『世界の中心で、愛をさけぶ』と「坂元印」のもっと小さな愛

映画は観れないものだから心配するな 第1回

2018/05/22
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毎日のように映画を観ていた時期があった。どの映画館で何がかかっているかをまめにチェックしていたし、家にはいつもレンタル屋のビデオやDVDがあった。
以前は観たい作品がたくさんあった。それに、漠然と「映画を観る時間」を過ごしたいという動機もあった。同じ作品と時間を共有するためにデートでよく映画を観た。一人で、日常から逃れるように映画館の暗闇に浸かりたいときもあった。

でも、私たちは歳をとるほど映画を観れなくなっていく。単純に時間の問題が大きいと思う。子育て中だったり、仕事が忙しすぎて観れない。仕事や家庭の他にも何かとやるべきことが多い。日々に追われているうちに、映画館の会員カードはとっくに期限が切れ、レンタルDVDも観ないで返すことが増えて借りなくなり、オンライン配信サービスはログインしないまま毎月の引き落としだけが重なっていく。

私はたまに映画の紹介記事を書くことがある。作品を紹介するときは、その作品を観ていない人に作品の内容が伝わるように書く。作品を評価する上でも、登場人物とあらすじをいかにうまく紹介するかが大切だ。
ときどき書いたものを「読んだよ、面白かった」と言ってもらえる。が、その映画を観たかと尋ねると、必ずと言っていいほど「観れてない」という答えが返ってくる。「文章を読んでもう観たような気になっちゃって」と言われると、作品に対してどこか申し訳ない気持ちになる。

ただ、最近はそれも仕方ないと思うようになった。いっそのこと、映画は観れないものと割り切ったほうがいいのかもしれない。映画館が会員募集で謳う「いつでも気軽に映画三昧」は、実際には多くの人にとってありえない状況なのだ。

それでも、私たちにはこれまで観た映画の記憶がある。ならばこの連載では、もう映画は観れないんだということを前提として、作品紹介でも映画評でもなく、私たちが観てきた映画について書こうと思う。多くの人が観ているが普段は思い出すこともないような有名な映画を取り上げたい。

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映画『世界の中心で、愛をさけぶ』(行定勲監督、片山恭一原作、2004年)を公開当時に観たとき、すでに原作小説を愛読していた私は「なんか変な映画だな」と思った。
主人公の朔太郎(大沢たかお)は、足の不自由な恋人・律子(柴咲コウ)が朔太郎の荷物の中からあるカセットテープを見つけたことをきっかけに失踪したのに、彼女を探さずに、そのカセットテープに吹き込まれた自身の高校生の頃の恋愛に浸り直す旅に出る。
私にとってこの映画は、過去の悲恋もいいけどまず目の前の恋人を追えよ、という一言に尽きる。
律子が失踪したあと、台風迫る高松空港前のテレビ中継にたまたま彼女が映るシーンがある。テレビ画面のなかで足を引きずる彼女が車にひかれそうになるのを朔太郎は見る。そんな恋人の身を心配して故郷の高松へ飛んだかと思いきや、朔太郎はなぜかウォークマン片手に追憶の世界に入っていくのだ。
過去の大恋愛を回想という形式で包むのは『タイタニック』よろしく王道である。だけど、私はその包み紙にされた「現在」が気になって中身を素直に楽しめなかった。最後には律子も過去の恋愛の関係者だったと明かされるとはいえ、そんなことでは回収されない違和感が残る映画だ。もちろん高校生の朔太郎(森山未來)と亜紀(長澤まさみ)は最高に可愛いけども。

ところで、『世界の中心で、愛をさけぶ』の筆頭脚本家が、数々の名作テレビドラマを書いたあの坂元裕二であることはどれくらい知られているだろうか。
私は、坂元裕二が自身の脚本によくぶち込んでくるある種のシーンが好きで、勝手に「坂元印」と呼んでいる。『世界の中心で、愛をさけぶ』にもそのシーンがある。亜紀と朔太郎が交換日記のように始めた、互いの声を吹き込んだカセットテープを聞く場面だ。

亜紀「7月14日。というわけで、私、広瀬亜紀と松本朔太郎くんは、付き合い始めたわけだけど……まだまだ私のことを知らない君に、今日は自己紹介をしてみようと思います。えーと、誕生日は1969年10月28日生まれのさそり座」
朔太郎「1969年11月3日のさそり座」
亜紀「好きな色はオリーブの緑、森の緑」
朔太郎「好きな色? 青」
亜紀「好きな食べ物。湯豆腐、メープルシロップ、海苔にお醤油をつけて食べる白いご飯」
朔太郎「餃子、宇治金時、オムライス」
亜紀「好きなもの。調理実習、夏の麦茶、白のワンピース、美容室の匂い」
朔太郎「プールの授業、冬のクワガタムシ、牛乳瓶の蓋、放課後のチャイム」
亜紀「好きな映画。『小さな恋のメロディ』、『ローマの休日』、『ベン・ハー』」
朔太郎「『ドラゴン 怒りの鉄拳』、『ライトスタッフ』、『明日に向って撃て!』」
亜紀「ふあー、眠くなりました。今日はこれで寝ます。おやすみなさい」

こうして、ただお互いの好きなものや情景を言い合っていくのが「坂元印」だ。
2016年に放送されたテレビドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』でも、主人公の音(有村架純)と練(高良健吾)が、音のアパートで同じようなやりとりを始める。

「学校の校舎から聴こえる楽器の音」「雪を踏む音」「スニーカーのキュッキュッて音」「焚火の匂い」「雨が降るちょっと前の匂い」「じゃんけんして何回もあいこになるとき」……。

この単純な掛け合いだけで、二人が出会うまでに過ごしてきた時間や子どもの頃に見てきた情景の断片が、観る人の記憶とともに鮮やかに立ち上がる。
「枝 石ころ 行き止まり 切り株の腰掛け 少しだけ ひとりぼっち ガラスの破片」という歌詞から始まるボサノバの名曲「三月の水」ともどこか通じる感じがする。

坂元裕二の出世作のテレビドラマ『東京ラブストーリー』(1991年放送)には、この原型のような掛け合いがある。リカが職場の後輩の完治に「好き」という気持ちを初めて打ち明ける直前、夜中の公園での会話。

完治「じゃあ、また明日」
リカ「もう『今日』だよ!」
完治「そっか。じゃあ、またあとで」
リカ「寝坊しないように」
完治「目覚ましかけて」
リカ「パジャマ着て」
完治「歯みがいて」
リカ「毛布にくるまって」
完治「いい夢見て」
リカ「カンチの夢でも見よっかなー」

こんなやりとりは原作の漫画にはない。このなんでもないような会話の良さは一体なんなんだろう? 思いを寄せはじめた二人が、防御を解いて、自分の人生への小さな愛を言い合っていく時間。坂元裕二のロマンスの核にあるのは、言葉で言い表わされた生活のミニマリズムだと思う。彼がこれまでのキャリアで残してきた「坂元印」をもっと収集したい気持ちに駆られる。

もし、もう映画を観れなくても、私たちは言葉によって自分の過ごした映画体験を楽しむことができるのではないか。映画のタイトルを言い合い、味わった退屈を思い出して、忘れていた台詞、記憶に残っている些細な動作、色や匂い、肌触りを言葉で差し出す。そんなふうに映画の話をしてみたい。


photo by cotaro70s

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西口想(にしぐち・そう)

1984年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て、現在は労働団体職員。仕事は主にリサーチ、労使交渉、企画・編集、原稿書きなど。文学と映画が好き。