『桐島、部活やめるってよ』は労働の物語か

映画は観れないものだから心配するな 第7回

2018/11/29
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私の通っていた中学校の体育館には「良きプレーヤーである前に、良き中学生であれ」と大書された横断幕が貼ってあった。バスケ部だったから、それを横目に毎日コートを走っていた。あの頃に感じていた変な息苦しさをいまでも時々思い出す。
劇場公開時に『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八監督、2012年)を観たとき、私はかなりびっくりした。この映画は、日本の中高生の「部活」と、大人にとっての「会社」が、ほとんど同じものであることを言外に描いていたから。
毎日決まった時間に所属先に集まること、「目上」の指示に従順に従うこと、才能と実力によって役割を振り分けられること、組織内外の細かな序列や暗黙のルールを察すること――「会社」で必要とされるものはすべて、「部活」が子どもたちにたたき込む。
部活にとって、スポーツや楽器それ自体が将来の仕事につながるかどうかはもちろん重要ではない。労働者として求められる資質の育成こそが肝なのだ。この異色な青春映画の登場人物たちが「部活」をめぐって苦しんでいる不安はだから、労働に対する実存的な不安だ。ノスタルジーや感傷ではなく、大人になった私たちも毎日向き合っている不安、心の揺れを描いている。

『桐島、部活やめるってよ』は、地方の公立進学校に通う17歳の高校生たちの群像劇だ。
秋から冬に変わる頃の放課後、バレー部のキャプテンで美人の彼女がいる「桐島」という男子高校生が、誰にも相談せず部活を辞めた、というニュースが校内を駆けめぐる。
スクールカーストの頂点にいた桐島の突然のドロップアウトは、バレー部のチームメイト、桐島の恋人や友人たちだけでなく、桐島とは直接の交友がなかったブラスバンド部や映画部などの生徒たちにまで、静かな衝撃波となって、校内の人間関係を揺さぶっていく。
映画は、金曜日から火曜日までの出来事を異なる登場人物の視点から何度も語り直していくが、当の本人である「桐島」はラストまで姿を現さない。カリスマ的な中心人物の「不在」について視点を変えて語っていく構成は、朝井リョウの原作小説を映画的に踏襲したものだ。
『桐島』が面白いのは、桐島が「やめる」のがただの「部活」でしかないことである。
確かに、高校2年生の2学期は、3年生が引退して少し落ち着いた頃。新キャプテンが突然やめれば、それなりに波紋を与えるだろうことは分かる。でも、桐島は県選抜に選ばれるほどの選手だったとはいえ、スポーツ推薦を狙っていたとかプロになろうとしていたわけではない。
高校生が部活をやめることがなぜ大事件となり、学校という小世界をこれほど動揺させるのか。彼らにとって「部活」とはいったい何なのか。それがこの作品のテーマだ。

『桐島』は、前回取り上げた『寝ても覚めても』の主演俳優・東出昌大の映画デビュー作である。東出は、桐島と同じ「上」のグループの一人・菊池宏樹を演じている。
宏樹はかつて野球部のエース新入生だったが、野球を続ける意味を見いだせず練習に行かなくなった。いまでも野球部の大きなエナメルバッグで通学し、放課後は毎日、帰宅部である竜汰(落合モトキ)や友弘(浅香航大)と一緒に校舎の中庭でバスケをして時間を潰す。彼らは桐島の部活終わりを待ちながら、「部活」の意味について議論している。

友弘「部活じゃ養えない何かがあるんだって。な、宏樹?」
竜汰「部活とか関係ないと思うけどね、結局はだってそいつの人間性じゃん」
友弘「そうだよ、そうだけど。つうか、なんでこいつ同じ帰宅部なのに反論してんの?」
宏樹「俺はアリだと思うからね、部活は部活で。あ、桐島とか?」
竜汰「あ、そうだよ、桐島は? 部活やればキャプテンだし、女だって梨紗だよ、飯田梨紗」
友弘「梨紗ってさ、中学のとき大学生と付き合ってたってほんと?」
竜汰「知らん。いやでも、ありえるな……。うわー軽く勃起してきたわー」
宏樹「だから結局、できる奴は何でもできるし、できない奴は何にもできないってだけの話だろ」
竜汰「お前……それできる側だから言えるんだぞ、そんな残酷なこと」
友弘「あ、でもやめたんでしょ、あいつ」
宏樹「ん?」
竜汰「何を?」
友弘「バレー部」

制服をおしゃれに着崩し、目立つ女子グループと一緒に遊び、帰宅部なのに体育の授業のサッカーがうまい。そんな「上」のグループの彼らでも「部活」に入っていないことを気にする。部活に入らない自由と引き換えに、「○○部」という学校内の所属先、部活というアイデンティティがないことに漠然とした不安を感じている。
高校2年生の秋は進路希望を書く紙が配られる。将来の進路を考えればなおさら、仕事や進学につながるわけでもない「部活」に毎日拘束されることはバカバカしく思える。でも内心では、部活に入っている同級生たちが無心で何かに打ち込んでいる(ように見える)ことがうらやましい。
宏樹は、17歳という年齢特有のジレンマを体現した人物だ。イケメンで、運動神経に恵まれ、校内でも目立つ存在の彼女がいて、スクールカーストの「上」のグループにいるが、「部活」の内にも外にも出られずに悶々と過ごしている。学校という小さな世界に嫌気がさしながら、そこで何もできない自分こそが誰よりも中途半端で空っぽであるとも感じている。

練習試合があるたびに宏樹に声をかけてくる野球部の3年生の主将は、夏の引退試合が終わった後も「まだドラフトが終わっていないから」と練習に出続けている。夜、路上で一人トレーニングに打ち込む主将に出くわした宏樹は、見つかりそうになって思わず物陰に隠れる。やましいことは何もないのに。このシーンが地味に切なくて良い。

カーストの「下」である映画部の前田涼也(神木隆之介)と宏樹が初めてまともに会話するラストシーンも好きだ。
涼也の8mmカメラをかまえて、ふざけて彼に「将来は映画監督ですか?」とインタビューしていた宏樹は、反対に涼也からカメラを向けられ「やっぱかっこいいね」と言われる。その直後、涼也のファインダーの中で、宏樹が「いいよ、俺は……」と急に涙を流す。キラキラした表情で映画への愛を語るオタクの同級生より、自分をみっともない存在に感じてしまう。
思えばこのシーンを観た時から、私は俳優・東出昌大のファンになったのかもしれない。

先日、経団連が就活開始時期の目安を示すいわゆる「就活ルール」の廃止を検討しているとのニュースが話題になった。これをきっかけに、長らく続いてきた新卒一括採用慣行の見直しの議論がさらに加速するのだろう。
きっとまた、日本の大学は職業教育が不十分だとか、これからは在学中のインターンシップを通じて就活と学業双方の質を高め合う時代だとか、そうしたもっともらしい議論が繰り返される。
一方で、日本の就活市場では長らく、ある特定の職業スキルがあることより、組織のなかで柔軟に何でもできる能力が求められてきた。そのための訓練は、実は中高生の頃から「部活」という名前で始まっている。
桐島や宏樹はその後、どういう進路に進んだのだろうか。学校や部活という息の詰まる小世界からやっと脱出できても、大学や就職活動、就職した先の企業で、また何かに属したり属さなかったりする境界の苦しみを味わうかもしれない。そんなとき、この高校時代をどんな気持ちで思い出すのだろう。


Photo by A_Peach

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西口想(にしぐち・そう)

1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。