オフィスラブの魔法で人生はときめくか

オフィスラブ小説論 第11回 津村記久子「カソウスキの行方」

2017/12/27
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働いて、好きな人を見つけ、新しい家族をつくる。これらは現在でも、私たちの重要な営みであり、関心の対象だ。
連載で確認してきたように、オフィスラブはその仕事/恋愛/結婚という三本の目抜き通りの交差点である。人生の重大事が重なり、摩擦を起こし、本人だけでなく周囲をも揺さぶる。
別であっていいはずの三者が、「オフィス」という空間で一挙に展開するから、オフィスラブは特異な出来事だ。安易と言ってしまえばそれまでの、公私混同の最たるものである。
でもだからこそ、オフィスラブの物語には、特定の時代や場所に生きる、私たちの限られた生がぎゅっと詰まっている。

前回は、雪舟えま『プラトニック・プラネッツ』から、未来のオフィスラブがなぜ「プラトニック」になるのかを考えた。
オフィスラブ小説をめぐる旅も終着点に近づいている。古今のオフィスラブ小説を読んできたいま、私たちが立っている現在地をもう一度確かめておきたい。
今回読むのは、現代のオフィスワークを描かせたらおそらく右に出る者はいない小説家、津村記久子の短編『カソウスキの行方』である。
この小説はオフィスラブ小説の極北かもしれない。『カソウスキの行方』は、“恋愛しない”オフィスラブ小説である。

本作の主人公は、28歳独身の会社員イリエ。新卒で入社した機械部品卸会社でずっと営業事務を担当していたが、ある日「左遷」され、いまは郊外の倉庫で雑用のような仕事をしている。その不遇の経緯は、彼女自身の語りによればこうだ。

 藤村に訊いてみたいと思う。後輩から課長のセクハラに関する悩みのようなものを聞かされ、先輩としての義務感に駆られて部長に訴え出たところ、同席した後輩に、それはあなたの勘違いだとその場で否定され恥をかき、全然別の人間からその二人は付き合っていると聞かされ、気がついたら郊外の閉鎖対象の倉庫に飛ばされて二つ年下の男の下で雑用をしている。いちおう本社では営業事務の女子の中での主任のような立場であったというのに。そういうことになったらおたくは会社をやめるかね、と。藤村ならこう答えるだろう。僕ならそもそも、そんな不倫カップルの軽いプレイに巻き込まれるようなへまはしません、と。それは確かにその通りだ。わたしがおせっかいだったのだ。にしても無辜のおせっかいを巻き込んだプレイっていったいなんなんだ、とやはりイリエは苛立つのだった。同期入社で経理の山野が、その後輩の、自慢はしたいんだけどもそれはできないんだけどもやっぱり言いたーい、みたいな女の子心をわかんなかったあんたの負け、と言っていた。
(津村記久子『カソウスキの行方』(講談社文庫、2012年)、12~13頁)

イリエが心のなかで語りかけている藤村は、ともに倉庫で働く「二つ年下の男」その人だ。
この引用部分だけでも、主人公の性格や勤める会社の雰囲気がなんとなく分かる。
まずイリエは、オフィスラブの巻き込み事故に遭った被害者だ。恋愛の当事者でもないのになぜ事故ってしまったかというと、それが不倫のオフィスラブだったからである。

第3回で見たように、不倫はオフィスラブの代表的なカテゴリーだ。最大の特徴は「人に言えない」ということ。
イリエは後輩の相談内容をセクハラととらえ、正しく勇み足を踏んだ。その結果、不倫している課長の差し金と思しき、口封じ的な異動を強いられる。いろんな意味で最悪の展開だ。

一応彼女の異動には、倉庫存続の必要性を判断するというミッションが与えられてはいるが、それはあくまで名目に過ぎない。いつ本社に戻れるかは不透明。その上、イリエが担ってきた主任級のポストには、相談してきた当の後輩がついたというのだから、なおさらやりきれない。
そんな状況で、イリエは「やめるかね」と半分思い詰めている。ひどい話だが、どこにでも転がっていそうなリアルな設定である。

