2017/05/01 公開

忘れられた名前を呼ぶとき、オフィスラブが始まる

オフィスラブ小説論 第4回 川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」

Pocket

 

小・中学校で同級生だった本田さんと森さんという女の子がいた。私たちは「学童組」だった。2人とも運動神経が良くて、聡明で、笑顔が可愛かった。本田さんと森さんは小中のバレー部でもずっとチームメイトだった。彼女たちはときどき仲たがいもあったようだが、学級崩壊と苛烈ないじめを生き延びた「盟友」だった。
中学2年生の頃だった。学童の頃はあだ名で、小学校高学年になると下の名前で呼び合っていた2人は、ある日、互いを名字で呼び捨てし合うようになる。「ねえ、本田」「なに、森」。はじめはそういう遊びだったと思う。幼馴染で親友の女の子同士が名字で呼び捨てし合うなんて、よそよそしくて不自然だった。本田さんと森さんはその変な感じを楽しんでいた。
2人で名字を呼び合う習慣は中学校を卒業するまで続いた。気づけば名字を呼び捨てし合う女の子たちは少しずつ増えていった。本田さんと森さんはたまに昔のあだ名でも呼び合って笑っていた。でも基本は「本田」と「森」。それがなんだか男同士みたいで、大人っぽくもあり、かっこいいなと思っていた。

私たちの多くは、長い教育期間を終えると、自立して食べていくためにまずどこかで雇われて働く。労働の場では、呼び名の問題は新たな局面に入る。
オフィスという空間は、スクールカーストとも異質の、非常に細かな階層が入り組んだ場所だ。誰の目にも明らかな線があり、にわかには見えない境界もある。
前回も引用した伊井直行の会社員小説論では、こうした会社のなかの複雑な階層性を「ゲームの空間」と呼んでいる。

会社は利益という目的のために、社員を各部署に役割ごとに配置する。つまり、人間をキャラクターに擬してグループ分けを行う。会社はキャラクターが活躍するのに格好の舞台だったのである。これは単なる分業化、機械化とは違う。ホワイトカラーの会社員の場合、特に営業の仕事や経営は、知能も精神力もすべて総動員する必要がある。私人として参加しているわけではないのに、時には全人格が投入される。
 だが、会社はあくまでかりそめの舞台である。私生活は会社の外にある。会社から離脱すれば、それまで会社の中にあって稼働していた会社員としての「人格」は消えてしまう。会社それ自体からして、利益を上げられなければ消えてしまう存在である。ちょうど、キャラクターが、漫画雑誌を閉じ、ゲームをやめ、電源を切れば消えてしまうように。会社は、そういう意味で「ゲームの空間」であると言える。ここで言う「ゲームの空間」とは、現実と無関係ではないものの、現実とは違う特有のルールが適用される閉ざされた領域のことである。(伊井直行『会社員とは何者か? 会社員小説をめぐって』(講談社、2012年)、187頁)

「ゲームの空間」としてのオフィスで働いている人たちは、部署・役職・入社年度・採用形態・性別など様々なカテゴリーに分けられたキャラクターだ。日本では、自分より上部階層の管理職はたんに「部長」、あるいは名字をつけて「○○課長」と役職名で呼ばれることが普通である。その人固有の名前ではなく、いつでも入れ替わりうる役名=キャラクター名で呼ばれる。役名に大した意味がない下級職員は家族の名前=姓で呼ばれる。
人を公/私に分断するオフィスという空間は、まずその人の名前を、役職名・姓と、下の名前とに引きはがす。オフィスが、一人の人間の名前にも「公」と「私」があることを明らかにする。

前置きが長くなったが、オフィスラブを考える上で、「呼び名」はとても重要な問題である。
オフィスでは、私たちは名字か、「機能」そのものの名前で呼ばれることが多い。主任、ディレクター、マネージャー、営業さん、アシスタントさん、佐川のおっちゃん……。キャラクター名が労働のゲーム性を高めている。
オフィスラブ(a.k.a.公私混同)は、そんなオフィシャルなゲーム空間の裂け目に生まれる。私たちが自分に振り分けられたキャラクターに徹している限り、恋愛が発生する余地は小さい。だが、相手をキャラクター名ではない別の名前で呼んだとき、オフィスに亀裂が走り、その場の秩序を形成していたいくつもの階層が無意味になる。ゲームが一瞬バグを起こす。その「別の名前」とは、本来呼ばれるべきではない本当の名前、ゲームの空間では本人も忘れている名前だ。

マナミ、とユキヒコはわたしの名を呼んだ。会議室のくらやみの中で。ブラインドのおりたくらがりの中で。わたしは何も答えなかった。榎本副主任、と名字でしか呼んだことのないわたしの名前を、ユキヒコが知っていることに、衝撃をおぼえた。自分に名前があったことを思い出して、衝撃をおぼえた。ユキヒコにはじめて呼ばれたわたしの名前がすでにして甘く溶けだしていることに、衝撃をおぼえた。わたしは窓の外にあるだろう晴れわたった空を、まぶたの裏にうかべていた。ユキヒコはわたしの上半身を会議室の机の上に横たえた。(川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮文庫、2006年)、70頁)

