2017/07/04 公開

なぜ私たちは同僚を好きになるのか

オフィスラブ小説論 第6回 「泣かない女はいない」

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そういう連載なのだから仕方ないが、そろそろ「オフィスラブ」「オフィスラブ」と連呼されることに読者も疲労の色を隠せないのではないか。なにより書いている私が疲れてきた。ここらでダーティーすぎない、淡くほのかなオフィスラブください、という気分だ。

口直しに入るその前に、なぜ「オフィスラブ」は私たちをどっと疲れさせるのか、これまで書いてきたことを簡単に振り返っておきたい。
まず、原理的な説明。オフィスラブは公私混同である。オフィスという公的空間と人間関係を使って、私的な恋愛を繰り広げる。オフィスの濫用であり目的外使用だから、隠されることが多い。その規範との緊張関係ゆえに疲れる。
次に、具体的な説明。オフィスラブは不倫や浮気の温床である。表向きは仕事であるため、もしあなたのパートナーが職場で別の誰かとそういう関係になっていても、厳重に監視したりチェックすることは簡単ではない。そもそも会社とは外部から閉じられた空間であり、さらにオフィスラブは職場内でも隠されているのだから、オフィスの外の人間からは二重に隠蔽されている。その構造を利用した不倫や浮気を、オフィスで働く者は嫌でも目にしてしまう。それゆえ、オフィスラブが嫌われる。
さらに、労働問題としてもオフィスラブは厄介者である。前回確認したように、細かな階層が入り組み、権力関係にもとづいて労働をするオフィス空間では、「権力と恋愛」が容易に結び付く。仕事ができ、社内の信頼があついということが、その人の人間的な魅力になることは否定できない。特に男性の場合は、それに付随する、組織人としての社会的地位や経済力が性的な魅力として転換されやすい。だが、そうしたオフィス的権力に結びついた恋愛は、セクハラへと転落する危険と常に隣り合わせである。その道の専門家によれば、セクハラは、「結果オーライではなく、結果アウト」の世界である。

以上のような理由から、そもそも私はオフィスラブを推奨する立場ではまったくない。これは何度エクスキューズしても足りない気がする。その後ろめたさはおそらく、私が「オフィスラブ」という現象自体は面白いことだと思っていて、興味をもって様々なオフィスラブの形を検討しているためだ。だからちょっと油断するとお勧めしている感じになってしまう。
それに気を付けた上で、今回は長嶋有の「泣かない女はいない」(2005年単行本刊)を取り上げる。

「泣かない女はいない」は、「ピサの斜塔」についての非常に印象的な書き出しから始まる。小説全体の視座と、語り手の労働観および世界観が凝縮された一節なので、そのまま引用したい。

 ピサの斜塔は完成する前から既に傾き始めていたという。よくみれば塔の上部は辻褄をあわせるように少しずつ角度を変えて、なんとかまっすぐにしてみせようとしてある。
 建設に際し、多くの思惑が交錯した結果だろうか。それとも、携わった誰もがあまりにも何も考えなかったゆえの産物なのか。
 おそらくは後者だろうと睦美は思う。根拠のないのに思うのは、そうであってほしいという期待があるからだ。
 傾いた時点で危険だっただろう。たとえ完成したとしても、いつ倒れてしまうか分からない。それでも一からやりなおしたり、作業を中断したりすることなく完成させてしまった。理性的思考が欠如していたとしか思えない。それが倒れずに幾百年の歳月を過ごしているというのがまた愉快だ。
 細心の注意も、万事よろしく事を運ぼうとする抜け目なさもなく、ただ運のよさだけで立ち続けているということ。なんだかとても救われる気持ちがする。睦美はそう思いながら電車に揺られる。
(『泣かない女はいない』(河出文庫、2007年)、9~10頁)

