『東京物語』が語る「幸せ」の不確かさ

映画は観れないものだから心配するな 第17回

2019/09/25
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85年以上の歴史をもつ英国映画協会(British Film Institute)は、著名な映画監督と批評家へのアンケートにもとづく「オールタイムベスト映画(The Greatest Films of All Time)」を10年ごとに発表している。
映画という表現形式が生まれて120年以上。世界中で作られてきた映画のなかから最もすばらしい作品を決める、途方もないランキングだ。
直近の2012年の映画監督へのアンケートでは、『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督、1968年)や『市民ケーン』(オーソン・ウェルズ監督、1941年)、『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ監督、1963年)などのお馴染みのマスターピースを抑えて、なんとある日本映画が1位をとった。その作品とは、小津安二郎監督『東京物語』(1953年)である。
ただ、どうして『東京物語』が史上最高の映画だと賞賛されるのか、この作品が好きな私もうまく飲み込めない感じがある。
一言でいえば、「上京した老夫婦が、成人した子供たちにあまり相手をしてもらえず、最後に母親が亡くなる」というお話だ。夏真っ盛りの東京で田舎の老夫婦がやや酷い目にあう――そんな作品が、なぜ世界中の映画人から愛されるのだろう。

『東京物語』の主人公は、広島の尾道に住んでいる平山周吉(笠智衆)・とみ(東山千栄子)の老夫婦。東京で立派に暮らす子供たちに会いに、はるばる夜行列車で上京する。
夫婦ははじめに、下町で小さな医院を開いている長男・幸一(山村聰)の家を訪問する。幸一の妻・文子(三宅邦子)や孫たちからも歓待されるが、幸一は急病人の対応などで時間がつくれず、せっかく来た両親をどこへも連れ出せない。自宅で美容室を営んでいる長女・志げ(杉村春子)も、初日こそ愛想よく迎えるが、すぐに仕事の邪魔だという態度を隠さなくなる。
東京に土地勘のない老人を放り出すこともできないため、戦死した次男の妻である紀子(原節子)が志げから頼まれ、勤め先の小さな商社で休暇をとって、二人を東京観光に連れ出す。
その後、老親の世話を持て余した志げの発案で、周吉ととみは熱海の旅館に送り出される。見晴らしが良くてゆっくりできると志げたちが褒めていたその温泉旅館では、社員旅行らしき団体客が夜通し麻雀を打って騒いでおり、二人はろくに眠れないまま疲れ果てて東京へ戻ってくる。
予定より早く帰ってきた両親を見て、志げは露骨に迷惑そうな顔をする。美容院の客から「どなた?」と聞かれ、「うん、ちょっと知り合いの者。田舎から出てきまして」と答える場面は、ちょっとヒリヒリする。
行き場所を失った老夫婦は、周吉が東京にいる旧友と、とみが紀子のアパートで最後の一晩を過ごし、翌日の列車で尾道へ帰ることに。しかし、車中で体調を崩したとみは、家についてから数日のうちに危篤になり、亡くなってしまう。母危篤の電報に驚いた子供たちが尾道の生家へ駆けつける。以上が主なあらすじだ。

『東京物語』は、行き先も、目的も、帰る場所も明確だったはずの老夫婦の最後の旅行が、思わぬ形で綻ぶ、奇妙なロード・ムービーだ。
周吉ととみは最後まで「東京旅行を楽しむ老夫婦」という体面をなんとか保っているが、最後にはほとんど迷子に近い状態におかれる。
迷子になった老夫婦の導き役となるのが亡くなった次男の嫁・紀子であることが、この映画の鍵になっている。周吉ととみは、東京の底知れぬ広大さに迷うと同時に、子供たちから存外に冷たく扱われたことで、血でつながった「家族」という関係性においても迷子になっている。
映画の冒頭、尾道の家で周吉ととみが旅の準備をしていると、窓から顔を出した隣人がこう声をかける。

隣人「立派な息子さんや娘さんがいなさって結構ですなあ。本当にお幸せでさあ」
周吉「いやあ、どんなもんですか」

「幸せ」という言葉は、何度もリフレインされる『東京物語』のキーワードだ。この映画の「幸せ」は、ひとえに家族関係がもたらすものであり、たいていは他者から語られる価値観である。
老人たちにとっては、立派に成人した子供たちから大切にされることが第一義的な「幸せ」であるようだ。紀子に再婚を勧める際も「幸せ」という言葉が使われるが、これも家族なしに「幸せ」はないという前提がある。
つまり、「幸せ」を確認するために旅立った老夫婦の放浪が明らかにするのは、家族=幸せという等号の不確かさだ。そして、老夫婦を迷子にさせたのは、子供たちの忙しさ、つまり「仕事」である。

