『マトリックス』と「モテたい」気持ち

映画は観れないものだから心配するな 第19回

2019/11/28
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映画版『電車男』で、電車男がエルメスに薦めた映画が一つだけある。覚えている人は多くないだろうが、その映画とは『マトリックス』である。
そもそも映画版『電車男』は、見た目や喋り方、多用する2ch用語やアスキーアートなどで主人公のオタク性を描く反面、コンテンツ消費者としてのオタク性をほとんど描いていない。そのなかで唯一挙げられる映画が、なぜ『マトリックス』なのだろうか。
『マトリックス』(ラリー&アンディ〔現 ラナ&リリー〕・ウォシャウスキー監督、1999年)はたしかに、オタク映画作家が作ったオタク的オマージュに溢れる映画ではある。ただ、電車男の趣味を示すにはメジャー作品すぎるのではないかとも感じる。
『マトリックス』公開からすでに20年が経ったいま、あらためて考えてみたいのは、この2作の間に生まれている新しい文脈についてだ。

私は前回、ロマンティック・ラブ作品としての『電車男』を男性版『シンデレラ』に例えた。実は、SFアクション映画である『マトリックス』も、ディズニー映画を意識して作られている箇所がある。
『マトリックス』の主人公トーマス(キアヌ・リーブス)は、大手ソフトウェア会社勤務のプログラマーで、裏の顔は天才ハッカー「ネオ」。現実の世界に違和感を抱きながら暮らしていたネオは、とあるメールをきっかけにトリニティ(キャリー・アン=モス)とモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)という謎めいた男女と出会う。モーフィアスはネオに、現実のように思えるこの世界はAIによって作られた仮想現実だと言い、青い薬(the blue pill)と赤い薬(the red pill)の2つを差し出す。青い薬を飲めばこのまま暮らせるが、赤い薬を飲めば本当の世界で目覚める、と。赤いカプセルを飲んだ瞬間、ネオは2199年頃、大量の人間が生体エネルギー源として眠りながら培養されている世界で目覚め、機械に対する人間の抵抗軍であるモーフィアスたちの工作船に迎えられる。ネオこそが「救世主」(the one)だと考えるモーフィアスは、仮想空間で戦えるように彼を鍛え、コンピュータの支配から人類を解放するたたかいを始める。

2種類の薬を差し出すときにモーフィアスが言う台詞は、直訳すると「赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥深くを案内しよう」というもの。ネオが最初に「白ウサギについて行け」という謎のメールに導かれてトリニティと会ったように、モーフィアスたちはマトリックス(仮想現実)と現実の世界との関係を『不思議の国のアリス』に例えている。
コンピュータの支配する現実世界で目覚めて以降、ネオは「自分はモーフィアスが信じているような救世主(the one)ではないのでは?」という疑念を抱えるようになる。作品内で「救世主」と訳される“the one”は、ロマンティック・ラブ作品では「運命の人」という意味で使われるキーワードだ。つまり、『マトリックス』では、世界を救う者=運命の人であり、この「運命」の存在を疑うことが物語上の葛藤となる。
事実、終盤の戦いでピンチに陥り、眠ったまま生還が危ぶまれたネオを救うのは、「あなたの好きになった人こそが救世主だ」と預言者から言われたトリニティのキスである。ここでは明らかにディズニー・プリンセス映画の古典『眠れる森の美女』(1959年)が意識されている。そして、運命のキスによって主人公を救うのが女性(トリニティ)であるという点で男女が反転しているのは、『電車男』において電車男がシンデレラ側になっているのと同じである。

『マトリックス』で印象に残るのは、序盤の「青い薬と赤い薬」のシーンだ。
近年、アメリカやカナダを中心として「インセル」(incel)と呼ばれる非モテ男性コミュニティの存在が知られるようになった。“involuntarily celibate”(非自発的禁欲)の頭文字から名づけられたインセルは、2010年代以降急速に拡大したネット上のコミュニティだが、そこでのキーワードの一つが『マトリックス』を元ネタにした“the red pill”(赤い薬)なのだという。

2014年5月にカリフォルニアで、「インセル」を自認するエリオット・ロジャーという22歳の白人男性が銃を乱射して6人を殺害、多くの死傷者を出して本人も自殺するというテロ事件を起こした。犯人の残した長い声明文は、人種差別と女性への憎悪の言葉であふれていたという。それ以降、北米では毎年のように、インセルを標榜したりエリオット・ロジャーを英雄視したりする犯人によるテロ事件が起こっている。
インターネット上では1990年代から存在したインセル・コミュニティだが、当初は『電車男』の舞台となった「毒男板」と同じように、シャイで奥手の男女がモテないことの悩みやデートのアドバイスなどを共有する掲示板だった。
非モテであることの苦しみについて議論していたコミュニティから、テロを起こす過激派が生まれてしまったのは、一説によると、男性ジェンダーの生きづらさをめぐる男性学的な議論が紛糾したためだ。「モテたい」と思うのは社会が男性に強いるマッチョで家父長主義的・競争主義的なプレッシャーのせいであり、モテることに囚われすぎるな、といった男性学・フェミニズムを踏まえた意見に対して、それに納得できない男性たちが中心となって激しいバックラッシュを起こしたという。
また、インセル・コミュニティで共有されている孤独感、怒りや憎しみには、「相対的剥奪」(relative deprivation)と呼ばれる「これまでなら当然得られていたはずのものが得られなくなった」という感覚が通底していると言われている。「相対的剥奪」は、トランプ政権を支持するオルト・ライト(オルタナ右翼)や排外主義にも共通点として指摘されている感覚だ。

そうしたバックラッシュの過程で、“the red pill”(赤い薬)という言葉が使われるようになった。「この社会は本当は女性中心で男性は差別されている」「セックスやルックスなどの性的魅力をめぐる競争は生まれつき公正ではない」といった、辛く不快だが「隠されている真実の世界」に目覚めること=「レッドピルを飲む」という意味で。
『マトリックス』の世界観は、いま生きている世界を仮想現実(マトリックス)とし、目覚めるべき真実の世界が別に存在する、というものだ。もちろん作品は作品であり、現実のテロリズムへの『マトリックス』の影響力を過大に考えることは有害無益だと思う。ただ、非モテを主題にした『電車男』と、映画内で電車男が推した『マトリックス』との間には、現在生じている深刻な亀裂の予兆のようなものがあったのではないか。

両作品のロマンティック・ラブの基調となったディズニー・プリンセスの世界は、ロマンティック・ラブ・イデオロギーと現実社会との間の溝を調整し続けた結果、異性愛中心・白人中心・家父長主義的な世界観から離れつつある。
日本のサブカルチャーでは、ロマンティック・ラブは「セカイ系」(社会や国家のような中間項を挟まずに〈きみとぼく〉関係と〈世界の危機〉が直結する作品世界)という形で独自に発展してきた。その意味で、今年大ヒットした『天気の子』において、これまでセカイ系を担ってきた作家たちと「社会問題」という題材との溝がいよいよ明らかになった段階にある。
あらためて言えばこれは、運命の人(the one)という単純で力強い世界観と、私たちが生きる複雑な社会との関係をめぐる問いだ。「モテ」や「運命」といった観念から脱しきれない私たち個人の人生においても、それを照らす物語世界においても、今後ますます切実さを増し錯綜する問題だと思う。


photo by halfrain

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