2017/10/05 公開

シングルマザーのオフィスラブ

オフィスラブ小説論 第9回 津島佑子「山を走る女」

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最近、「ママというアイデンティティ」が気になっている。ネット上のアイデンティティ、といったほうが正確かもしれない。
ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSの個人アカウントでは、○歳児のママ、1男1女の母、といったプロフィール文をよく目にする。
限られた字数しかないSNSのプロフィール文には、職業、趣味、政治的価値観など、その人がどんな属性を「自分であること」として外に語っているかが端的に表れる。
個人的な印象に過ぎないが、SNS上での「ママ」というプロフィールの氾濫は、数としてはほぼ同数いるはずの「パパ」とは明らかな男女差があるように思う。SNSだけを見ていると、パパはどこへ消えた、と問いたくなるような非対称性だ。
そのアンバランスとともに、何十年間も「ママ」ではなかった女性が、ある日子どもを持つことで、突然「ママ」であることが彼女の最上位のプロフィールになることに興味をもっている。
たしかに、小さな子どもがいる暮らしは、生活のすべてが子ども中心に回る。SNSをやれば子どもの写真や育児の話題が中心にならざるを得ない。だから、そうしたアカウントでの「ママ」というプロフィールは、「アイデンティティ」というより、一種のクラスタとして機能している面もあるだろう。逆に言えば、他人の子どもの写真や話題を見たくない人は、「ママ」というキーワードによってフォローを避けることができる。
しかし、「ママ」というクラスタがいかに一般的なものに発展していたとしても、それは「パパ」というプロフィールの対照的な少なさを説明してはいない。また、「ママ」というプロフィールの使われ方からは、一人の女性のなかにいくつも併存している属性の一つというより、取り替えのきかない、独立した強いプロフィールになっているようにも感じる。やはり、「ママ」は一種のアイデンティティなのではないか。

「ママ」が職業や趣味・嗜好よりも上位のプロフィールとなり、「パパ」がそうならないのは、女性だけが妊娠・出産を経験できるという生物学的な差異だけでは説明がつかなそうだ。育休取得率の極端な男女差といった社会構造もおそらく背景にある。
現在、日本で働く女性の育休取得率は81.8%だが、男性の取得率は3.16%である(厚生労働省・平成28年度雇用均等基本調査)
その取得期間についても、女性は子が保育園に入園するまでの10~12カ月および12カ月~18カ月で全体の約6割を占めるが、男性は5日未満が半数以上であり、1か月以上取得する人は2割を大きく下回っている(同・平成27年度調査)。全体の3%に過ぎない育休取得男性の内訳がそれなのである。
こうした数字が示すのは、日本で働く女性のほとんどが、子どもを作ればワンオペ育児生活を始めざるをえないという現実だ。そこには大きなジェンダーギャップがある。制度上はどちらが取得してもよい育休制度も、結果として母子密着を支えるものとなっている。他方、日本の父親にとって、育児とはあくまで「参加」するものであり、自己の中心を占めるもの、まして自分のアイデンティティとはならないのである。
育児におけるこの性別役割分業が近年大きく変化したわけではないことを考えれば、「ママというアイデンティティ」の問題は、決してSNS時代に特有のものとは言えないはずである。

長々と前置きをしたのは、今回読んでいくオフィスラブ小説が、この「ママ」「母親」というアイデンティティの問題に先駆的にとりくんだ小説だからである。
本作が書かれたのは、SNSどころか、インターネットが普及するずっと以前の1980年だ。国際的にも高い評価を受ける作家、津島佑子の『山を走る女』である。

山を走る女』は、21歳の主人公、小高多喜子が実家で寝ている場面から始まる。多喜子は眠りのなかで、「痛み」に自分の名前を呼ばれているような感覚がする。
彼女は臨月で、予定日をすでに1週間過ぎている。真夏の早朝、陣痛のはじまりで目覚めた多喜子は、家族の誰をも起こさず、大きなお腹を抱えて一人きりで産院へと向かう。家から出て、朝日の眩しさに目を細めながら、路地をゆっくりと歩き、タクシーを拾う。
多喜子がこうして独力で行動するのは、お腹の子を「私生児」として産もうとしているためだ。今では差別的な言葉としてあまり使われなくなったが、「私生児」は婚外子でかつ父親からの認知も受けない子を指す

