不倫がまだ『失楽園』だった頃

映画は観れないものだから心配するな 第10回

2019/02/26
Pocket

 

物心ついてからこの社会はずっと「不倫ブーム」である。
芸能人の不倫報道が絶えず盛り上がり、不倫をテーマにしたドラマ・映画・小説・漫画が次々にヒットする。ネット掲示板でも居酒屋でも不倫の悩みは常に大人気トピックだ。
私の知る限り四半世紀は続いているのに、不倫がいつまでも慣習や文化として落ち着くことなく「ブーム」であり続けているのはなぜだろう。「不倫」という言葉につきまとう後ろめたさや、激しく儚いイメージとなにか関係があるのだろうか。

芸能スキャンダルを別にすれば、私の世代の「不倫」イメージの原型をつくったのは、映画『失楽園』(森田芳光監督、1997年)だと思う。
渡辺淳一の同名小説を原作とする『失楽園』は、濃厚な性描写のある「不倫映画」ながら、97年の邦画興行収入で『もののけ姫』に次ぐほど大ヒットした。
当時マスメディアを中心に「失楽園ブーム」が起こっていたのを覚えている。私たち中学生男子も「失楽園っぽい」絡みの真似をしてふざけていたが、それは断片的な情報による『失楽園』のイメージだった。あれほどエロいものに関心が集中していた時期に、たぶん誰も映画をまともに観ていなかった。
30半ばになり、「不倫」が身近にありふれた出来事になったいま『失楽園』を観ると、なぜこの映画を観逃し続けてきたのかが理解できる。それは、濡れ場や心中シーンなど見かけの派手さとは裏腹に、「会社員の悲哀」という子どもにはどうでもいいテーマを持つ映画だからである。

『失楽園』の主人公・久木祥一郎(役所広司)は、大手出版社に勤める50歳のベテラン編集者。雑誌の編集長として多忙を極めていたが、ある日左遷され、現在は同じく出世コースから外された中高年男性社員が集まる「調査室」で昭和史の編纂をしている。閑職にいても高水準の給与は保障されているようだ。
家族は、自宅でデザインの仕事をする妻と、結婚して家を出た娘がいる。
久木は人生を懸けて打ち込んできた仕事の展望を失い、典型的な「中年の危機」(ミッドライフ・クライシス)に直面している。彼が腐らずに淡々としていられるのは、会社の外で新しい恋愛というエネルギーの使い道を見つけたからだ。
久木の不倫相手は松原凜子(黒木瞳)という38歳の女性。凛子は書家で、カルチャーセンターで書道講師をしている。医師の夫と25歳のときに見合い結婚をし、子どもはいない。家では忙しい夫の世話を一身に焼いてきた。久木とは夏に知り合ってまもなく恋に落ち、肉体関係を持った。
久木と凜子はそれぞれの配偶者に嘘をついて出かけた小旅行中、こんな会話をする。

久木「そりゃ、僕だって喧嘩くらいするさ」
凛子「あなたが?」
久木「営業とはしょっちゅうやり合ってたよ。敵は売れればいいという考えだし、こっちはいいものを作りたい。おかげで暇になったというわけだ」
凛子「良かった。あなたが暇でいてくれて」

2人は微笑み合い、もう一泊予定を延ばすことを決める。
久木にとって、凜子との不倫の恋は、会社で左遷されたという不安や空虚さを埋め、現在の自分を肯定し癒してくれるものとして描かれている。

