テレワークは本当に「新しい働き方」か?

映画は観れないものだから心配するな 番外編

2020/07/06
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新型コロナウイルス感染症が流行し、4月7日に緊急事態宣言が出されて以降、オフィスワーカーの「テレワーク」、なかでも在宅勤務がものすごい勢いで広がった。
これは国から要請された緊急避難的な措置だったから、テレワークの「生産性」や「功罪」などを吟味して判断するような余裕は誰にもなかっただろう。感染リスクを下げるため、とにかく在宅勤務をやってみるしかない、出勤を避けなければいけない、そんな差し迫った状況だった。
それゆえ、テレワークを導入するのに本来必要な環境整備や支援もないまま、ほとんど個人任せになったところも多かったという(私の勤め先もその部類)。

整っていなかったのは、働く側の準備や心構えも同じだ。
EU議会では、自宅からリモートで熱弁をふるっていた議員がウェブカメラの画角を誤り、上はスーツジャケットなのに下はスーツのパンツを履いていなかった姿が話題になった
アメリカのABCニュースのリポーターにも同じ事故が起こったそうで、世界中で起こったこのテレワーク中の「びんぼっちゃま現象」は、もう一つのコロナ禍というべきかもしれない。

ビジネスパーソン憧れの老舗ブランド、ブルックス・ブラザーズは、各国が都市のロックダウンを行っていた4月15日、公式Instagramにこうした状況を象徴するようなプロモーション写真を「#WFH」というタグ付きで投稿した。「WFH」は「Work From Home」(在宅勤務)の頭文字だ。
この写真の男性モデルが着ているのは、ブルックス・ブラザーズの定番であるネイビーブレザー、赤いレジメンタルのネクタイ、ブルーのストライプシャツ。そしてmacbook片手に忙しそうにオンラインで打ち合わせをしている。そこまでは普通なのだが、ジャケットの下は部屋着のスウェットパンツに裸足という格好で、全身を見ると間抜けだ。さらに、ウェブカメラに映らない位置にある、macbookを持っていないほうの手に料理用ボウルと掃除機を抱え、足元にはカゴいっぱいの洗濯物がある。つまり「在宅勤務あるある」。公私が入り混じったマルチタスク状態をユーモアたっぷりに表現した広告である。

私はこの写真をみて、『会社員とは何者か? 会社員小説をめぐって』(講談社)で小説家の伊井直行が示した、「会社員」という存在をあらわす模式図を思い出した。
伊井は、会社員を描いた小説が、会社を舞台にすると家庭や私生活を描けず、家庭を舞台にすると会社を描けないという特徴の本質について分析し、「会社員となった人間は、身体を二つ――「公」と「私」に分断されている。つまり、半身ずつで存在している」と指摘した。それを端的に示すイメージが、人型の真ん中に「会社・仕事」と「家庭・私生活」の2つの領域を分かつ分断線が入り、片方からはもう一方が見えないという図だったのだ。
コロナ禍のびんぼっちゃま現象、あるいはブルックス・ブラザーズの広告写真のユーモアも、この会社員の特徴にもとづく。会社員の身体には公私を分かつ境界線がビルトインされていて、「生活」は「仕事」の側からは見えない、または見えてはいけないはずのものだ。それがあけすけに見えてしまっているから、ズレや違和感が生じる。
社会的混乱のなかで始まった在宅勤務によって、ただの概念図であった伊井の会社員図が実体化してしまったことが面白い。

マネたまでの最初の連載(「オフィスラブ小説論」、『なぜオフィスでラブなのか』として書籍化)で私は、「オフィスラブ」という現象を通して、働く人の公私混同のリアルについて考えた。
オフィスラブ(職場恋愛)は、日本で最もメジャーな公私混同文化だが、基本的には公の場所(職場)で繰り広げられる私的生活(恋愛)である。空間に着目すれば、オフィスのなかに家が持ち込まれる、と言い換えてもよいだろう。
一方、在宅勤務では、家のなかにオフィスが持ち込まれる。同じ公私混同でも、入れ子構造としては逆なのだ。
この「入れ子の逆転」は、例えば、zoomなどでオンライン・ミーティングをするとき、これまで仕事で接してきた相手の背景にそれぞれの生活空間が映ることへのちょっとした違和感として、多くの会社員が実感できるのではないか。これは自宅を仕事場にしてきた個人事業主とは異なる、オフィスに通う会社員の肌感覚だと思う。
プライバシーの問題もあって、オンライン会議でのバーチャル背景が急速に普及したのも、生活という「地」のなかに仕事という「図」が入るように公私の空間構造が変わったためだ。「地」(生活)が気になって「図」(仕事)に集中できないという弊害が生まれている。