 はじめて母親が多喜子の妊娠に気がついた時、胎児はもう丸七カ月の大きさに育っていた。早速、母親は、なぜ中絶しなかった、という問いから、どんなわけがあるのか、相手はだれなのか、相手が好きなあまりその子どもを欲しくなったのか、妻子のある人なのか、相手は知っているのか知らないのか、自分の手で育てるつもりなのか、そんなことができると思っているのか、自分たち両親への面当てなのか、父親をそんなに恨んでいたのか、この先、どんなことになるのか分かっているのか、一体全体、なにを考えているのか、と際限なく、多喜子を問いで責めはじめた。
(『山を走る女』(講談社文芸文庫、2006年)、32~33頁)

母親は、「私生児の母」になろうとする多喜子に中絶を迫り、呪詛の言葉を浴びせ続ける。足が悪いためにほとんど働きに出ない多喜子の父親は、昔と変わらず妊婦となった娘にも暴力をふるう。大学受験を控えた弟の厚にも頼れない。出産にあたって多喜子の置かれた状況は厳しい。

子の父親が誰であるかは、多喜子だけが知っている。
高卒で就職した多喜子が、会社の用事でよく通っていた役所の男、前田宏が子の父親である。妻子のいる前田とはろくな交際もなく、一度たまたま夕食をともにした帰りに、肩を抱かれるままに連れ込み宿に入った。
じきに前田は役所を辞め、妻子と東北の故郷に帰った。多喜子が転職の案内状を受け取ってそのまま捨てた一月後に、妊娠が分かる。その時、多喜子は前田の住所も知らない自分をなぜか好運だと感じた。子どもという存在が突然、完全なる外部からやってきたもののように感じられた。

前田の欲望が前田自身のものではないと思ったように、多喜子は自分の妊娠が自分自身のものではないように思えた。体を通じて、自分はなにかを告げられようとしている。それを聞き届けたかった。
(同、46頁)

こうして多喜子は、誰にも祝福されないまま男の子を産む。のちに晶(あきら)と名づけられるその子とはじめて過ごした産院での6日間は、多喜子にとって、この上もなく穏やかな日々になる。
30台近いベッドが並ぶ、講堂のように天井が高い大部屋では、多喜子の入院している間に3分の1以上の患者が入れ替わる。女たちが次々と来ては子を産み、乳やミルクの与え方、おむつの換え方を覚えて去っていく。
そこでは、多喜子と赤ん坊は名前すら意味を持たないただの健康な母子である。多喜子は自分が、この古びた産院で出産した何万人もの女たちの一人であると感じ、思いがけない充足感をおぼえる。
ただの「健康な母子」として扱われ、同じ状態の親子が集まっていることの充実した無名性の感覚は、小説全体を通じて詳細に描かれる。

退院して実家に戻った多喜子は、一日でも早く家を出たいと望む。しかし、多喜子は出産の2カ月前に高卒から勤めた会社を辞めてしまったために、産後のまともな働き口が見つからない。
今でこそシングル家庭の貧困率の高さや過酷な実態は報道されるようになったが、『山を走る女』が書かれた1980年は均等法も育休制度も存在しない時代だ。
「シングルマザー」という言葉、社会的認知もなかった。「私生児の母」になることは、多喜子の家族が隣近所にひた隠しにしたように、世間に顔向けできないようなこと、反社会的な行為だと見なされた。一人で子を産み育てるという選択をしたために、多喜子は、労働者としても母親としてもマイノリティになることを余儀なくされるのだ。
多喜子は、やっと空きを見つけた私設の共同保育所に晶を預ける。そして経済的自立に向け、駅前の蕎麦屋、化粧品の外交セールスなどの職を転々とする。だが懸命に働いても、子の病気や保育園の送り迎えに合わせて勤務すれば、微々たる収入しか得られない。保育料とミルク代を出すのがやっとだ。アパートを借りて独り立ちすることなどとても考えられない。

そんな大変な暮らしのなかでも、多喜子はわが子の存在を通じて、少しずつ世界と出会い直していく。
はじめて保育園で、他のゼロ歳児の親子とともに入所の説明を受ける場面が好きだ。

“吉川一也君”と呼ばれた赤ん坊の母親が、くすくす笑いだした。それで、初老の保母も笑顔になり、父親に抱かれている吉川一也と、床に寝かされている小高晶に眼を向けた。
――……そして、担任の保母はわたしたち二人です。
――すみません、なんだかおかしくてしょうがないんです。吉川一也君だなんて……、それに、たんぽぽ組だなんて……。
 吉川一也の母親が笑いながら言った。多喜子にも同じ戸惑いがあったが、緊張しすぎていて、笑えなかった。
 小高晶。……
 多喜子は自分の赤ん坊を見つめ、その名前を胸の裡で幾度か呟いてみた。まだ耳慣れないままでいる名前だった。
(同、121頁)

