『そして父になる』の「格差」のリアリティにモヤモヤする

映画は観れないものだから心配するな 第2回

2018/06/27
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日本時間で2018年5月20日の未明、是枝裕和監督の新作『万引き家族』が第71回カンヌ国際映画祭の最高賞(パルムドール)を受賞したとのニュースが駆け巡った。日本国内で制作された映画のパルムドール受賞は1997年の『うなぎ』(今村昌平監督)以来、実に21年ぶりの快挙だという。
是枝裕和はカンヌ国際映画祭と縁が深い映画作家である。彼の名を一挙に有名にしたのが、『誰も知らない』(2004年)での柳楽優弥の最優秀主演男優賞受賞だったことは記憶に新しい。カンヌ史上最年少受賞で、「日本人俳優で初」というのも話題を呼んだ。

是枝監督はそれまでの映画3作(『幻の光』『ワンダフルライフ』『DISTANCE』)でも多くの海外映画賞を獲っているが、カンヌ受賞は日本国内へのインパクトという意味で別格だった。
2013年、第66回カンヌ国際映画祭で『そして父になる』(是枝裕和監督、2013年)が二度目の栄冠(審査員賞)を手にする。主演の福山雅治がコンペ上映後10分間続いた観客のスタンディングオベーションに「男泣き」したという報道の効果はさておき、同作は公表されている限りでは是枝作品の最高興行収入を叩き出した。こうした実績からすれば、『万引き家族』も多くの観客に観られるだろう。
『万引き家族』が少し特異なのは、日本での公開前に「議論」を呼んだことである。
ネットメディア「wezzy(ウェジー)」の5月22日付の記事は、2010年頃の年金不正受給問題とバッシングがこの映画の着想にあるという監督インタビューを紹介しつつ、こう書いている。

……是枝監督は、日本では経済不況による人々の“格差化”が進行していることに触れ〈政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ〉と、セーフティネットが手薄でなんでも自己責任とされてしまう社会状況に言及している。
(「『万引き家族』是枝裕和監督が描いてきた「見えない家族」とナショナリズムへの問題意識」)

同記事は、是枝監督の過去のインタビューから日本の歴史修正主義や自民党改憲草案について批判する発言を引きつつ、〈ナショナリズムをよりどころに、失敗を自己責任に回収し続ければ、ますます日本社会は生きづらい場所になってしまうだろう〉と結んでいる。
TwitterなどのSNSには、是枝監督のパルムドール受賞後も安倍首相が祝福の言葉ひとつ発しないことを皮肉る意見、また反対に、万引きをして暮らす家族を題材とした映画が賞賛される状況を「日本の恥」だとする意見が流れていく。

『万引き家族』をまだ観ていない私は、こうした「議論」をふんふんと読みながら、5年前に観た『そして父になる』のことを思い出した。
『そして父になる』は、タイトルが示す通り、あるエリートサラリーマンが本当の意味で「父」になる軌跡を描いた作品だ。その契機となるのは、産院での「赤ちゃんの取り違え」という悲劇である。

6歳になる子どもを育てる、まったく関係のなかった二つの家族に、ある日病院から連絡が入る。
東京都心のタワーマンションに暮らす野々宮家は、ゼネコン勤務の父・良多(福山雅治)、専業主婦の母・みどり(尾野真千子)、私立小学校に「お受験」をしている一人息子の慶多(二宮慶多)の三人家族。もう一つの斎木家は、父の雄大(リリー・フランキー)が前橋で小さな電気店を営み、母のゆかり(真木よう子)は近所の弁当屋でパートをしている。長男の琉晴(黄升炫)をはじめ子ども三人と軽度の認知症がある祖父も暮らす賑やかな家族だ。
小学校入学にあたっての血液検査で、琉晴の血液型が両親から考えられる型と一致せず、取り違えの事実が判明する。病院は早々に過失を認め、弁護士をたてて対応にあたる。6年間大事に育ててきたわが子が血のつながらない「取り違えられた子」だった……。その衝撃から、階層も地域も異なる二つの家族がどのように立ち直るかという物語だ。

