『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』を封鎖できません!

映画は観れないものだから心配するな 第13回

2019/05/26
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ジブリ作品などアニメーション映画以外の「実写」の日本映画で、これまで最も多くの観客を映画館に集めた作品は何か。
それは『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(本広克行監督、2003年)である。
1997年のテレビドラマから始まった『踊る大捜査線』シリーズに縁がなかった人には意外かもしれないが、映画2作目で頂点を迎えたその人気ぶりはすさまじかった。
興行通信社によれば『踊る2』の興行収入は173.5億円。実写邦画の歴代記録では次点の『南極物語』(1983年、興行収入110億円)を大きく引き離す、日本映画界の金字塔的な作品だ。ちなみに宮崎駿監督『もののけ姫』の興行収入は193億円であり、アニメーションや外国映画を含めた全体ランキングで『踊る2』は現在も歴代8位(前作『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年)は101億円で31位)に入っている。
国内ではメガヒットした作品だが、海外の映画祭からは完全に無視され、海外配給でもほとんど数字を残していない。これも『踊る』シリーズの面白い特徴である。

『踊る2』は前作同様、テレビドラマ版の後日譚として作られ、主要キャストと設定はそのまま引き継がれている。
主人公の青島俊作巡査部長(織田裕二)が勤務する湾岸署で婦女暴行事件とスリ事件が同時に発生。さらに管内で会社役員の他殺体が発見され、警視庁は湾岸署に特別捜査本部を設置する。その特捜本部の指揮をとるのは本庁初の女性管理官・沖田仁美(真矢みき)警視正。おなじみの室井慎次(柳葉敏郎)警視正は副本部長として湾岸署にやってくる。
『踊る1』は、青島の名台詞「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」で知られているが、5年後の『踊る2』で湾岸署に乗り込んできた沖田は、青島を見つけて最初にこう吐き捨てる。

沖田「あ、あなたね。先に言っておきますけど、事件は現場で起きているんじゃないのよ。事件は会議室で起きているの。勘違いしないで」

前作を観ていない観客はいきなりポカーンである。『踊る2』の雰囲気をなんとなく思い出しただろうか。
真矢みき演じるキャリア警察官僚・沖田仁美の、このムダに嫌な感じ。彼女のキャラクター造形が本作の肝だ。
この場面の少しあと、室井と青島が会話する。

室井「所轄にああいう物言いをしてすまない」
青島「今度の本部長ですか?」
室井「上が彼女を抜擢した。警察官僚に男女の差がないことを広報するためにな」
青島「政治ですか」「俺待ってますから。室井さんが上行って変えてくれるの。捜査から政治とりのぞいて、俺たちとの風通し良くしてくれるんですよね。現場が正しいって思うこと、やれるようにしてもらわなきゃ。だから怪我しても戻ってきたんです」

沖田仁美管理官は、当時は「男女共同参画」(男女共同参画社会基本法の施行が1999年)、いまの言い方だと「女性活躍」(女性活躍推進法の施行が2015年)の政策的流れにうまく乗った女性という人物設定だ。
「女性である自分を登用すれば組織イメージが良くなる」と自ら「上」に売り込み、専属カメラマンを引き連れて広告塔として振る舞う。男社会である警察組織のガラスの天井を突破しようとする警察官僚だ。
主人公の青島は、そんな沖田と彼女を利用する上層部の行為を「政治」と呼ぶ。青島にとって「政治」とは、自分の本分である現場の捜査の正義を阻害し、組織の風通しを悪くする、「とりのぞかれるべきもの」である。

『踊る大捜査線』シリーズが日本社会に残した影響は多くあると思うが、その重要な一つに、「キャリア」という公務員の業界用語を日本中に知らしめたことがあるだろう。
「キャリア」は英語由来で「経験」「職業」「職歴」などの意味で使われるカタカナ語だが、官僚の世界では幹部候補生として採用された特権階級を意味する。国家公務員であれば旧「国家公務員Ⅰ種試験」(現「総合職試験」)に合格したあと各省庁に採用されるほんの一握りのエリート職員だ。その他の9割以上は旧「Ⅱ種・Ⅲ種試験」(現「一般職試験」)に合格して採用される職員で、「キャリア」ではないという意味で「ノンキャリア」「ノンキャリ」などと呼ばれる。
民間企業でも「総合職」と「一般職」などの区分で、少数の幹部候補生を別枠で採用してその後の処遇を差別することは普通だ。ただ、全国に無数の職場とポストがあり、それぞれが行使する権力によって細かく階層化されている公務員の世界では、キャリアとノンキャリの区分はより厳格な身分制として機能している。
キャリアにはキャリア専用のポストが用意されている。ノンキャリとは昇進のスピードが新幹線と鈍行列車くらい違うため、誰がキャリアなのかは明示されなくても一目瞭然だ。その壁は実績や努力ではどうにもならない、まさに組織のなかの階級であり身分なのである。
『踊る』シリーズは、刑事ドラマの世界に新たに「会社員の悲哀」という要素を、具体的には「超えられない身分の間のドラマ」「組織のしがらみ」を持ち込んだ。警察官をサラリーマンとして描き、見事に大衆的なエンターテインメントにした作品として知られている。