自分が産み世話をする赤ん坊が、名前を与えられ、他者からその名前で呼ばれ、この世にしっかりと存在しはじめることの不思議さ。多喜子は自分の新しい戸籍謄本を見ても、「問いたいという思いが、そのまま、一枚の紙に表れているようだ」と感じる。

 小高晶と名づけられたこの赤ん坊は、一体、自分にとって、なんなのだろう。自分の産んだ子ども。それだけではない、自分の知らなかった何者かであるような気がしてならなかった。特別ななにか。しかし、多喜子にはその意味が分からなかった。
(同、124頁)

親になる経験は、異性の見方という点でも多喜子に大きな変化をもたらした。
高校生の頃から家に帰ることが苦痛だった多喜子は、何かをしたいというより、ただ外にいたいという思いだけで遊び回っている女の子だった。女友達より男友達が多い「荒削りな女子生徒」で、男友達に特別な恋愛感情をもったことはないが、彼らの欲望には受動的に従った。多喜子にとって男性の欲望は同情の対象であり、「痛ましく、それゆえに、自分などには侵しがたいもの」であった。その「痛ましさ」という見方は、多喜子の父親との関係性もどこかで影響しているようだ。
晶を連れて保育園に通っているうちに、多喜子は、父親として子育てをする様々な男たちに出会う。保育園の班会に必ず出席する、まだ大学院生だという若い父親と、3人目の子を預けている40歳近い会社員の男。会社員の肥った男は、いつも大きな書類鞄を持ち歩き、保育園の会計報告を手伝ったり園舎改築のための金策プランを作ってきたりと、仕事で培ったのであろう能力を発揮しながら、子どもについて保母と熱心に話し込む。

 多喜子には、どちらの父親の姿も新鮮に見えた。自分とは、おそらく、他の場所では出会うことがなかっただろう男性なのに、この、みどり保育園と名づけられた古い建物の二階で、自分と同じ表情で、それぞれの赤ん坊の少しずつの成長を語る保母の顔に見入っている。手渡されるワラ半紙のプリントに眼を落している。自分と同じ些細な心配、離乳食や病気の心配を、保母に訴えている。それは、今まで多喜子の知らなかった、知らされることもなかった異性の姿だった。
(同、180~181頁)

この異性への視線の変化は、小説の後半で描かれる多喜子のオフィスラブにも重要な意味をもつ。

それまで実家の家計をぎりぎりで支えていた多喜子の母親が体調を崩し、狭心症の診断が出たことから、実家は一気に苦境に陥る。晶を4月から区立保育園に転園させ、多喜子も新しい仕事を見つけなければならなくなった。
多喜子は、前から気になっていた熱帯植物用の大きな温室がある「三沢ガーデン」に職を求める。20代前半男性に限るという求人告知にもかかわらず、熱意でなんとかアルバイトとして採用される。応募の際に、自分に赤子がいて、夫はおらず、実家に住んでいることも伝えた。
「三沢ガーデン」は、観葉植物を育ててオフィスや店舗などに貸し出すリース会社だ。社長と社長の息子の専務、3人の社員、そして多喜子と一緒に新しく雇われた作業員の7人で成り立っている。多喜子以外は全員男で、大きな植木の鉢を抱えて街を走りまわるハードな仕事である。赤子を抱える母親がする仕事としてはあまりにガテンすぎるが、朝が早い代わりに夕方も早く終わるので、保育園への送り迎えでも多喜子には都合が良かった。

 めまぐるしく、しかも、体力をいくら発揮したつもりでも追いつくことのできない仕事だった。はじめての一、二週間の間は、家に帰ると、ひとつの大きな痛みのかたまりになっているような体を、まず、敷き放しの蒲団の上に投げ出さずにはいられなかった。夕飯の支度も、おむつの洗濯も手につかなかった。しかし、新しい仕事に不安は感じなかった。こうして少しずつ、自分の体が強くなり、腕が太くなるのだと考えることは、快かった。早く、この痛みを通り過ぎなければならないのに、と自分の筋肉がじれったい思いだった。
(同、262頁)

