2018/04/04 公開

【後編】「失敗から学んだ、休むという戦略。」野口健(アルピニスト)

失敗ヒーロー!

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華々しい成功の裏には、必ず失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。前編では、野口さんの知られざる若き日の営業マンぶりが明らかになりました。続く後編では、思わず息苦しくなりそうな、死と隣り合わせの山の話を伺います。

スポンサーがいる限り“自己責任”は成り立たない

―スポンサーの存在は時にプレッシャーになったりしませんか?

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野口健(のぐち・けん)
1973年、ボストン市出身。幼少期はニューヨークやヨルダンで過ごす。高校1年のときに登山と出会い、1999年、亜細亜大学在学中の25才のときに当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立。1999年のエベレスト登頂後、登山家たちと清掃活動に尽力。2006年からは富士山、エベレストの同時清掃活動を開始、シェルパ(登山隊の案内・荷役人)遺族補償のためのシェルパ基金を設立。そのほか「野口健環境学校」を開校するなど、環境問題をになっていく人材育成にも力を注いでいる。

野口健(以下 野口): 袖のスポンサーのワッペンが見えるので、ドキッとはします。でもヒマラヤに通っていると、人の死を次々と目の当たりにします。通りがかりに亡くなった方も見ますし、遺体も下ろします。滑落した遺体は首が飛んでいたり、腐ったりしている。死ぬってこういうことかとリアルに感じるんです。19歳のときから毎年葬式に参加しているような感覚がありますね。

無理をして登山を続けて死んでしまったとしても、スポンサーがついているから「自己責任」は成り立ちません。自己責任は自分のお金で行っている人だけに成り立ちます。だからあるとき、自己責任が成り立たないのであれば、「俺には死ぬ自由がないぞ」と思いました。「変に無茶をすればSEIKOさんにえらい迷惑がかかるなあ」と、考えるようになりましたね。

―極限の状態では、「これ以上先に行くと危ない」と察知できるものですか?

野口:それは一番難しいところです。そもそもヒマラヤにいること自体、無理をしていることなので。ヒマラヤに行くときは大概ベースキャンプですでに吐いてますからね。高山病にもなるし、頭だって痛い、周りでは人も亡くなる。

登山は我慢の連続です。23時間かけて登って、6時間かけてまったく同じ道を下りるんです。同じ道の往復はとても辛いものなんです。山の上のほうでは登山者がたくさん亡くなりますし、精神的にもおかしくなります。時と場合に応じて引き返したり、下りることを選択せずに一気に上がったら、意識を失って、シェルパにレスキューされたこともありました。

諦めた瞬間に登山は終わる

―野口さんご自身、失敗したこともあると思います。どのようにして生還したのですか?

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野口:初挑戦のエベレストでは7800メートルで意識がなくなり、血中酸素濃度を測ったら43%でした。血中酸素濃度は正常な状態であれば95%以上ですから普通なら死んでいますね。その数字を見て「ああ、終わったな」って悲しそうな目でみんなが僕を見るんですよ。そのとき、「日が暮れてしまうから、もう先に行け」と僕はみんなに言いました。そしたらシェルパに思い切り怒鳴られて。「諦めたら終わりだぞ!」って。その一言で一瞬、我に返って「助けて!」と思いました。それからロープで宙吊りになりながら、下山を開始しました。でも1時間も経つと苦しすぎて「もう無理だ」と口から漏れ出てしまう。するとすぐに殴られて、我に返る……という繰り返しで。結局、十数時間かけて下山して、無事、生還できましたが、顔には大火傷を負いました。

たくさん人が死ぬのを見てきましたけど、諦めた人から死ぬんですよね。山の上は30分で死ねる世界ですから、諦めた瞬間にすっと逝ってしまうんです。

―よくご無事で……。下山してからも大変でしたよね

野口:失敗したことで、残酷なほど、肉体的にも頭脳的にも、自分にはいろんなことが足りてないことを理解しました。帰国後は肺水腫、脳浮腫で入院して。心身ともにボロボロだったので、もう七大陸最高峰制覇は諦めます、と言おうと思っていました。実際に記者会見を開いたら、やはりいろいろ言われましたね。

そのときの新聞記者で、やたら意地悪な質問をしてくる人がいたんですよ。「売名行為もあったのかな」とか、「田部井さんも三浦さんも、誰もあなたが登れるとは言ってませんでしたよ」とか。いまではその記者ともとても仲がいいんですけどね(笑)。

―どう返答したんですか?

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野口:「やめます」って言おうと思っていたのに、そこでスイッチが入ってしまって(笑)。記者会見の場で、どうして登頂できなかったかを一つ一つ説明していきました。

あの失敗で学んだのは、簡単に言うと、ベースキャンプから下に降りるという発想をそれまで持っていなかったということです。本当に危ないときには下りてどう休むか、休むことにどうエネルギーを使うか。そういうことを考えるべきなんですよね。でも極限状態だと、挑戦することばかりに意識がいきがちなんです。あのときも予算が少なかったから食べ物はあまり持って行きませんでした。でもそれからは食べ物にはお金をかけてますよ。うなぎを大量に持って行こうとか。

―休むという戦略ですね

野口:いかに休むか。緊張感から自分を解放するか。休むための戦略がまるでありませんでした。だから記者会見のあと、自分で発言したことを自分で聞いてみて、考えをまとめていきました。そうしたらつい、「来年また行きます」って言ってしまったんです(笑)。

―また本当に登るんですね(笑)

野口:2回連続で失敗して「申し訳ない」という気持ちと、「死ぬことが怖い」という気持ちの間で揺れました。挑戦するかしないか、そのどちらかで。

挑戦するリスクってあるんですよ。よく学校から、講演で夢を持つことの素晴らしさを語ってくれと言われることがあります。気持ちはもちろんわかります。でも、夢を持つことが単純に幸せなことだけなのだろうかと疑問にも思う。僕は、夢を追いかけたことで死んでいく仲間を見ていますから。

でも、挑戦しなかったら、何が残るのか。散々悪さをした幼少時代までのことを考えてみたら、途中で諦めてしまった場合、あとには何も残ってこなかったことに気づきました。それも怖かった。そのとき、続けるにしてもやめるにしてもどうせ怖いのなら、もうやるしかない、って思いました。

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