「相手に対する愛情とストイックさを持って突き進む。それがマネジメントの極意」プラントハンター・西畠清順

弟子入り!マネたまくん

2018/02/21
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今回、弟子入りさせていただくのは……

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西畠清順(にしはた・せいじゅん)
1980年生まれ。兵庫県出身。そら植物園株式会社 代表取締役 。
21歳に日本各地・世界各国を旅してさまざまな植物を収集するプラントハンターとして のキャリアをスタート。年間 250 トンもの植物を輸出入し、日本はもとより海外の植物園、政府機関、企業、貴族や王族などに届けている。2012 年、“ひとのこころに植物を植える”活動・そら植物園を設立。植物に関するさまざまなプロジェクトの依頼を各地で実現し、日本の植物界の革命児として反響を呼んでいる。

おもしろいと思えないと、結局体は動かない

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―幕末から続く花と植木の卸問屋の5代目として生まれながら、転機が訪れる21歳の頃までは、植物には一切興味がなかったそうですね。それまで、家業についてはどんな印象を持たれていたんでしょうか? 

男たちが一生懸命、汗水垂らして泥にまみれてやっているようなイメージでしたね。住み込みで働いていた職人さんたちの姿が印象的で。

―そもそも西畠さんの言う「プラントハンター」とは、どんなお仕事なのでしょうか?

平たく言うと、植物を使ってさまざまなプロジェクトに応えていく仕事です。もうひとつは、依頼に応じて必要な植物をクライアントに届ける仕事。届ける仕事に関しては、相手は植物のプロです。活け花の作家や造園家、ガーデニングの会社、グリーン屋さんなどに植物を供給しています。特に流通に乗っていない植物を取り扱っていて、季節外、規格外、そもそも手に入れにくい珍しい植物などを得意としています。今の時代、たいがいのものが手に入るなかで、手に入りにくいものを探すのが使命ですね。

―プロ相手というのは相当大変ですよね。

そうですね。相手はいろんな植物を見てきた海千山千の業者です。何十年も活け花の先生をしていた人、一流の庭師。そういう人たちに植物を売らないといけない。生半可な知識ではできないからこそ、鍛えられました。まず目利きができないとダメですね。

―そこまで夢中になれるものとの出会いは、どのようなものだったんでしょう?

十代の頃でいうなら、例えば野球で思い切り振ったバットが球を芯でとらえて、想像以上に飛んでいった瞬間とか、自分のタイプのかわいい女の子をぱっと見た瞬間とか(笑)、受験勉強の末に志望校に合格した瞬間とか。そういう、うおー!って思うときがあるじゃないですか。それが、僕の場合は植物だった。自分でも、花を見てすごいと興奮するなんて想像もしていなかったんですが、東南アジア一の山を登って、世界一大きな食虫植物、ネペンテス・ラジャを見たときに、同じような感覚に陥ったんです。

―それが21歳の転機。それをキッカケに、これまで邁進してこられた?

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それが目覚めた瞬間だと思いますね。おもしろいと思わないと、体って動かないじゃないですか。いつかはやらなきゃいけないのかなと漠然と思っていた仕事から、これは自分の天職だとスイッチが入った瞬間なのかもしれないです。

―そこから、「プラントハンター」と呼ばれ唯一無二の存在になられていくわけですね。そもそもプラントハンターと名付けたのも西畠さんなのですか?

いえいえ。最初のブログのデザインをデザイナーの友達に発注したとき、上がってきたものに「プラントハンター」と入っていたんです。友達が僕の仕事のことを詳しく知ってくれていて、そう名付けてくれたんですね。それが始まりです。

―もともとは17世紀ごろにイギリスで生まれた職業で、世界中を旅して王族や貴族に珍しい植物を持ち帰っていた人を指すんですよね

時には危険をかえりみずに木や花を採ってくる仕事だから、たしかにそういう感じかなと納得した部分もあって。ブログを始めた10年以上前の時点ではまだ身に馴染んでいませんでしたが、今は自分自身を表す言葉としてしっくり来ています。

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