんな日々でした。どうやってお金稼げば良いんだろうってことばかり考えてました。
―― じゃあ逆に泥水から這い上がった瞬間って覚えていますか?
サ上 「BLAST」の最終号に取り上げられた時に、すごい評判良かったんですよね。泥水だけど、期待はされてて。その後、1stアルバムの『ドリーム』は自分たちで作ったんですけど、2ndアルバム『WONDER WHEEL』で別のレーベルが手を上げてくれた時は嬉しかったです。一抜けしたかもって思いました。評価してくれたんだって。
―― 泥水って水分がなくなると固まるじゃないですか、そういう世代の結束力もありましたか?
サ上 ありましたね。すごく力強い奴らが多いっていうか。それは感じました。何くそ!っていうタイプ。それぞれに確固たる自信があるからどのスタイルにチャレンジしても通用するみたいな。
―― その確固たる自信っていうのは今まで水の底で頑張ってきた俺らがここまで頑張って来れたっていうことからの自信ですか?
サ上 クラブにしろ、ずっとお客さんがパンパンな時代じゃなかったんですよね、あの頃は。波が激しくて。例えば先輩がアナログ出したら何千枚ってすぐ売れる時代もあれば、ヒップホップ勢がフジロックとかフェスでやらかして呼ばれなくなって、評価がガタ落ちしたりとか。やっぱり、ラップの奴らはダメだって空気になって、売れていた先輩達の作品が売れなくなる。そういう上がり下がりがあって。当時、レコード屋でバイトしてたからわかるんですよ。でもそれが、俺たちがアルバム出したら一日でバックオーダー何枚来たとか言われたりして。あ、世代変わってるなって思った経験もあります。
サ上 一つ印象に残ってるのは少し戻りますが『ドリーム』出した時ですね。渋谷のタワレコで働いてた友達がいて、その頃ってまだバイヤーが買い付けてたんですよね。それで、友達の友達がジャンル違うけど俺らのアルバムを積もうとしてくれたんですけど、「どこのレーベルかわからない奴は積めない」って社員に止められて。でも蓋を開けたら、土曜日の時点で初回入荷分売り切れなんですよ。彼は社員の人に、「売れるもの逃したんですよ!」って責めてくれて。めちゃくちゃ嬉しかったな。あの頃がターニングポイントだったのかもしれないです。
後編では・・・
『失敗ヒーロー!』第8弾。後編では文字通りヒップホップ界のモンスターとして活躍するきっかけとなった『フリースタイルダンジョン』について、そしてインディーズからメジャーデビューを果たすまでの苦難の道のりについて伺います! ヒップホップシーンにおいて、ここまでの地位を確立したサ上流のマネジメント術とは一体?

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