この映画は、2人の逢瀬の場面を除くと、久木の会社と互いの家庭でのシーンを中心に展開する。会社(公)と家庭(私)のどちらにも情熱を注げなくなった2人が、公私の狭間に転落するように恋に落ちていく――この構造はまさに不倫に典型的なものだが、『失楽園』は特に久木が会社に居る場面に比重を置いている。
久木の同期社員の水口(平泉成)は、会社員映画『失楽園』にとって重要な登場人物だ。水口は久木の後任の編集長として雑誌の部数を伸ばしていたが、突然子会社への転籍を命じられる。
神保町の喫茶店・さぼうるで、水口は「サラリーマンなんて他愛ないものだよな」と久木にこぼす。「もうこんな奴要らんと思われたら、紙屑のように捨てられる……」。
同じ失望を味わっていた久木は、「夏果てて、秋の来るにはあらず」(夏が終わってから秋がくるのではない)という『徒然草』の言葉を引いて同僚の愁訴に応える。
「自然も、会社の人事も、ある日突然動くように見えるが、その底ではすでに前から動いていたのに、こっちが気づかなかっただけなのかもしれん」。
『徒然草』のこの言葉は、人の生老病死が自然の移り変わりより速いスピードで展開することを述べている箇所だ。
まるで久木が予言したかのように、このあと水口に末期ガンが見つかってあっという間に亡くなる。社内では理不尽な異動のストレスのせいではないかと噂される。
そんな水口が遺した辞世の句は、「燃え尽くるほどの恋なき枯野かな」である……。

サラリーマンの悲哀meets文化系おじさんの夢。言葉にするとヤダみがすごいが、彼らの欲望の対象となる凛子の物語も確認しておこう。
久木と凛子は、ついに2人で過ごすためのマンションを借りる。同じ頃、凛子の夫は、探偵事務所に依頼して集めた不倫の証拠を突きつけ、それでも離婚する意思はないと凛子に告げる。苦悩する凛子が久木に状況を打ち明ける場面。

凛子「好きな人を愛するのは自然でしょ」
久木「もちろん。嫌いな人を愛するなんて無理だ」
凛子「それなのに、一度結婚したら許されない。夫以外の人を愛したら、とたんに不倫だとかふしだらだとか言われてしまう。愛せなくなったのはいけないけど、でも途中で気持ちが変わることだってあるでしょう? 愛せなくなった相手と無理にいることは、かえって相手を傷つけて裏切ることになるわ。こんなに本気であなたを好きなのに。それでも不倫としか言われないの?」

凛子にとっての「結婚」は、久木にとっての「会社」と同じくらい、自分の意思ではどうにもならない堅牢な牢獄であるようだ。『失楽園』では「会社」と「結婚」が同種の軛(くびき)として描かれている。この構図ゆえに、恋に落ちた2人は精神的にも連帯・共闘でき、そこから抜け出すことが物語の出口になるのである。

『失楽園』が大ヒットしたのは、広範な年齢層の女性客を獲得したからだと言われている。現実で考えれば久木のような人物は気味が悪い気がするが、映画においては演じた役所広司の絶妙な「枯れ方」がセクシーで、そこも支持されたのだろう。濡れ場でも奇跡的なまでに汚らしさや嫌らしさを感じないのである(思えば『タンポポ』での怪演も役所広司だった。90年代以降の男性性の「顔」を担ってきたこの俳優の特別さについて、そのうちあらためて書いてみたい)。
また、物語のレベルで新鮮な驚きを感じるのは、20年前は「会社」と「結婚」が同じような牢獄であるという話に多くの人が乗れていたということだ。
現在の観客はおそらく、この前提に乗れる人と乗れない人とで大きく分かれてしまうだろう。そこから逆に、この20年あまりで何が変わったのかが見えてくる。
おおざっぱな言い方をするなら、人生における「安定」の代名詞だった「会社」や「結婚」は見かけよりもあっさりと壊れる、ということに気づく人が増えた。堅牢でも牢獄でもない、と。
だから2019年の『失楽園』では、久木は悲劇の主人公のような顔をせずさっさと転職先を探すし、凛子も夫の反対などにかまわず離婚するだろう。久木の妻や凛子の夫にも不倫相手がいて、流行りの「ダブル不倫」になっている可能性もある。
転職や離婚によって想像していた人生から外れ、築き上げたものを失い、大事な人を傷つける。その苦しみが避けられないことには変化はない。だからといって、それで心中するというのは観客の共感も憧れも得られない。「不倫」はもはや禁断の夢ではないからだ。2人のその後の人生の物語を観客は求めるだろう。
『失楽園』が生んだ激しく破滅的な「不倫」のイメージは、この20年の仕事や結婚をめぐる変化を吸収しながら確実に変わってきたように思う。


photo by Steve @ the alligator farm

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!
西口想(にしぐち・そう)

1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。