『東京物語』は、他の小津映画と同様、働く女性たちの映画でもある。
美容室を経営する志げ、商社勤めの紀子、主婦業と医院の庶務を兼ねる文子だけでなく、尾道で両親と同居する末娘・京子(香川京子)も小学校の教師をしている。
老夫婦が熱海で遭遇する一団も、半分は女性たちだ。その旅館では、翌朝にふたりの仲居がわいわいと会話しながら部屋を掃除するシーンも楽しい。
幸一や志げが、長旅で上京してきた老親の世話をできないのは、彼らの仕事が忙しいからである。幸一と志げはともに自営業者であり、自宅の一角を仕事場にしているため、空間的にも時間的にも公私を区切りにくい働き方をしている。
経営者である分、臨時休業する裁量もあるはずだが、彼らはそうしない。幸一と志げにとって両親の上京は「お相手する」程度のもので、仕事に比べれば優先順位が低いようだ。決して大切に思っていないわけではないが、つい目の前の仕事と生活に追われ、親の世話を後回しにしてしまう。こう書いてみれば、私にも身に覚えがありすぎる。
対照的に、勤め人の紀子は、義理の両親のためと急遽休暇を申請しても、上司からあっさりと許可される。また、紀子が一貫してとみたちに優しく接するのは、亡き夫の両親という距離感からでもあるだろう。「仕事」と「家族」の両面で、紀子は幸一や志げと対比されるキャラクターなのである。

『東京物語』が描く「仕事」と「家族」の葛藤は、観客の胸をちくりちくりと刺しながら、とみの臨終・葬儀と、不思議と明るいラストシーンを迎える。
葬儀が済むと、幸一、志げ、三男の敬三(大坂志郎)はその日のうちに帰ってしまう。志げは形見の着物をめざとく持ち帰る。一方、周吉と京子が落ち着くまでと、紀子だけ数日間尾道に残る。そして、紀子が東京へ戻る日の朝、末娘の京子とこんな会話をする。

京子「でも良かった、今日までお姉さんに居て頂いて。兄さんも姉さんも、もう少し寄ってくれても良かったと思うわ」
紀子「でも皆さんお忙しいのよ」
京子「でも、随分勝手よ。言いたいことだけ言ってさっさと帰ってしまうんですもの」
紀子「それはしょうがないのよ。お仕事があるんだから」
京子「だったらお姉さんでもあるじゃありませんか。自分勝手なんよ」
紀子「でもね京子さん……」
京子「ううん。お母さんが亡くなるとすぐ、お形見欲しいだなんて。あたしお母さんの気持ち考えたら、とても悲しゅうなったわ。他人同士でももっと温かいわ。親子ってそんなもんじゃないと思う」
紀子「だけどね、京子さん。あたしも貴方くらいの時にはそう思ってたのよ。でも子供って大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉様くらいになると、もうお父様やお母様とは別の、お姉様だけの生活ってものがあるのよ。お姉様だって決して悪気であんなことなさったんじゃないと思うの。誰だって皆、自分の生活が一番大事になってくるのよ」
京子「そうかしら。でもあたしそんな風になりたくない。それじゃあ親子なんて随分つまらない」
紀子「そうねえ。でも皆そうなってくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」
京子「じゃあ、お姉さんも?」
紀子「ええ。なりたかないけど、やっぱりそうなってくわよ」
京子「いやあねえ。世の中って」
紀子「そう、嫌なことばっかり」

「仕事」と「家族」という主題を率直に、正面から語るこのやりとりは、亡き夫を通じて細い糸で繋がっていた紀子が、今後平山家から少しずつ離れていくことを予感させる。
家族と他人の境界線上にいる紀子の言葉は、当時のフィルムに閉じ込められた光とともに、いまの私たちにまっすぐ届く。
「誰だって皆、自分の生活が一番大事になってくるのよ」。
このなにげない一言が、どうしてこんなに切ないのだろうか。
揺らいでいて、迷子になっているからこそ、いままで確かにあったことが分かる。私が『東京物語』から受ける感動には、そんな逆説的な「幸せ」があるように思う。


photo by Andreas Ostheimer

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