倉庫での仕事は毎日きっかり定時上がりだ。健康的とも言えるけど、先の展望がないのでつまらない。本社の賑やかさとはうってかわって、同僚は藤村と森川という同年代の男が二人のみ。あとはパートの女性たちで倉庫作業を回している。閉鎖の危機にある倉庫だからか、定年退職した社員の後補充もされていない。
生活はどうかというと、巨大ショッピングモール、畑、住宅地が広がるだけの風景に慣れず、虚しい気持ちになる。通勤の行き帰りは農地を吹き抜ける寒風が骨身にしみる。
イリエは、学生時代の友人で、ショッピングモールのカフェの店長をしているしおりの部屋に居候をすることで、不遇な日々を何とか耐え忍んでいる。長らく恋人もいない。しおりとはこれまで失恋の痛みを共有してきた仲で、「将来的に結婚しなければ家をシェアしてもいいな」と内心考え始めていた。
しかし、ある晩、しおりは結婚が決まったことを告げる。イリエは親友の吉報に喜びつつも、急いでしおりの家を出て、会社が契約する安普請のアパートに入らなくてはならなくなる。ふんわりと描いていた将来像が霧消し、働く意味や人生の目的をさらに見失う。
底冷えする新居で、モールで買ってきたハロゲンヒーターにあたりながら泣きそうになる場面がなんとも切ない。
つまり、ワークもライフもバランス以前の問題で絶不調なのだ。

ここから物語が本題に入っていく。
イリエは、心から幸せそうなしおりを見ながら、あることを思いつく。
しおりはかつて婚約者に浮気され、心療内科に通うほど落ち込んでいた時期がある。それが、好きな人との結婚が決まった今では、別人のように晴れやかな表情だ。
恋愛って、そんなに、人に生きる力を与えるすごいものなのか?
もしそうなら、誰かを好きになることで、私もいまの辛い状況を生き延びられるのでは……?
イリエはこの仮説にもとづき、「満足に意思の疎通ができる男性」をリストアップする。そこから既婚者を除き、自分の性格との相性を考え、消去法でふるい落としていく。
最後に残ったのは同僚の森川だけだった。森川は背が高くてぼそぼそと話す、棒のように鈍重そうな男だ。イリエと同い年だとは思えないほど老けている。どう考えても恋愛感情をもつのは難しそうな相手である。さて、どうしようかとイリエは考えをめぐらす。

 仕方なく、自分自身とのネゴシエイションに入る。どうだHDの空き領域を仮想メモリにあててPCのパフォーマンスを上げるのは自分次第だぞ、と、入社したばかりの頃、死にかけの年代もののパソコンを使わされていた時に覚えたことになぞらえて考えてみる。生活そのものをハードディスクとし、人生への意欲をメモリとする。生活の空き領域をあてて、人生への意欲を仮想的に満たそう、ということである。そのように自分をウィンドウズ98だと思って考えてみたら、そんなに難しいことでもないような気がしてきた。
「よし」
 イリエはむっくりと起き上がる。
 好きになったということを仮定してみる。
(同、40~41頁)

こうしてイリエの、仮想メモリならぬ「カソウスキ」の冒険がはじまる。

社内のオフィスラブの被害者となったイリエが、不本意ながらも、生きていくために仕方なく、自身のオフィスラブを仮想する。
なんともシニカルで奇妙な実験だ。でも、主人公のスタンスはあくまで生真面目で、切実である。
イリエにはロマンティックなものへの幻想がほとんどない。なにせ自分をウィンドウズ98に見立てるくらいである。
それは彼女が、自分の生家も含めて、家族というものに違和感を感じてきたことも影響しているのかもしれない。
イリエは、ショッピングモールで自分と同年代の親と幼子の家族を見て、「まるで異人種のように」感じてしまう。

あなたたちは何年か前までは別の家の人間だったんでしょう。それがなんでそんなに当たり前のように家族でいられるの。ねえねえ。

イリエにとって、恋愛と結婚は決して地続きではない。恋愛によって好きな人と結ばれ、新たな家族をつくることは、彼女にとって現実的でも自明でもない。
住宅や年金や介護といった、人生で避けようがないリアルな問題と比べたら、恋愛も結婚もフィクション(仮想)だ。いわんやオフィスラブをや。だからイリエは脳内で、自分のパフォーマンスを上げるという目的だけのために、オフィスラブを完結させることにしたのである。

とはいえ、現実の森川は、毎日職場で顔を合わせる生身の相手だ。しかも、会社が借り上げている同じアパートに彼も住んでいる。森川は見た目によらず家事万能で、お酢や尿素を借してくれる気のいい男だ。

二人の距離は少しずつ縮まっていく。だがイリエがどんなに「好きだ」と思い込んでも、いっこうに感情はついてこない。
藤村の家に招かれたクリスマスディナーの帰り、アパートの前で森川と別れ、部屋に戻ってから、イリエは「もう少しだけ話をしたかった」と思う。ただの同僚に過ぎないから、用がないと森川の部屋に行けない自分がもどかしい。
年が明けた冬休み最後の日。どこにも行くところがないイリエが、ビールを持ってテレビとヒーターがある会社の食堂へ行くと、先客で森川が来ていた。
二人はビールを飲みながら正月特番を見て、ぽつぽつと自分のことを話していく。このシーンがとても好きだ。
イリエの思考実験としてのオフィスラブは、こうした予期せぬ小さなバグを起こしながら、不思議な結果へと導かれていく。

