2017/07/26 公開

「PTAやめます」と告げて本部役員につるし上げられた4年後、PTAが変わり始めたサワコさんの話

PTAから考える、多様な生き方と働き方。 その4

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著者:大塚玲子
 

小学校のPTAで、ある委員会の長として1年間がんばった園田サワコさん(48)。
PTAを退会することを決め、新旧本部役員17名による“つるしあげ”を受けてから、4年の月日が経ちました。

その後も粘り強く、PTA会長や校長先生が代わるたびに対話を続けてきたところ、小学校でも中学校でも、だんだんとPTAが変わってきました。

退会の翌年には中学校のPTAで、そのまた次の年には小学校のPTAで、入会申込書が配られるように。

いまは中学校のPTAで退会規約の整備が進められていて、さらに個人情報の保護を考えた規約改正案も上がるなど、新しい動きが出てきました。

なによりサワコさんが驚いたのは、その規約改正案を出したPTA会長と副会長が、あの“つるしあげ”の場で黙って座っていた副会長と、新会長のダンナさんだったことです。
 
副会長さんは、当時を振り返って、サワコさんにこう言いました。

「あのときは本当に、ごめんなさい。忙しすぎて、視野が狭くなってたと思う。ときどき、あのときのメンバーで集まるんだけど、サワコさんが辞めてから、サワコさんが言ってたことがジワジワわかってきたね、ってみんな言ってるんだよ」

また先日は、以前同じ委員会だったお母さんが、申し訳なさそうに声をかけてくれました。

「最近、PTAが変わってきてよかったね。サワコさんのブログ、ときどき見てるよ。わたしなんて、PTAにいろいろ思うことがあっても、何もできなくて……」
 
こんな言葉をかけてもらえる日が来るなんて。
あのときは、思ってもみなかった。

サワコさんは、いま、うれしいのです。

*

サワコさんは就職後、3年間の遠距離恋愛を経て、学生時代から付き合っていた同い年の彼と結婚しました。3人の子どもはいまでは、社会人、高校生、中学生です。

サワコさんのお勤め先は、女の人にもやりがいのある仕事をさせてくれることで知られる人気企業でした。しかし、それは出張・残業・単身赴任なども男性と同じように求められる職場であり、家事育児との両立は簡単ではありませんでした。

「たとえば出張が決まるたび、わたしはすぐに保育園の送り迎えや、子どもが病気になった場合にどうするかという段取りを組み始めて、すぐ夫にも報告するんですよ。

でも、彼が出張を言い出すのはいつも前日。『明日、出張だから!』って言われて、すごく腹が立つんですよね(笑)。
彼は自分が出張することで、家事や育児に影響が出ると思っていないから」

そう、この世代の男性は、まだまだそんな感覚の人が多いのです。よくぞ、共働きを続けていらしたことよ……。

「別れたろか、と思ったことはありますよ(笑)。さんざんバトルして、バトルし疲れて、『ちょっと忘れたことにしとこうか』みたいな感じで乗り越えてきました。

退職したのは、上の子が中学に入るときでした。40歳にも近づくとキャリアに応じた仕事を求められるし、当時決まった個人情報保護法への対応で毎日残業続き。家庭と天秤にかけて『わたしはこれ以上はできないな』って思ったんです」

サワコさんが尊敬する女性の先輩上司も、40歳のときに退職していました。その先のモデルを描けなくなったことも、退職の理由の一つだったかもしれないといいます。

「その先輩がね、退職した後に、PTA会長をやっていたんです。彼女が『PTAなんて、仕事と比べたら“小指でまわせる”と思ってたのに、大間違いだった!』って話していて(笑)。それを聞いたときは、わたしも大笑いしていたんですけれど……」

*

会社を辞めてから3年後。サワコさんは、初めてPTAに足を踏み入れました。

まんなかのお子さんが小学6年生のとき、クジである委員に当たり、さらにもういっちょ、クジで「委員長」に当たったのです。

それは「あの委員長になるくらいなら本部役員になるほうがいい」と言われるほど仕事の多い役職でした。サワコさんは、1学期の間、毎日学校に行っていたといいます。

「“委員長を一度やったら、次の年から委員長のクジをひかなくていい”というルールがあるおかげで、委員会のメンバーから仕事の分担を断られたこともあります。“わたしは免除がないので、委員長が全部やってください”って(苦笑)」

月に一度、本部役員と委員長で行われる運営委員会も、サワコさんにはショックでした。一年間主に話し合われていたのは「役員免除規定をどうするか」について。子どもたちのことを話す機会はなく、ひたすら「どうしたら公平になるか」を話していたのです。

「妊娠・介護中の人、幼稚園の子がいる人とか、役員の免除規定がいくつかあったんですが、『お医者さんを職業として免除にするかどうか』とか、『あの人は本当に妊娠しているのか、診断書を出してもらったほうがいい』とか、そんな話ばかり……。
 
『おかしいよ』とは言ったんですが、わたしひとりでは、全体の方向を変えることはできなかった。当時のPTAには、とにかく『PTAをやりたくない!』という空気が満ちあふれていて、わたしはそれが、本当におかしいと思ったんです」

サワコさんはひとまず、自分が担当する委員会の仕事の改善に注力しました。

毎年パソコンで管理していた見守り活動の担当決めは、パソコンを使わなくてもできるようにし、個人情報の取扱いも適切に改善。さらに当番一覧表の配布をやめ、保護者には各自の担当日だけを伝えることで、参加できない人が責められないようにしたのです。

仕事のやり方を変えるときは、メンバー一人ひとりの正直な気持ちを引き出すように気を付けたといいます。

その年度の終わりに、サワコさんは、PTAを退会することを決めました。

委員長の仕事はやりがいがあったのですが、活動の場で耳に入ってくる保護者の「いやいやの声」に心が萎え、PTAへの疑問はふくらむばかり。それに耐えきれなくなったのです。
 
つるしあげの場で、サワコさんに投げかけられた、言葉の数々。

「親の義務を果たしていない」「退会がきっかけで、お子さんがいじめられたらかわいそう」「いっしょにがんばった委員の方に、『逃げた』と後ろ指をさされますよ」「PTAが任意の学校へ転校されたらどうですか」……等々。

サワコさんは、その一つひとつに、丁寧に答えていったそうです。

「PTAでは、『おかしい』と思っていても言えないお母さんたちを、たくさん見ました。それを、ものすごく『かわいそうだな』と思ったんです。日本の女の人たちって、まだこんなに萎縮して、閉じ込められた世界にいるのかって。

それで、この息のつまる空気をなんとかしなきゃ、って思ったんです。もっと自由に生きていいし、言いたいことを言っていい。そのひとつの形として、PTAを変えたいってすごく思ったんです」

そして、4年の歳月が流れ。
ようやく、雪解けのときが訪れました。冒頭のくだりを、もう一度ご覧ください。

PTAが変わり始めたいま、サワコさんは振り返ります。

「言い続けてきてよかったな、と思います。『どうせ言っても無駄だ』とあきらめないで、勇気を出して口にしていれば、その場では賛同が得られなかったとしても、『誰か』には届いているかもしれないんですね。

自分のできる範囲でかまわない。もっと自由に行動・発言できる人が増えるといいな、と思っています」

そうですね、ほんっとに。
わたしも、そうなりたいのです。

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大塚玲子
編集者、ライター。主なテーマは「PTA」と「いろんな形の家族」。各地で講演、テレビ・ラジオ出演多数。PTAでは学年総務部長。 シングル母。著書『PTAがやっぱりコワイ人のための本』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』。 http://ohjimsho.com/
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