なぜオフィスなのか?

オフィスラブ小説論  第1回 よしもとばなな「白河夜船」

2017/01/27
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「君さっき、いつもの君を早回ししていたようだったよ。どうしていつもあんなふうに働かないの。」
と彼はたずねた。受けをねらっていろいろな答えを考えたけれど、結局、
「バイトだから。」
という言葉しか出てこなかった。
「よく、わかった。」
と言って彼はまたしばらくくすくす笑った。その低い声が私語をしゃべる時の清潔な響きや、きちんとした動作のまとまりに私は驚き続けていた。今まで、彼のことなんか気をつけて見ていたことがなかったのだ。それから、左手にある指輪にも気づいていた。でもそのことには触れずにお茶を飲んだ。彼が結婚していることに、本当はとてもがっかりしていた。
(吉本ばなな「白河夜船」1989年(新潮文庫『白河夜船』(2002年)所収、75頁))

「白河夜船(しらかわよふね)」は故事成語で、①何が起きても気づかないほどぐっすり眠っていること、②知ったかぶりをすること、という異なる2つの意味をもつ。

主人公の寺子は、「就職した小さな会社があまりにも忙しく、ちっとも彼と逢う時間がとれなくなったので」きっぱりと仕事を辞める。彼女は少しの貯金と、恋人の岩永が毎月振り込んでくれる「びっくりするほどの額」のお金で暮らしている。そして昼夜を問わず眠る。大好きな親友しおりの死のあと、寺子の眠りはどんどん深く長くなる。何があっても起きないが、恋人からの電話のベルの音だけが彼女を眠りから呼び戻す。
岩永は妻帯者だ。妻は車の事故で植物人間になっており、それを寺子にも伝えている。短編小説「白河夜船」は、寺子が昼と夜、生と死、現と夢の2つの世界の境界を往き来しながら、「この世にあるすべての眠りが、等しく安らかでありますように」という祈りに至る、切なく繊細な物語だ。

引用部分は、寺子がアルバイト先の社員・岩永にはじめて惹かれる場面。寺子は有能であることがばれないよう1/3の力で雑務バイトをこなしていたが、日曜出勤したときにふとこのままバカになってしまうかもと不安になる。そこで、オフィスに人がいないのを見計らって全力で事務処理をしていたところ、出社していた岩永に見られる。顔見知りだった2人が、休日のオフィスで新しく「出会う」。

これから「オフィスラブ」、職場恋愛という視点から、現代の作家の小説を読み、紹介していく。なぜ「オフィスラブ」なのか、あなたは気になったかもしれない。当然だと思う。私も書いてみてすでに気恥ずかしい。その疑問や気恥ずかしさにむけて少しずつ投げ返す形で連載を進めたい。
小説でのオフィスラブの描かれ方を読み、オフィスラブについて考えることは、私たちの社会の「仕事」「恋愛」「結婚」という三者の関係について考えることになるだろう。とりもなおさず、オフィスラブはこの三者が交差する一点であり、そこに私の関心もある。
確認するまでもなく、オフィスは仕事・労働をするパブリックな場所であり、恋愛はプライベート領域に属する。「公私混同」と書いて「オフィスラブ」とルビをふれると言っても過言ではない。それが職場の秩序を乱すきっかけとなることは、組織で働いたことのある人なら誰もが了解できるだろう。職場内の恋愛は結婚が決まるまでは隠されることも多い。

では、オフィスラブは職場で忌避されているのだろうか。否、日本はまちがいなく職場恋愛が盛んな国である。その傾向の一端は統計にもあらわれている。

2015年の「第15回出生動向基本調査」(※1)に、初婚同士の夫婦が出会ったきっかけを聞いたデータがある。その回答では、「職場や仕事で」が実に28.1%を占め、「友人・兄弟姉妹を通じて」(30.9%)に次ぐ堂々の2位である。「アルバイトで」(3.7%)を足せば、結婚したカップルの3組に1組は職場・仕事の関係を利用して結婚相手を見つけていることになる。