良い映画だ。だけど、『そして父になる』を観たときに率直に思ったのは、この映画の表現の大部分は「対比」で占められているということだった。かたい言葉で言えば階層・階級、その格差の表現がどこか説明臭くて、なぜだかモヤモヤした。
土日も仕事に没頭する大規模開発のプロジェクトリーダー(福山雅治)と、客と世間話をしながら一つ190円の電球を売る子煩悩な父親(リリー・フランキー)。都心のタワーマンションといまにも傾きそうな前橋の店舗兼住宅。高級車と軽貨物車。高級肉のすき焼きと大皿いっぱいの餃子。表にまとめたいほど親切な二項対立である。
二つの階層の生活のリアリティを名優たちが支えている。タワマンで暮らす野々宮家も、良多の両親の暮らしぶりやみどりの前橋の実家の描写から、代々アッパーミドルだったわけではないことが伝わる。良多の過剰な自信や低所得であろう斎木家への見下しは、むしろ自分の実力で成り上がったというネオリベ的な強者意識からくるものだ、ということもしっかり描いている。是枝映画の大きな魅力である子どもたちの自然なたたずまいは今作でもすばらしい。

『そして父になる』が描いた「赤ちゃん取り違え事件」にはモデルとなった物語がある。
沖縄で1977年に報道された実際の赤ちゃん取り違え事件と、その後の二家族の17年間を追ったルポルタージュ『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』(奥野修司、文春文庫)である。『ねじれた絆』の二家族はともに米軍基地が密集した本島中部・沖縄市内に暮らし、家は車で20分ほどしか離れていない。両家の父親の職業は大型クレーンのオペレーターと自動車整備技師であり、大きく異なる階層とは言えない。
つまり、『そして父になる』はその創作において、本土復帰後5年という複雑な背景をもつ沖縄の土地から現代の関東圏へと舞台を変え、異なる階層間のドラマというソーシャルな要素を意図的に加えたのだ。
貧困や格差のリアリティは日本映画でもっともっと描かれるべきだと私は思う。『誰も知らない』の頃から、是枝作品は社会的な貧困のなかで「見えない人々 invisible people」(第71回カンヌ国際映画祭コンペティション審査員長・ケイト・ブランシェットの言葉)を物語の骨格にしっかりと組み込んできた。その語りの洗練が『そして父になる』につながっている。
だけど、私はこの作品にやっぱりモヤモヤする。物語を生きる人物よりも、あらかじめ意図された構図や設定にテーマを語らせているというか……うまく言えないが、それはペットボトル飲料の人工甘味料に似ている。喉を潤したあとに舌に残るような違和感。

ところで、飲み物といえば『そして父になる』に印象的なシーンがある。
家族同士が互いに慣れるため、遊戯施設のあるフードコートで一緒に子どもたちを遊ばせる前半のシーンだ。良多は、血のつながった子・琉晴がソフトドリンクのストローを噛んでガジガジにしながら飲むのを無表情で見つめている。おそらくわが子の慶多が同じことをしていたら「行儀が悪い」と咎めるだろう。これも「対比」だ。
あらためてこのシーンを観たときに、フランス映画『アデル、ブルーは熱い色』(アブデラティフ・ケシシュ監督、2013年)の一場面を思い出した。主人公の女子高生アデル(アデル・エグザルコプロス)が、家族の食卓で鍋いっぱいのパスタをがつがつと食べながら、テーブルナイフについたミートソースを舌全体で舐めとる。琉晴のストローとアデルのナイフは同種の表現である。
『アデル~』の食事シーンも、このラブストーリーの鍵となる食欲や性欲のイメージとともに、階層格差という主題を表現している。恋の相手・エマ(レア・セドゥ)は美術学校に通うインテリ階層の娘で、彼女の家に招かれたとき、労働者階層の家で育ったアデルは生まれて初めて生牡蠣を食べるのだ。

考えてみれば、『アデル~』は、『そして父になる』と同じ第66回カンヌ国際映画祭に出品され、パルムドールを獲った作品である。その符号。そして2016年にケン・ローチ監督が二度目のパルムドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』について思い起こしても、カンヌは、社会階層とそれに結びついた文化のリアリズムを評価するということは言えるかもしれない。さすが「ハビトゥス」(ブルデュー)の国、というのはあまりに雑すぎる感想だろうか。
モヤモヤは晴れない。とはいえ『万引き家族』は観たい。映画は観れないものだけど、私たちには観てから語るべき何かがまだあるはずだ。


photo by Derek Gavey

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西口想(にしぐち・そう)

1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。

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