こうした機会に、あらためて広い射程で私たちの働き方について考えてみたい。
会社員の本質は、「職住の空間的分離」である。であった、と過去形にできるほどには、会社員のあり方はまだ根本的には変わっていない。
これは逆から言えば、近代的な「会社」が生まれ、会社員としての人生がスタンダードになるまで、多くの人にとって職住は一体・近接だったということ。私たちは昔、家とその周辺で生産活動をしていた。
であれば、今起こっている在宅勤務の拡大は、近代化という点から見れば「新しい働き方」ではなく、むしろ会社員以前の「古い働き方」である。

もちろん、「テレワーク」という文脈に限れば、私の言っていることは暴論に聞こえるかもしれない。
実は、国はもう30年以上も「テレワーク」を推進しようとしてきた。
近年は、少子化問題やワーク・ライフ・バランス、地域活性化、環境問題の解決などに役立つとして、総務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省の4省を「テレワーク推進4省」と位置づけている。「世界最先端IT国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」(2017年5月閣議決定)でも2020年までにテレワークを行う企業や労働者を倍増させるという計画を立てていた。
政府のIT戦略に位置づけられていることからも分かるように、近年のテレワークの定義には「ICTの活用」が必ず含まれている。また、在宅勤務だけでなく、モバイルワーク、サテライトオフィスで働くことなどを総じて「テレワーク」と呼んでいる。
ただ、こうした政府の取り組みは、これまで空振りを続けてきたと言ってよい。
2019年の総務省「通信利用動向調査」では、テレワークの導入企業は全体の2割に過ぎず、テレワーク導入企業のなかでも、従業員の半分以上がテレワークを利用していると答えたのは約1割。ほんの限られた企業と労働者しかテレワークをやっていなかったのだ。
企業がテレワークを導入しない理由で圧倒的に多いのは、「テレワークに適した仕事がないから」(74.7%)。個人調査でもテレワークを実施したことのある労働者は8.4%にとどまっていた。

だが、新型コロナウイルスがこうした状況を一変させた。
政府統計はまだ更新されていないが、緊急事態宣言下で行われた大手リサーチ会社の調査では、エッセンシャルワークと呼ばれる医療・福祉・小売・流通などを除き、ほぼ全ての産業で在宅勤務の実施率が跳ね上がった。
ただ、今回の在宅勤務の爆発的な広がりは、「感染回避」という、テレワークを推進していた誰もが予想していなかった目的で行われた。テレワークに適していない仕事を、適していない状態のまま、無理やり家でやっただけだ。最初に書いたように環境整備も不十分だった。
それゆえ、業務効率が下がり、そもそも仕事にならなかったという声が噴出している。一方で、特に首都圏では満員電車での通勤という人権侵害的な苦役から解放されたこともあり、今後も在宅勤務を続けたいという要望も大きい。

在宅勤務やテレワークは、新型コロナという危機を「奇貨」として、ポストコロナ社会で労働分野の主要テーマに躍り出ると思う。
注意すべきなのは、この変化の射程、影響範囲はとても甚大であり、職住分離を前提としていた会社員の本質にまで及ぶということだ。スーツのズボンをはき忘れていて笑える、という話ではおそらく済まない。
すでに大企業を中心に、社員の職務と評価のあり方自体を見直す動きが出てきている。労働時間管理の問題もこれから噴出するだろう。どんなに楽観的に捉えても、それらすべてが労働者の利益になるとは言えないと思う。
「新しい」「古い」という尺度を飛び越え、新型コロナは、私たちの働き方についてのパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。


photo by Emiliano Horcada

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