同調査には1982年から同様の設問があり、出会いのきっかけの推移を見ることができる。
1982年時点で3割近くあった「見合い結婚」(「見合い」と「結婚相談所」)は、80~90年代にかけて大きく落ち込み、2015年には6.5%となっている。対して、「恋愛結婚」は2015年時点で86.7%を占める。この「恋愛結婚」というカテゴリーには「学校で」「職場や仕事で」「友人・兄弟姉妹を通じて」など計7項目にわたる様々な出会いが入るが、そのなかでも「職場や仕事で」という出会いは、30年以上一定して3割前後を占めている。

私の両親は、1970年代後半に職場で出会って交際し、半年後に結婚した。幼なじみKの両親も職場結婚だ。私たちはオフィスラブ時代の子供たちである。
日本で「見合い結婚」と「恋愛結婚」の比率が逆転したのは1960年代後半と言われている。「恋愛結婚」が主流派になった1960年代から70年代にかけ、「見合い結婚」の中身も変わってきたとの研究もある。その頃、従来多かった親族による紹介から非親族型へ変わり、特に都市部では職場関係の友人・知人が紹介者になることが増えたという。

おそらく、今でも「見合い」にとって鍵となるのは(主に男性側の)経済的な保障である。「見合い」の紹介者の属性の変化が戦後高度成長期と重なっているのは、その時期に家族を将来的に十分養っていけるかどうかを保障する主体が「家」から「企業」へシフトしたためだろう。その「経済保障」の重要性は、個人の意思に根ざす恋愛結婚においても同様であろう。国際比較でみても、日本では職縁型のパートナーシップの比率が他国を大きく上回る。

どんどん「白河夜船」の話からずれていくので、ついでに、私が友人の結婚披露宴に出るときに感じる可笑しさについても書いておきたい。

たいてい乾杯の前後にプログラムされる、新郎新婦の上司のスピーチ。夫婦がともに伝統ある企業の社員の場合、それは起こる。上司のスピーチは「○○くんが普段どのような仕事をしているか」で始まり、業界の特徴、厳しい情勢、懸命な働きぶり、有能さ、誠実な人柄、社内での信頼と期待、云々……。新郎の上司につづき、新婦の上司も同じトーンでこの「部下プレゼン」をやり始める。彼女も高学歴のバリキャリ女子だから当然だ。すると、めでたい披露宴の席はとたんに「弊社の有望な社員」を提案する競争入札のような様相を帯びる。(何のバトルなんだ……)。気付くと私はテーブルを囲んでいる友人に「失礼だから笑うな」と表情で咎められている。こういうとき、上司は「披露宴での上司」としての与えられた役割を全うしているだけだ。つまり、会社を代表して、結婚する社員の経済保障を列席者に説明すること。これは女性が結婚後に仕事を辞めるのが当然とされた時代の「型」なのではないか。これも「仕事」「恋愛」「結婚」が交差し絡まってねじれた場面の一つだ。

オフィスラブは、かように職場のジェンダー規範から大きな影響を受ける。女性が結婚退職を前提に「職場の花」として採用された時代、均等法が施行され一般職と総合職に採用区分が分かれた時代、そして一般職の派遣・非正規化が進められた時代。2016年にいたっても、男女平等度合いを示す日本のジェンダーギャップ指数は、144カ国中111位である(世界経済フォーラム発表)。依然として女性の根本的な働きにくさは改善されていない。そんな不平等でいびつな職場が、多くの人にとって出会いと恋愛の舞台になってきた。

こんなモヤモヤを頭の片隅におきながら、小説が描いたオフィスラブを読んでいきたい。私たちは、めまぐるしく変化していくオフィスの時代の恋愛から、多くのことを学ぶことができるはずだ。さあ、幸せを求めて行動する主人公たちと一緒に、ときめいたり胸を痛めたりしましょう。


※表1
office-love-1982-2015
出典:「第15回出生動向基本調査」(PDF)(国立社会保障・人口問題研究所)

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西口想(にしぐち・そう)

1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。