多喜子はこの新しい職場で、神林という、少しひねくれた印象の男に出会う。
30代半ばで妻子のある神林は、生気がなく年寄臭い表情の男だ。だが、暑くなって上半身裸になると驚くほど端正な線をした健康的な体を見せる。無骨で内向的だが冷淡ではなく、多喜子が聞けば木の名前や性質を教えてくれる。
次第に打ち解けるうち、ある日、彼がダウン症の10歳の息子の父親であることを知る。多喜子が「私生児の母」になってから感じていた、世間から「普通」ではない子として見られるわが子のかけがえのなさと逃れられなさを、神林もまた共有していたのだ。

 神林が十年前から、一人の蒙古症の男の子の父親として、それまでとは違う時間を過ごしてきたことを知ってから、多喜子は自分の身も同じその時間のなかにあることを感じずにはいられなくなり、また、感じ続けていたいと思うようになった。そして、そのような思いを持つ自分に、誇らしささえ感じられた。自分が晶を産み、育てていることに、はじめて神林の存在によって、言葉を与えられた気がした。
(同、276頁)

多喜子は、「神林から、一言でも多くの言葉を聞き取りたい」と思うようになる。多喜子を充足させるのは、性的対象の異性としてではなく、「父親」としての神林の言葉だ。多喜子自身もそのことを自覚しているつもりだった。だが同時に、もっともっとと、貪欲に多喜子を駆りたてるなにかも感じつつあった。
しばらくして、社内で“山”と呼ばれている、郊外の丘陵にある三沢ガーデンの温室に神林と一泊の出張に行けることになった時、多喜子の胸は強く高鳴った。
出張当日、晶を保育園と母親に預けて“山”へと出かけた。“山”の温室で多喜子は、熱気と凶暴なほどの緑の量、咲き乱れる熱帯性の花々、ジャングルのような樹木の勢いに圧倒される。作業を終えた晩は、麓にある社員の自宅に多喜子も泊まることになっていた。夜中になってほかの社員が酔いつぶれたあと、“山”へ戻ると言っていた神林もトラックの荷台で寝てしまう。
雨でずぶ濡れになりながら心配して神林を探しに来た多喜子は、荷台の幌の下で横になっている神林の寝姿を見つけ、自分も幌のなかに入る。この作品の一つのクライマックスであり、多喜子が初めて自分のはっきりした欲望をつかむ、切なくも感動的な場面だ。

 静かな、心地よい場所だった。しばらくすると、雨に濡れた体が火照って感じられだした。あの体に寄り添って眠りたい。多喜子は神林の体を見つめ続けた。子どもが父親の腕のなかで眠るように、眠りたい。神林が眠っていて、気がつかないうちなら、と思った。
(同、320頁)

同僚として出会い、さらに「父親」と「母親」として特別な絆を深めてきた二人が、どのようなオフィスラブの形を選び、あるいは選べないのか。ぜひ本作で続きを読んでみてほしい。不倫とも、ただの友情とも違う、新しい男女の関係性と家族のあり方が模索されている。

多喜子という主人公は、シングルペアレントが特別な存在ではなくなった現代では、いっそうリアルさを増す女性/母親像だ。
多喜子は一人で子を産み育てる選択をし、逆境のなかで晶を育てることで、社会と出会い直す。そして誰よりも多喜子自身が大きく変化し、成長していく。
誰からも祝福されずに「私生児の母」になったことで、主人公はより強く母親としてのアイデンティティを確立する。その上で、多喜子が母性神話による母子の結び付きからも距離を置いていることが、この作品の現代性を示している。
多喜子は、赤ん坊の晶にとって、育ててくれる人が多喜子でなければいけない理由はあまりないと考えている。と同時に、わが子の重みを感じていたいと常に願っている。
「晶という形でようやく見つけることができた、人と自分をつなげてくれるらしい身の不自由」という多喜子の表現は、私たちが「ママ」あるいは「パパ」というアイデンティティの問題を考える上で、『山を走る女』が示してくれる一筋の光のような言葉である。
この「身の不自由」とは、他人が簡単に語ることは許されないような、個人にとって深く絶望的な不自由さであるだろう。多喜子自身がそうであるように、家族や親子関係による苦しみはいつまでも忘れることはできない。
だが、その同じ「身の不自由」によって、私たちは他者と向き合い、特別な関係をつくることができる。そういう可能性がある、と本作は教えるのだ。

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!
西口想(にしぐち・そう)
1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。
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