【前編】「俺はかつてヒップホップ界の泥水世代だった」・サイプレス上野
失敗ヒーロー!

華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く「失敗ヒーロー!」。今回ご登場いただくのは、『フリースタイルダンジョン』のモンスターとして大活躍し、9月6日にはミニアルバム『大海賊』でメジャーデビューを果たしたサイプレス上野とロベルト吉野のサイプレス上野さん。
『フリースタイルダンジョン』でのイメージが強い上野さんですが、インディーズのヒップホップシーンでは以前から伝説的な存在となっています。しかし、横浜の悪ガキからプリンス・オブ・ヨコハマと呼ばれるまでに上り詰めるのは、決して平坦な道ではなかったはず。上野さんを作り上げてきたのは何か。深く掘り下げてみると、そこにあったのは、誰にも「負けたくない」という強い精神と、誰の色にも染まらないという意思、そして、もう一人の自分自身との対話でした。
暇だからヒップホップに足を突っ込んでみた
――まず、上野さんがヒップホップといかにして出会い、なぜその道に進むことになったのか、そのストーリーからお聞かせください。
サイプレス上野(以下、サ上): 子供の頃は普通にJ-POPとか聞いてたんです。でも、そのうちにダンス甲子園に夢中になって、「あれ? この後ろでかかってる曲ってなんだろう」ってところから、ヒップホップを知りました。中学生になってバスケをやる時もスケボーをやる時もBGMはいつもヒップホップでした。その辺から身近なものになって、のめり込むようになって行きましたね。
―― 素朴な質問ですが、最初に出会ったヒップホップの印象ってどんな感じでした?
サ上 MCハマーでしたね。なんかかっけえって思って、他のCDも買い漁りに行きました。でも、どこで売ってるか知らないから、人生で初めて買ったCDである小田和正を売っていた戸塚のショップに行って探したんですけど、ヒップホップコーナーってなかったんですよ。ブラックミュージックでまとめられてて。
そこからどんどん深みにハマって行きました。誰よりも早く吸収したいって気持ちが強くて。中二くらいからはレコード屋にも通うようになりました。他の奴らに知識でも枚数でも負けたくねえって気持ちが強かったんです。
―― ヒップホップにのめり込むだけじゃなく、実際にご自分でやってみようと思われたきっかけってなんでしたか?
サ上 最初は海外のヒップホップを聴いてたんです。でも、どこか完全にフィットしねえなって感じて。日本語のラップを聴くようになってから、「あれ? 俺らでもできるんじゃねえか?」って思ったんです。そうやって、暇だしちょっとやってみようぜってノリで始まりました。レコードに入ってるインストの曲に合わせて、リリック書いてみるかって。
――じゃあ誰かの影響というよりも、暇だから初めてみた?
サ上 そうですね(笑)。誰かに認められたいとかもなかったかな。その時はとにかく網羅的に聴いてました。うちの地元から街に出るのにバスですごく時間かかるんですよ。ある日、レコード買いにバスに乗ってたら、隣の地区のヤンキーと鉢合わせて。俺がヘッドホンしてるから、「何聞いてるの?」「どこ行くんだよ?」って絡まれたので、「ECDだよ」「渋谷にレコード買いに行ってくる」って答えたんです。自分たちの知らない文化だから、あいつら急におどおどしやがって、「お、おう。かっけえじゃん、お前ら、渋谷危ねえから気をつけろよ」って(笑)。音楽って身を助けてくれるんだなって思いましたね(笑)。
―― 実際に音楽の道に進むのを意識したのはいつ頃なんですか?
サ上 あまり考えてなかったですね。とりあえず音楽のある環境にいることができたらいいなくらいしか思ってなくて。ただ、横浜のイベントとか出る時に負けたくねえなっていう気持ちはすごい強かったんです。悔しいっていう体験も死ぬほどしたな。先輩から、「マイクの持ち方なってねえよ」とか、「全然声通ってないね」とか言われたりしたもんなぁ。けど、それ言われても、俺らは絶対に自分を曲げなかったですね。負けるもんかって。あと、同じ悔しさでも、かっこいい人から受けた悔しさもありました。こんな先に行ってる人たちがいるんだって。頑張らなきゃなぁって痛感させられる経験もよくしました。

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