【前編】「学生時代の最大のテーマは、どうすれば企業が応援してくれるかを考えること」野口健(アルピニスト)

失敗ヒーロー!

2018/04/03
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華々しい成功の裏には、必ず失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回は、エベレストや富士山の清掃活動でも活躍しているアルピニストの野口健さんが登場。軽妙な語り口から飛び出すのは、死と隣り合わせの山の話だけでなく、スーツを着て飛び込み営業!?していた日々のこと。一体どんな“失敗”を重ねて今があるのか、さっそく伺ってみます。

ペテン師か本物か。「七大陸最高峰を登頂する」と宣言した大学入試

―いまではアルピニストとして大活躍の野口さんですが、子供の頃はとてもやんちゃだったと伺いました。

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野口健(のぐち・けん)
1973年、ボストン市出身。幼少期はニューヨークやヨルダンで過ごす。高校1年のときに登山と出会い、1999年、亜細亜大学在学中の25歳のときに当時の七大陸最高峰登頂世界最年少記録を樹立。1999年のエベレスト登頂後、登山家たちと清掃活動に尽力。2006年からは富士山、エベレストの同時清掃活動を開始、シェルパ(登山隊の案内・荷役人)遺族補償のためのシェルパ基金を設立。そのほか「野口健環境学校」を開校するなど、環境問題をになっていく人材育成にも力を注いでいる。

野口健(以下 野口):小学校の頃から相当やんちゃでしたが、高校1年のときに先輩を殴って停学になりました。1ヶ月の自宅謹慎の間、家にずっといたら火でもつけるかもしれないから(笑)、親父にどこか旅に行けと言われまして。学校の先生からしょっちゅう電話がかかってくるから無理じゃないかと答えたら、先生なんか俺がうまく騙す、俺は外交官だぞ、と。どういう生き方をするか旅に出て自分で決めろ、というわけですね。

そこで京都、奈良、姫路と巡って、特に京都の哲学の道をひたすら歩きました。歩いていると、血行がよくなるからなのかな、いろんなことを考えられる。いまでもなにか考えごとをするときは、歩くようにしています。

―旅ではどのような出会いがありましたか?

野口:姫路に行く途中で、駅の近くの本屋にふらっと入りました。そんなに本を読むほうじゃなかったんですが、『サハラに死す―上温湯隆の一生』(上温湯隆著、時事通信社、1975年)とか冒険的な本は何冊か読んでいて「いいな」と思っていました。そこで出会ったのが『青春を山に賭けて』(植村直己著、文藝春秋、1977年)という本。

著者の植村さん自身も、どこか落ちこぼれだったと思うんですが、これを読んでこんな僕でも、コツコツやればなにかできるかもと思いました。山登りというより、植村さんの生き方に影響を受けてこの世界に入ったんですね。

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―最初から山があったわけではないんですね。初めての登山の思い出はどんなものでしたか?

野口:初めての登山は高校1年のとき。社会人の山岳会の人と一緒に冬の富士山に8合目まで登りました。想像以上に大変で、死ぬかと思いましたね。

―そのときは、楽しいと思えましたか?

野口:映画の『南極物語』で見た景色が広がっていたのが印象的だったんです。僕以外全員大人で、一気に大人の世界に入れたようで少し嬉しい気もして。登っていると、ほっぺに当たる湿度や温度の変化、音に敏感になって、動物化もしてくる。それも、なんだか心地よかったですね。

―それから大学では合コンも行かずに山一筋だったそうですね

野口:大学に入るときに面接で宣言したことが大きかったんです。一芸入試の集団面接で、みんなすごい経歴を披露しているなか、僕は大した実績もなかったので、「大学に入れたら七大陸最高峰を登頂する」と宣言したんです。「1992年に南米大陸、93年北米大陸、94年、96年……」とその場で書いていきました。もし入れたら、必ずやる。できなかったら大学を辞める、と。面接官は最初きょとんとしていたけど、最後には「こいつ本気で登る気なんだ」と納得したと思う。後から聞いた話では、ペテン師か本物か、どっちに転んでもおもしろいから取るか、ということだったみたいですね(笑)。入学して早々に学長室に呼ばれて、学長から「お前は世界に挑戦するんだろう、そういう学生が欲しかった。応援はするが、単位は自分で取れ」と言われたことを覚えています。

学生時代はずっとスーツ。資金は営業で獲得した

―実際、8年かかってご卒業されましたね。どんな学生生活でしたか?

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野口:応援してくれるとはいえ、大学がお金を工面してくれるわけじゃない。高校時代に行ったモンブラン、キリマンジャロの費用は親父が払ってくれたんですが、高校を卒業してからすぐ親父に、「冒険は金がかかる。自分で金を集めるところからやれ。集められないんだったら、山を語るな」と言われました。それがストンと胸に落ちてね。あの植村さんだってスポンサー活動していたよな、と。

スポンサー集めに関しては、5歳上の兄貴に相談しました。そしたら、会社四季報をくれて。そこに会社の連絡先と、業績の良し悪しが書いてあるんです。そこからは人脈もないから、ひたすら電話ですよ。「亜細亜大学の野口健と申します、七大陸最高峰登頂世界最年少記録を目指しております……」とか言いながら。南極は600万円、エベレストで1000万円ちょっとかかる。これだけの費用を自分一人で集めなければいけないんです。

―すごい額ですよね。いきなり電話して、話は聞いてもらえるものですか?

野口:ほとんど会ってくれなかったですね。それでもなんとか会うところまでこぎつけて、登山計画書を作って説明に行きました。高校の山岳部時代には作ったことがないものだったので、兄貴に聞きながらワープロで作成し、コンビニでコピーしてね。

―登山計画書にはどのようなことを書かれたのでしょうか?

野口:エベレストに登りたい、という情熱ですよね。でも大半の会社には「検討します」と言われたきり連絡が来ませんでした。
そんなことをしているうちに、ある会社の担当者にえらく怒られましてね。「この計画書には君のことしか書いてないじゃないか。働くことがどれだけ大変なことか君はわかっているのか。苦労して得た利益をどうして君のお遊びのために使わなくちゃならないんだ」ってね。

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