坂口恭平 誰にとっても生きるテーマは「自分を満足させること」【前編】

失敗ヒーロー!

2020/07/09
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回は作家や画家に建築家など、さまざまに活躍する坂口恭平さんが登場。多彩な表現手法がそれぞれのフィールドで高く評価される一方、自身の躁鬱病(双極性障害)を公言。その経験をもとにしたエッセイも執筆し、死にたいと苦しむ人との対話「いのっちの電話」でも知られる坂口さんですが、自らの病とどのように向き合い、今の自己にたどり着いたのか。その歩みをヒモ解くと、激動でありながらも緻密な“本当の自分の見つけ方”が明らかに!

少年期から感じていた「常に二重な自分」

――作家、画家、建築家、音楽家、料理家をはじめ、非常に多彩な活躍をされている坂口さんですが、気になるのが思春期です。多くの人が多感となる思春期、坂口さんはどのような少年だったのでしょう?

坂口恭平(さかぐち・きょうへい)
1978年生まれ。熊本県出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業。2004年、卒業論文をもとに日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行。以降、小説やルポルタージュ、思想書に料理書など、さまざまな手法と観点から多くの作品を上梓。自らの躁鬱病(双極性障害)を公言し、希死念慮に苦しむ人たちとの対話「いのっちの電話」を自身の携帯番号(090-8106-4666)で続ける。近著は『自分の薬をつくる』、2023年には熊本市現代美術館にて大規模個展を開催予定。

坂口恭平(以下、坂口):周りからは神童だと思われていたみたい。勉強はできたし、生徒会の役員も部活のキャプテンも任されていたし、顔も広かったから。でも、がむしゃらに勉強した記憶もないし、リーダーシップなんて取ろうと思ったこともないんですよ。自動的っていうんですかね。「恭平、恭平」と慕われると、当たり前のように応えてしまう。これは生まれつきですね。根っから、サービス精神旺盛。

――サービス精神の旺盛さは、著書『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』にも書かれていますね。

坂口:そもそも幼少期から、何も変わってないんですよ。「いのっちの電話」だって、高校生の時から同じようなことをやっていましたから。当時、付き合っていた彼女から「眠れない」という連絡が来ると、深夜でもこっそり家を抜け出して、彼女が眠るまで添い寝して。彼女、登校拒否だったんです。放っておけないじゃないですか、誰かが苦しんでいるのに。そういう人間的なノリは、ずっと一緒。小学校の同級生にすら、「恭平くんは何も変わらない」って言われますから。

将来にしても、小学校の卒業文集に「建築家になりたい」と書いているんです。他にも写真を撮ったり、バンドを組んだり、そういう活動は中高生の頃からずっとやっていて。いわば、今のもとになるようなことは、全てやっていたんです。それなのに、全てがぼやけた感じ。周りのヤツらは「恭平はすごい」と慕ってくれたし、自分でも「俺はすげぇ」と思っていたのに、常に二重な感じというか。周囲から慕われても深い関係は築けない。創造的な活動に手を出してはいても、全力の注ぎ方がわからない。二重の状態で、「どっちが本当の自分なんだろう」と思いながら過ごしていましたね。

混乱のなかで見つけた「生みの苦しみ」

――「二重の状態」。坂口さんは2009年、31歳の時に躁鬱病(双極性障害)と診断されたそうですが、それを予期させるようなフレーズですね。

▲坂口さんのアトリエの風景

坂口:予兆だったんでしょうね。さかのぼれば、小学校の頃からですよ。当時から奇術や魔術に興味があって、マジックを習得して。技術を持つと、見せたくてしょうがない。500円玉を消すマジックとか、全クラスをまわって披露していましたから。運動会の徒競走でもゴールまでの距離を計算して、一等になれると踏めば、コースを逆走したりして。それでも成績は良かったんで、ぎりぎり、頭のおかしいヤツと思われずに済んだっていう(笑)。いわゆる、ひょうきんな人気者ですよね。それでも常に、疎外感がつきまとう。

みんなに囲まれて、気づけばど真ん中にいるのに、人の圧がかかり始めると疲れてはぐれてしまう。この徒労感が鮮明になってきたのが、大学入学のために上京してからです。それまでは家族と暮らして、母ちゃんが組み立てた時間割のなかで生きていたのが一気に自由。でも、自由を感じるどころか混乱状態。どうしたいいかわからず、部屋をぐるぐると歩き回るようになったのも大学入学後、19歳の時でしたから。それでも一応は働き始める前だったから、そこまで重くは受け止めていなかったですけど。本当に体が悲鳴を上げ始めたのは、大学卒業後ですね。

――坂口さんは早稲田大学の建築学科を卒業。卒業論文として書かれたレポートが、初の著書であり写真集『0円ハウス』の原型です。むしろ、輝かしい経歴のスタートとさえ思えます。

坂口:いや、確かに評価はされていたんですよ。卒論も首席の評価で。でも、評価されるほどに混乱していく感じ。これも少年期と同じ感覚というか、周りから「恭平はすごい。恭平はおもしろい」と評価されても、自分の何がすごいのか、何がおもしろいのかが見えない。卒論を本にしようなんて思いもつかず、それでも大学を卒業したら社会人ですからね。「俺はどうやって食っていけばいいんだ、何をすれば食っていけるんだ」っていう。

食う術がわからないから就職する熱意も湧かない。食っていくには働かなきゃいけない。食っていくために、築地で青果卸のバイトを始めたんです。楽しかった反面、やっぱり人間関係に圧が生じるんですよ。それでも社会人ともなれば、逃げられない。最悪の精神状態ですよ。場所も構わず、ぼろぼろ涙がこぼれてくるような。これはヤバいと親父に相談したことが、転機だったかもしれない。親父が勤めていた会社の産業医に自分の状態を洗いざらい話すと、「あなたは創りたいのでしょう。それは生みの苦しみです」と。この言葉から、卒論を本にしようと決めましたね。

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