『踊る』では、「事件」の内容や真相ではなく、それが「会議室」で起きているのか「現場」で起きているのかという問いが最も重要になる。
考えてみれば奇妙な問題設定だが、それが『踊る』のおなじみの主題である。つまり、「指揮するキャリア=会議室」vs「指揮されるノンキャリ=現場」という組織内のヒエラルキーと階級闘争、そしてその壁を越えようともがく青島と室井のバディ物語として作られている。
特に映画版になると、個々の事件の発生から犯人探し、解決に至るプロットはミステリー・サスペンスドラマとしては完全にでたらめだが(海外に受けないのはこれが原因でもあるだろう)、そもそもそれは主眼ではないのである。
『踊る』が大ヒットした社会的な文脈には、90年代以降に日本でも顕在化した新自由主義的な官僚制批判があるだろう。
数々の官僚の不祥事、縦割り行政の問題、リスクや責任を取らないトップ……硬直化し腐敗した権力に対する世論の視線を物語上でなぞりつつ、だが現場(青島)は泥水をすすりながら正義のためにたたかっていること、そして腐敗した会議室(室井)にも一筋の希望があること。単に官僚制を批判するだけでなく、それを組織で働く人みんなの問題に敷衍し、ワーキングクラスヒーロー・青島が労働者=観客を励ましたからこそ、『踊る』シリーズは熱烈に支持されてきたはずだ。

『踊る』シリーズにはたくさんの登場人物と小さなエピソードが詰め込まれているが、作品のメッセージとしては「現場と会議室」に尽きる。
この単純さによる弊害が端的に表れているのが、『踊る2』に登場する沖田仁美管理官だ。
男女共同参画/女性活躍に「乗じて」抜擢された沖田は、青島たち湾岸署の警察官をまとめて「所轄」と呼び、露骨に差別的な扱いをする。
「所轄」にのみ徹夜での警備を命じる。現場の小さな事件を重んじる青島を感情的な子供のように見なして侮辱する。ノンキャリを仲間ではなくコマと見なす。自分の判断ミスで青島の同僚・恩田すみれ(深津絵里)が撃たれても「使えなくなったら補充して!」と言い放つ。
キャリア官僚、エリート階級のネガティブなイメージが特盛りでぶち込まれたようなキャラクターだ。
もちろんこんなトップでは組織を率いることはできない。沖田は指揮に失敗したと見なされ「上からの命令」で特捜本部長を解任される。それは誰が見ても本人の傲慢さが招いた自滅である。
だが、冷静に考えてみればおかしい。沖田がここまで組織マネージメントや人心掌握に拙いのはとても不自然である。人を動かすことこそが沖田たちの仕事であり、警察官僚になった当初からエリート教育を受けてたたき込まれてきたはずの専門技術だからだ。

つまり沖田の自滅は、官僚組織のリアリティを犠牲にした、単なるドラマ上の都合と考えられる。そして彼女が「女性」として登場したのは、それがドラマにおける伝統的な役割であるためだろう。沖田は悪役(ヴィラン)なのである。
ディズニー映画で伝統的に変装した魔女として描かれてきたヴィランは、主人公たちの関係構築を邪魔する、物語に欠かせない人物だ。プリンセスストーリーでは主人公と王子様がくっつくことをあの手この手で阻もうとする。
では、ヴィランである沖田管理官が邪魔する関係性とは何か。言うまでもないが、青島と室井の絆であり、『踊る』シリーズの主題となっている階級間の連帯である。それはホモソーシャルな絆だ。彼らの絆を断ち切ろうとしたがゆえに沖田は自滅し、沖田に代わって本部長についた室井が事件を解決して映画は終わる。
『踊る2』の連続殺人事件の真相が、会社をクビになった「負け組」からの会社役員=「勝ち組」への復讐であったというとってつけたような種明かしも白々しいが、レインボーブリッジ上で交わされる青島と犯人グループとの最後のやりとりで観客はさらに白眼になる。

犯人たち「お前らの組織は橋ひとつ止められねえのか」
青島「君らにはリーダーがいないんだってな」
犯人たち「ああ、究極の組織だ」
青島「俺の組織にはリーダーがいる」
犯人たち「なら、俺らの勝ちだな」「リーダーなんかいると、個人が死んじまうんだ!」
青島「どうかな。リーダーが優秀なら、組織も悪くない」

そして無線でこの言葉を聞いた室井の表情が映る……ここにいたると、もはや組織論でも何でもない。愛の告白だ。
邪魔で邪悪な女を排除して、男たちの絆が回復する。沖田管理官をヴィランにしたこの主題の回帰は、ジェンダーの視点から見れば見事なほどにミソジニー(女性嫌悪)の物語である。
だが、『踊る2』のエンタメ化されたミソジニーは、現在の私たちの職場や「女性活躍」に対する視線という点では、残念ながら少しもリアリティを失っていない。
この映画が2019年に至っても日本の実写映画の興行No.1であり続けていること。その事実を重く受けとめ、私たちは追い詰められたときの室井の表情になるしかないのである。


photo by Carmine.shot

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