2017/03/01 公開

「愛される心」はどう育まれるのか?ー西郷隆盛<後編>

人と歴史の動かし方~古のリーダーたちのマネジメント術~その6

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仇敵をも赦す心の広さ

西郷隆盛という人はとにかく心が広い人で、味方だけでなく仇敵にすら大変慕われました。西郷の心の広さを表すのが、薩長が主導する政府に反発し、仙台、会津、秋田など東北の諸藩が「奥羽越列藩同盟」を結成して政府に抗戦した時のエピソードです。

この時、最後まで抵抗した庄内藩は厳しい処分が予想され、庄内藩主・酒井忠篤も重臣たちも覚悟を決め、降伏式では白装束を身にまとい切腹する覚悟で臨みましたが、西郷は「切腹などとんでもない。貴藩には今後ロシアなどに備えて北方の守りをしてもらわねばならん」と言って武器を全部返してしまいました。この処遇に酒井忠篤も重臣たちも皆涙し、謹慎が解けた後彼らは薩摩に赴き西郷に厚く礼をし薩摩兵と共に鍛錬に励んだそうです。

幕府方と朝廷方との交渉の中でも、敵味方同士遺恨が渦巻く中で、幕府側の意見も聞き、彼らを叩き潰してしまったりせず、可能な限り平和裡に、恨みが残らないように条件をまとめあげようとしました。
1868年3月13日、薩長軍による江戸総攻撃が目前に控える中で、幕府側代表の勝海舟と朝廷側の西郷隆盛は芝の愛宕山で会談を行いました。戦いで多くの貴重な人材が失われる中、「将軍・徳川慶喜の首を取らないと懊悩たる戦争に終止符が打たれ新しい政府が樹立できない」という意見が朝廷側では支配的でしたが、西郷は勝と会談し「戦争を回避することで得られる事柄は、戦争で得られる事柄よりもはるかに大きい」ことを悟り、江戸総攻撃を中止しました。
西郷の「赦す心」により、日本は貴重な人材や文化遺産を残す事ができ、江戸から東京へと変わった後も行政機能が維持され、近代化への大きな原動力とすることができたのです。
そしてこのような大胆な意思決定を人々に説得できたのは、西郷隆盛しかいませんでした。

私を捨て公に報ず精神

西郷がその生涯で徹底していたのが、「滅私奉公」です。
仲間のためには支援や援助を惜しまなかったし、私財を投じるのも全く躊躇しませんでした。また、藩主や国のためになるのなら、いつでも腹を割って死ぬ覚悟でいました。

家も大変質素で贅沢を控えていました。ある時坂本龍馬が自宅に遊びに来て寝室に横になった時、狭い家だったので西郷と妻のイトの会話が聞こえてきました。

「家の屋根が腐って雨漏りがして困っています。どうか早く修繕してくれませんか」

「今は日本全国が雨漏りしている時だぞ」

そう言って質素倹約を妻に諭したそうです。

西郷がその生涯で私を捨て捨て身で公に報じたのは、若かりし頃味わった「試練」がつよく影響しています。
西郷は生涯の主君と敬愛する島津斉彬が亡くなった後、錦江湾に入水自殺を試みて失敗しています。その後、奄美大島と沖永良部島に島流しになっており、牢の中で西郷は「自分は一度死んだはず」であり、「天が自分を生かした理由は何か」を思索しました。長い南方の生活で様々な書籍を読みながら瞑想する内に「敬天愛人」の四字に集約される独自の人生観を持つに至ったのでした。

「命もいらず、名もいらず、位もいらず、金もいらず」
「敬天愛人」とは文字通り「天を敬い、人を愛す」という意味ですが、「天」とは何を意味しているのでしょうか。
作家でキリスト教徒の内村鑑三は著作「代表的日本人」の中で以下のように述べています。

それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛であります。(略)しかし西郷が、「天」は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、「天」の法は、だれもの守るべき、堅固にしてきわめて恵みゆたかなものとして理解していたことは、その言動により十分知ることができます。(内村鑑三『代表的日本人』、岩波文庫電子書籍版、49頁)

自身もキリスト教徒である内村鑑三は、日本人の精神構造を西洋人に理解させるにあたって、キリスト教文脈として受け入れやすいように「天」を「GOD」に重ねて描写しており、東洋思想と西洋思想の極致は同じであることを匂わせています。内村は続けてこう述べます。

「天」には真心をこめて接しなければならず、さもなければ、その道について知ることはできません。西郷は人間の知恵を嫌い、すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られるとみました。心が清く志が高ければ、たとえ議場でも戦場でも、必要に応じて道は手近に得られるのです。常に策動をはかるものは、危機が迫るとき無策です。(同前、50頁)

つまり「天」とは、人間が抗えない大きな不変の摂理のことで、これを受け入れ忠実でいることで、全ての物事が拓けていく、というのです。
そして西郷隆盛は「天」が自分に課した宿命を信じ、何か行動を起こす際には、私を捨て常に死ぬ覚悟で物事に取り組みました。
西郷自身がこのように語っています。

命もいらず、名もいらず、位もいらず、金もいらず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物であり。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である(同前、51頁)

私欲を捨て、天が自らに課した宿命を信じ、正義をなすべく困難に取り組む。
「敬天」を行う人は正義の人であり、正義が広く行われることが文明であり、国家は正義を行うことで文明国になる、と西郷は信じていました。

維新後の明治政府はそんな西郷が思い描いた理想的な姿ではなく、西欧流の弱肉強食の「富国強兵」へと舵を切っていきます。
西郷は、それを正し第二の維新を起こそうとし敗れ、城山に散っていきました。
その死が伝わると明治天皇も深く悲しまれたといわれています。政府の要人だけでなく一般市民にも愛されていたため、新聞には西郷を追悼する文が相次いで掲載されました。死後まで敵味方問わず慕われたのです。

まとめ

正義を貫き、国家や主君のために尽くし、咎や責は全て責任を負う。自分はいつ死んでもいいと心から思い、「天」のために身も心も尽くそうとする。
桁外れの「慕われ力」は小手先のテクニックでも何でもなく、彼の生き方そのものです。我々にはちょっと真似できそうにはありません。
しかしながら私益のためでなく、世ではいま何が望まれていて、そのために今自分ができることは何かを考え行動する姿勢は学べるところがあるのではないでしょうか。
仏教の「縁起」「中観」では、「人の世は常に物事が変わり続けるが、人の持つべき本質的な生き方を理解し、その実現のために努力をし続けることに価値がある」と説きます。
利己心を追い求めず、世のため人のために何ができるかを考え行動するのが「慕われる人」への道ではないかと思います。


参考文献
北泰利『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』(ワック株式会社、2013年)
内村鑑三『代表的日本人』(鈴木範久訳 岩波文庫電子書籍版)

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tamam010yuhei
1984年福岡県生まれ。 東京でサラリーマンをしながら、世界史の面白いネタを集めたブログ「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運用。 神話の時代から現代まで、「面白い!」と思ったものは何でも収集。 最近注目している国はインドネシア。
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