ときは1999年の9月。主人公の澤野睦美は、新幹線の高架線路脇を走る「シャトル」に乗っている。埼玉の大宮駅から市内を南北に縦断するこの都心通勤者用シャトルは、通路を挟んだ向かいの席の人と膝がぶつかりそうになるくらい小さい。「図面の段階で寸法を一桁間違えたまま作ってしまったのではないか」と睦美は思う。さながら横倒しにされた「ピサの斜塔」だ。
睦美は毎朝、シャトルの利用者の多くとは逆に、大宮駅から郊外へ向かう下り路線に乗る。畑と林と工場と倉庫ばかりが立ち並ぶ一帯で下車し、歩いて「大下物流」の倉庫に併設された事務所に通勤する。

睦美は9月から大手メーカーK電機の下請け会社である大下物流に就職したばかりだ。
この小説では、他の長嶋作品と同様、主人公の一般的・社会的な経歴はほとんど述べられない。だが、さりげなく提示される情報から、睦美が新卒ではなく30歳前後であると分かる。
小説ではそんな言い方はされないが、彼女はいわゆる「団塊ジュニア世代」だ。大学に行っていれば卒業年は90年代前半、つまり、最初の就職氷河期にあたる。
睦美が新卒のときどんな就活をして、どこで働きなぜ辞めたのか(あるいは就職しなかったのか)は明かされないが、パン屋でのバイトを経て、また就職活動をする必要が生まれた。
時世柄、そう簡単に就職できないだろうと構えていた睦美は、二社目で内定が出て拍子抜けする。
しかしその内定の出方がおかしい。これも「ピサの斜塔」的なエピソードだ。

大下物流の最終面接の日、控え室に現れた社長・横田は、睦美の筆記試験の答案をとりだすと、「こんなんじゃ駄目だから」と言って目の前で不正解の箇所に消しゴムをかけ始める。社長は「これから偉い人にみせるから」と言い、「ここに『石油輸出国機構』って書いて」と答案の改ざんを睦美に指示してくる。戸惑いとやるせなさを覚えつつ、睦美が一応従ってみると、間違いをすべて直したあとになって社長は「全問正解だとわざとらしく思えるかな」と言い始め、今度はわざと間違えた答えを3、4問つくることになる……。

入社前からだいぶデタラメな職場である。社長はのちに「最初は男の子を雇ってもらうつもりだったんだけど、上からの許可がおりなくて」と悪びれず睦美に言ってしまうような人だ。

この連載ではこれまで、伊井直行の議論を引きつつ、「オフィス」という場所を細かな階層と複雑なルールが入り組む「ゲームの空間」として捉えてきた。
しかしこう書くと、オフィス空間が、なにか統制のとれた完璧な構築物やシステムだと言われているような気になる。それは働く人多くの実感とは異なるはずだ。
私たちがはじめ、会社に「余所者」として入りこんだときを思いだしてみればよい。仕事と組織について覚えていく過程では、「ここはなんていいかげんでデタラメな場所だろう」と感じる場面がたびたび訪れなかっただろうか。
オフィスでは、一見すべてがオートマティックに動いていくように見える。しかしよく見ると、序列の転倒、統制の破綻、規範の抜け穴、権力関係の小さな裂け目がそこかしこにあり、人々は誰も合理性を説明できない謎の慣習のもとに働いている。

「泣かない女はいない」は、親会社と下請け・子会社、男性社員と女性一般職、正社員とパート社員といった、きわめて日本企業的階層性を物語の枠組みとしている。しかし、この小説が肯定的な意思をもってつぶさに描写していくのは、不完全でだらしない、デタラメな空間としての会社、オフィスである。
冒頭の「ピサの斜塔」のイメージには、人が集まってともに働くときに生まれてしまうデタラメなグルーヴ、「不合理なオートマティズム」のようなものが仮託されている。
そして、本作の主人公・睦美は、そんないいかげんな世界でも破滅せず、何とかなってしまうということに「なんだかとても救われる気持ちがする」という。
睦美がなぜそう思うようになったのかは、読者には語られない。ただ、これまで生きてきた時代、時間のなかで、彼女がそう思うようになったという感触は伝わってくる。