『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、ある希代のモテ男の恋愛遍歴を、彼と恋に落ちた10人の女性たちが語っていく連作短編小説だ。上に引用した一篇「おやすみ」は、幸彦が20代半ばで経験した、3歳上の直属の上司・榎本真奈美とのオフィスラブを描いている。
真奈美は「仕事において成功したいと思っていたから、社内で恋愛をするつもりはなかった」。この無人の会議室での出来事が起こるまで、真奈美は部下である「西野くん」に好意を示したことは一度もなかった。
でも本当は、彼が同じ課に部下として配属されたとたん、狂おしい恋心を抱いていた。1年と1か月、真奈美は自分の中の熱烈な恋情を抑え込み、人に知られず消滅させようと必死だった。それなのに、部下である西野幸彦は、5月の明るい春の日に「採集家が蝶の翅をひろげ、展翅板に固定するように」いとも簡単に真奈美を手に入れた。そのとき、幸彦は初めて彼女の下の名前を柔らかい声で呼んだのだ。

西野幸彦に恋をした様々な年代の女性たちは、彼と過ごした時間をいつまでも鮮明に覚えている。出会いの印象、恋に落ちた瞬間、彼の声と表情、いつまでも自分のものにならない苦しさ、ほかの女の影、嫉妬と諦め、そして別れの日。
西野幸彦はあらゆる面で申し分ない男だ。男前で、清潔で、優しく、身体はしなやかに筋肉質で、礼儀正しい。大学を出たあとに勤めた商社でも有能で、社内では「信頼される部下、気のおけない同僚、飲みに連れて行ってもらいたい先輩」。それだけでも十分なのに、彼には特殊な才能があった。

女自身も知らない女の望みを、いつの間にか女の奥からすくいあげ、かなえてやる男。それがニシノくんだった。どれもなんでもないようなことだ。望む時間に電話をかける。望む頻度で電話をかける。望む語彙で褒める。望む甘え方をする。望むように叱らせる。なんでもないことであるがゆえに、どんな男も上首尾には行えないようなこと。それらのことをニシノくんはやすやすと行った。いやな男だ。男にとっても、女にとっても。(同、201~202頁)

これは37歳の西野幸彦と「省エネ料理の会」で知り合った、結婚30年の専業主婦ササキサユリの弁。サユリが西野と映画館で遭遇したとき、西野は彼女をフルネームで呼んで驚かせる。2人は映画館を出てお茶をして、好きな映画や本の話で盛り上がり、ときどき電話をする関係になる。サユリは西野が付き合っている女の子たちの話を詳細に聞く。電話をするだけの彼女もまた、西野に嫉妬と執着を抱いていく。
『ニシノユキヒコの恋と冒険』は私たちに、相手の名前を呼ぶこと、特に下の名前を呼ぶことが、いかに恋愛関係にとって本質的なことであるかを教えてくれる。ニシノさん、西野君、ユキヒコ、幸彦……。10人の語り手たちは、甘く、そして苦く切ない記憶を辿りながら、彼の名前を反芻する。それから西野幸彦に呼ばれた自分の名前を、彼の声の響きを何度も思い出す。

名前を呼ぶという行為は、瞬時に「いま・ここ」を飛び越える力をもっている。これまでの人生で他者から呼びかけられた名前が、底流のように、私たちの身体の奥深くを流れている。

保存されているのは自分の名前だけではない。私はこの原稿を書きながら、唐突に、20年近く前の中学生の本田さんと森さんが名字を呼び捨てし合う声を聞いた。そして彼女たちの不思議な成熟について昨日のことのように思い出した。今になって考えれば、それは大人になりかけの少女たちが始めたゲームだったのだ。

そのようにして、私ではない誰かの特別な関係もまた、その名前を呼ぶ声をきっかけに急に目の前に湧き出ることがある。
例えば、西野幸彦と付き合い始めた真奈美が、西野の昔の恋人と会う場面。

「カノコ」とユキヒコは彼女に向かって呼びかけた。わたしはかっとした。なぜわたしの目の前で、なまえを呼ぶの。かつて恋人だったひとのなまえを。そんなに柔らかく。(同、72頁)

西野幸彦は相手の名前を呼ぶことのエキスパートだ。他者との親密な関係はいつも、相手をふさわしい名前で呼ぶことから始まる。西野は、「女自身も知らない女の名前を、いつの間にか女の奥からすくいあげ、呼んでやる男」とも言える。

だが、そんな無敵のモテ男である西野幸彦は、最後は決まって女の子にフラれてしまう。西野と付き合った女性たちは、どれほど西野に思いが残っていてもある日決然と去っていく。彼女たちは皆同じことに気付く。「結局西野くんは女の子をほんとうに好きになるということを知らなかったし、最後まで知ろうとしない」。
真奈美も自分から別れを告げる。別れてしばらく経ったある日、彼女はユキヒコに「どうして僕はきちんとひとを愛せないんだろう」と問いかけられる(このろくでもない台詞が切実に胸に響いてしまうのが、この小説のすごさである)。
真奈美は、愛するひとなんかほんとうは欲しくないくせに、と内心思いながらも「いつか愛せるひとが出てくるわよ」と答える。そして帰り道で一人「かわいそうなユキヒコ」とつぶやく。

『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、きちんと人を愛しきれなかったゆえにかわいそうな、しかしいつまでも魅力的だった男の一代記だ。その恋に満ちた風変りな人生は、私たちがいつも何気なくしている、誰かの名前を呼び、誰かから名前を呼ばれるということの、かけがえのない意味を照らし出してくれる。


photo by Kristen Steffenhagen

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!
西口想(にしぐち・そう)
1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。
運営会社 | Copyright © kaonavi, inc. All Rights Reserved.