津村記久子は一貫して、人びとが働く現場を小説に書いてきた。この作家にふさわしい言葉は「働く」よりも「働き続ける」かもしれない。
多くの作品で、主人公は20~30代の女性労働者だ。物語にはこの社会で働き続けることの苦しみや葛藤が刻まれている。
ただし、津村の小説は、単なるリアリズムや深刻さでは終わらない。本作のように、厳しい現実に対峙した主人公の独特な諧謔と想像力が、物語を前へ引っ張っていく。
彼女の小説は、オフィスのなかで起こっているあらゆることをつぶさに観察する。他者を理解不能なまま理解しようする。その繊細で鋭い視線にユーモアが宿るのだが、その分甘い幻想が入り込む余地は少ない。

芥川賞を受賞した『ポトスライムの舟』には、主人公がかつて経験した社内恋愛について触れるシーンがある。
『ポトスライムの舟』の主人公ナガセは、化粧品の製造ラインで契約社員として働きながらトリプルワークをしているが、それでも年収は200万円に満たない。29歳になった彼女が、結婚も子どもをもつことも半ば諦めて、過去の職場を思い出す場面を読んでみよう。

今の生活では、男を捜している時間も、余裕も、つてもなかった。もっと若ければどうにかなったのかもしれないが、その時期は、前の会社での気ちがいじみたパワーゲームと、その後遺症による長い脱力と、新しい職場に慣れるまでに費やされてしまった。付き合っていた同期の男は、今は役職につき、高給を取るようになったらしい。ナガセが、恐る恐る自分の部署で起こっていることを打ち明けると、仕方ないやろ、と男は言った。おまえもそれで金もらってんねんから、仕方ないやろ、と。そうなんかな、とナガセはうなずいた。どうして殴りかからなかったのだろうと今は思う。昼休みの喫茶店での出来事だった。客はたくさんいたから、返り討ちにされることもなかっただろう。
(『ポトスライムの舟』(講談社文庫、2011年)、82~83頁)

ナガセは、新卒で正社員として入った会社を、上司からの凄まじいパワハラによって退社し、再び働ける状態に回復するまでに一年かかっている。

その苦しみの渦中にいるとき、恋人だった同期社員はまったく手を差し伸べてくれなかった。当時の恋人は、目の前の相手の苦しみよりも、彼自身の「仕事観」や社内での立場のほうが大事だったのだろう。
オフィスラブは、ただでさえ職場で不利な立場に置かれがちな女性たちにとって、働き続ける上で何の助けにもならない。それゆえ、オフィスラブによっては、人生は少しもときめかない……『ポトスライムの舟』のこのエピソードはそう伝えているように思える。

しかし、津村は『カソウスキの行方』であらためてオフィスラブを主題にした。なぜだろうか。
この奇妙な短編は、着想からして、「オフィスラブ小説論」の重要な一部をなすものだと思った。
オフィスラブがこれまで溜め込んできたしがらみを整理し、ごみ箱を空にし、来たるべき新たなものへと明け渡す。そうした試みとして読めるのではないだろうか。

私は前回、オフィスラブを「端的に言って時代遅れなのかもしれない」と片付けようとした。
職場における公私の分離は、社会的な課題になっている。具体的には、長時間労働の是正、ハラスメント対策、性差別・マイノリティ差別の防止などが、少しずつではあれ進んできている。
これらの課題について、日本のオフィス空間はあまりにも無頓着すぎた。その一種の裏返しとして、公私混同のオフィスラブ文化が発展したことは否めないだろう。それは現在にもまだべったりと残されている。
だが時代は確実に変わりつつある。オフィスラブが過去の残滓に過ぎないのであれば、もはや言うべきことはなにもないのではないか。オワコンじゃないか、というなげやりな気分に少しなっていた。
そんなとき、オフィスラブの現在地を描く本作を読んだ。決してそうじゃない、オフィスラブの行方をしっかり見据えろよ、と肩をガシッとつかまれたような気がした。
あらためて、オフィスラブってなんだろうか。
この気恥ずかしい問いへの答えも、適切な距離の取り方も、まだ見つけられていない。
私はオフィスラブ世代を親にもつ子供として、自分のルーツを探るように、もうしばらくこの問題に関わってみようと思い直した。


photo by Jevgenijs Slihto

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西口想(にしぐち・そう)

1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。