大下物流での睦美の仕事は、毎朝K電機から送られてくる膨大な伝票をチェックし、処理した伝票を(なぜかスーパーの買い物かごに入れて)倉庫に運ぶことだ。
関東で使われているK電機の製品が故障すると、修理品として大下物流の倉庫に集められ、状態を確認してから、修理部門や保管部門に送られる。
睦美が配属された伝票処理係は、彼女を含めた5名の女性社員と3名の女性パート社員で構成されている。ふだん事務所に詰めているのは彼女たちと社長の横田のみである。そのほか、敷地内の倉庫で何人かの男性社員が働いている。
日に一度、睦美が倉庫へ伝票を運ぶとき、男たちはいつも2階で働いている。睦美は鉄の網状になっている2階の床を下から見上げる格好で、はじめは靴の裏と声でしか男性社員たちを認識できない。睦美が伝票を届ける相手は、倉庫係の班長・樋川さんだ。

 大下物流の男性社員はK電機から出向してきた年輩の人間が多いのだと女子社員の一人が教えてくれた(「出向」という部分を意味ありげに発音していた)。
 女子社員は皆、睦美よりも五、六歳は若い。パートは皆四十歳前後の子持ちの主婦だ。つまり職場には睦美と話の合う同世代の仲間は一人もいなかった。
 仲間がいないので昼休みは散歩をした。倉庫の樋川さんの机に伝票の束を置き、パンと牛乳を持って門を出る。残暑はさほど厳しくなかったし、もとより睦美は暑いのも寒いのも気にならない質だ。
(同、20~21頁)

先に、この作品では睦美の「一般的・社会的な経歴」がほとんど語られないと書いたが、睦美がどんな人であるのかは雄弁に語られる。
例えば、睦美は、気の合う同僚がいなければ、昼休みは一人で散歩にでかける。
ほかの女子社員が「怖くてのぼれない」と言った屋上へのはしごに手をかけるとき、(シータは木登り平気だよね)と『天空の城ラピュタ』の台詞を心のなかでつぶやく。
睦美の子どもの頃の夢は、ラーメンマン(漫画『キン肉マン』)と結婚することだった。
職場のラジオで流れたハードロックバンドKISSの曲に反応し、パート社員の佃さんに嬉しそうに話しかけられる。
この作家らしい文化的な固有名詞が、抑制される「社会的な語り」とは対照的に、彼女の人となりを表わすものとして豊かに語られる。それは、この小説がオフィス空間の完成されたゲーム性よりもむしろその不完全さ、ほつれを描いていくこととパラレルだ。これも「ピサの斜塔」の世界と地続きである。

この小説が描く「オフィスラブ」も、それゆえ、いくつかの奇妙で曖昧なエピソードの積み重ねからなる。睦美は樋川さんに次第に惹かれていく。

ある日、睦美は、昼の散歩から引き返してくる途中で蛇を見る。蛇は地味な色の胴体で、保安林の脇道に停まっていた自動車の下から顔をのぞかせ、また車の下に入っていった。睦美が小さな興奮とともに事務所に足早に戻る場面。

 無精髭の男が、睦美の働く三階にきていた。作業服姿だから、倉庫の人だろう。客用の薄いスリッパをつっかけている。同僚の女の子たちは応接室でおしゃべりをしていた。来客などほとんどないので、応接室が女子社員たちの休憩所になっている。
 蛇をみたと睦美がいうと、女の子たちは目を丸くして「えーっ」「ほんとうですか」などと騒ぎはじめた。側にいた無精髭の男は顔色一つ変えずに「どこで」といった。睦美が場所を説明すると
「ふーん」といって素早く階段を降りていった。まるで今すぐにその蛇を捕まえにでもいくかのような動きだった。女の子たちは興味深げなような、興ざめなようなあいまいな表情で仕事に戻っていった。
 睦美は窓から、遠ざかっていく男の背中をみた。
「あの人は?」
「樋川さんだよ。倉庫係の班長」
 あの人が靴底の人か。睦美はふうんと息をついた。
 夕方になって、いつも倉庫でゴトウと呼ばれている若い男が「樋川さんきていませんか」と探しにやってきたので、樋川さんが蛇をとりにいったのではないかという気が睦美の中でますます強まった。
(同、24~25頁)

睦美には3年間同棲している恋人、四郎がいる。四郎は少し前に勤め先をリストラされ、自室でパソコンをいじる毎日を送っている。昼間見た蛇のことを四郎に話すが、「ふーん」と言われるだけだ。睦美は一人布団の中で目を閉じてから、無表情のまま蛇をとりに林を分け行っていく樋川さんの姿を想像する。

睦美が昼休みに敷地の外へ散歩に出かけるように、樋川さんも休憩時間には事務所の屋上にのぼっている。渡し物があって屋上に上がると、樋川さんは、睦美が昼休みにいつも「陽炎の中にすいこまれるように遠ざかっていくのをみてた」と言う。

大下物流の忘年会二次会のカラオケで、皆から歌うようにせめられ、樋川さんはボブ・マーリーの「NO WOMAN NO CRY」を歌う。タイトルの意味を聞かれ樋川さんが言った「泣かない女はいない」という言葉に、睦美は意味も分からずどきりとする。

雪でほとんど誰も出社してこなかった年末のある日、倉庫でフォークリフトの操作を教わりながら、睦美はふいに「いつの間にか自分はずいぶんこの職場の人間を好きになっている」と気づく。彼らとはプライベートで遊んだことも、個人的な打ち明け話をしたこともない。毎日同じ空間で働いているというだけの関係なのに、不思議だ。
睦美のこの気づきは、「同僚」という存在の核心をついていると思う。
同僚は、時に味方であり、たまに敵にもなるが、大半の時間はただ近くに存在する人だ。毎日同じ空間にいるから、職業人として与えられた役割からも、世間的な属性からもはみ出す、その人固有の細部が見えてくる。はじめそれらはノイズであり、よそよそしく鬱陶しい。しかし時間がたつと、同僚の発するノイズを認めることができるようになる。それは同時に、自分がその空間に認められていると感じた、ということではないか。
睦美が自分の恋心に気付くのはだいぶ遅い。彼女にとってこの郊外の仕事場と同僚は、馴染のない、それゆえ興味深い観察対象だった。睦美は自分が同僚を好きになっていることに驚いたあとで、樋川さんへの恋心に気付く。はじめは違和感と不思議さしかなかったのに、いつのまにか自分も「ピサの斜塔」の一部になっていたことに戸惑う。

1999年から2000年に代わるころ、のんびりしていた大下物流の倉庫兼事務所に「改革」の波が押し寄せる。
10時半と3時半に10分ずつの「おやつ休憩」があるなど、睦美から見ても牧歌的すぎるオフィスだったが、K電機本社から不採算部門と見なされ、事務員のリストラが決まり、年明けにはK電機への吸収合併が発表される。気の小さい社長の横田は合併後の事務所では係長になり、本社から感じの悪い新所長がやってくる。この男こそ、睦美が筆記試験の答案を改ざんさせられた理由の「偉い人」だ。
新所長が最初に行った「改革」は、毎日の朝礼でK電機の社是を全従業員に復唱させることだった(しかし「おやつ休憩」はなぜか生き延びた)。
職場には一気に秩序がもたらされた。女子社員たちは口々に「転職しようかな」と言い始める。睦美は「本来あまねく会社組織というものはこれぐらい窮屈なものではないかという気がした」。やはり睦美は、新卒後に働いた会社でそれなりのしんどい経験をしたのではないかと私は思う。それでなければ、睦美がこれほど会社組織というものの細部を観察できる視点をもつ背景が説明できない。

本作が周到に避けてきた社会一般的な語りを少しだけする。
この時期、日本では金融機関や証券会社がバタバタと経営破綻していった。労働分野の大きな動きでは、1995年に出された日経連「新時代の『日本的経営』」を皮切りに、90年代後半は従来の「日本型雇用」の解体が叫ばれた時代だ。1999年には小渕政権のもとで派遣労働の原則自由化が行われ、リストラ支援のための「産業再生法」が制定される。バブル崩壊後の「失われた10年」のただなかで、現在につながるギスギスした人件費カットとデフレマインドの土台を作った時期である。

おそらくその時期に、樋川さんは「電話恐怖症」でK電機から左遷されたという噂だ。「出向」という言葉の含みはそれだったらしい。樋川さん自身も「能力がない」ために左遷されたんだと睦美に語ったことがある。
樋川さんの電話恐怖症エピソードは何パターンもある。家族が行方不明になったときに電話を待ち続けて恐怖症になったという説。歴史的な大失恋が原因という説。K電機の苦情受付係をしていてノイローゼになったという説。睦美はどれも、飄々とした樋川さんの実像とはかけ離れた風説だと思うが、確かに樋川さんが電話をとっている姿を見たことはなかった。

この小説のラストは切ない。
「改革」された大下物流から同僚たちが去っていく。睦美は、四郎に別れを切り出したあと、風邪で数日間寝込んだ。まだ樋川さんには自分の気持ちを打ち明けられずにいた。
病み上がりの朝、家で桜開花のニュースを見ながら、睦美は「蛇穴を出づ」という言葉を思い出す。いつもより一時間以上早く出社すると、事務所にはまだ誰も来ていなかったが、倉庫の扉は開いていた。

 そのとき睦美の正面のシャッターがみしみしと音を立てて開いた。後藤君がフォークリフトに乗って登場した、荷物運搬用のエレベーターだ。
 シャッターが上がりきったが、中には誰も乗っていなかった。睦美が戸惑っていると上から
「乗って乗って」という声がふってきた。樋川さんの声だ。
 睦美が広すぎるエレベーターに乗り込むと、またみしみしと音を立ててゆっくりとシャッターは閉じた。物々しい金属音が再び響き、エレベーターが動き出す。二階でとまると、シャッターを樋川さんが今度は手で開けてくれた。
 二階にくるのははじめてだね、と樋川さんはいった。ウェルカム、というような響き。屋上ではじめて会ったときと同じ。
 樋川さんはいつも歩いているのと同じ足取りで二階をゆっくりと歩いた。
「ずっとここで君を見下ろしていたなあ」
「ずっとみあげていました」
「あのとき車でいいそびれたんだけどさ、仕事やめるんだよ」知ってます。
「まるで引き留められなかった、所長の動かしやすい若いのが派遣されてくるのかもしれないな」そうですね。睦美は上をみた。天井が近い。春の陽光が照っている。身体にまだら模様もできない。
「たまっていた有給を全部使わせてもらうことにしたから、急だけどもうこれでお別れなんだ」
「はい」頷くと、樋川さんは意外そうに口をつぐんだ。
 私、樋川さんのことが好きなんですよ。そういわなければ。四郎には打ち明けて、ここで今いわないなんて。
(同、108~109頁)

睦美は樋川さんに想いを告げられるだろうか。ここまできて言わないなんて選択肢はない、と読者は思うかもしれない。

「泣かない女はいない」は、オフィスで疎外されていたはずの私たちが、同僚をいつのまにか好きになってしまうことの不思議さを淡々と語る小説だ。同時に本作は、同じオフィスで働く私たちが「同僚以上」の関係になることのむずかしさを描いている。
同僚を好きになることと、オフィスラブは地続きではない。当たり前だが、そこには見えない壁があるのだ。


photo by Sai Mr.

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西口想(にしぐち・そう)
1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。
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