2016/12/15 公開

ウィンストン・チャーチル – 危機の時代のリーダーシップ

人と歴史の動かし方~古のリーダーたちのマネジメント術~ その3

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現在は「危機の時代」と言っていいかもしれません。

進む円高、増える国の借金、格差の拡大、地方の衰退、年金の崩壊、ブラック企業問題、少子高齢化。目を外国に向けてみても、混乱と緊張に満ちた凄惨なニュースが毎日飛び込んできます。

将来に対し危機感を感じる時、多くの人々は現状を打破する「強いリーダーシップ」を求めます。既にいくつかの国では、民主的なプロセスよりも強権的に物事を進める独裁志向の者が登場し波紋を広げています。

現在と状況は異なりますが、同じように世界の人々が強いリーダーシップを求めたのが第二次世界大戦の前後の時代です。

1929年に生じたニューヨークの株価大暴落に端を発し、企業の倒産や先物の大暴落が連鎖的に広がり世界的な不況へと繋がりました。アメリカやイギリス、フランスなど有力な帝国主義国は自国の保護を優先し保護経済に走りました。一方、充分な植民地経済圏を構築できないドイツ・イタリア・日本は、危機の打破のため独裁者や軍部主導で経済問題の軍事的解決を試みるようになったのです。

この「ドイツの危機」を打破するために登場したヒトラーは軍事侵略を進め、その結果生じた「ヨーロッパの危機」を打破するために登場したのが、今回の主役ウィンストン・チャーチルです。

英国を危機から救った男・チャーチル

チャーチルは卓越した指導力で国を率いイギリスを勝利に導き、結果的に世界をドイツの軍事侵略から守った英雄となりましたが、実のところお世辞にも人間的に優れた人物とは言い難く、平時に国のトップに立たせておくのは危険すぎる男でした。

岩鉱労働者のストを軍隊に弾圧させたり、1926年のゼネストを叩き潰したりなど、良く言えば突破力があり、悪く言えば独裁的な傾向がありました。

部下に対する扱いも同様で、無愛想で強引で、全く思いやりがなく、不寛容で無理解で、自分を中心に他人を振り回すのが常でした。

例えば、夜中に突然「重大な問題についての手紙」について思い出し、寝ている秘書を叩き起こし口述させたり、列車移動中に貨物車の荷の奥深くにしまってある本を「今すぐ持って来い」と命令したり。

これが叶えられないとなるとチャーチルは、夜中だろうが周囲に人がいようがおかまいなく、部下や関係者を大声で怒鳴り散らしたそうです。

傍から見たら大変ワガママな男であったため、部下に慕われるというタイプではなく、どちらかと言うと敬遠されるタイプでありました。

チャーチルは自分の肉体的な苦痛や可愛がっていた動物の死は恐れていたものの、他人の苦しみに対しては全く同情心を欠いており、人の死には無関心で、友人が死んでも滅多に涙を見せなかったそうです。

それゆえ、濡れ衣であっても司令官の首を簡単にはねてしまうし、犠牲者の数を気にせずに大胆な戦略を実行しました。大胆不敵さ故に手痛い敗北を喫することもありましたが、慎重な参謀や幕僚たちよりも目が利くところがあり、優れた「戦争指導者」でした。

チャーチルは、自分は選ばれた男であり国民にいちいち測ることなくても彼らが欲していることを理解できると信じていたため、重要な決定は自分自身で行いました。だから有能なブレーンを揃えるということはせず、人を見る目は全くありませんでした。

チャーチルは根っからの帝国主義者でした。「世界に文明と光をもたらす」偉大な大英帝国の擁護者であり、その最も偉大な帝国を率いる男であることを望みとしていました。

「偉大な男」であるという信念

チャーチルは自分を「偉大な男」であると信じ、そのように振る舞うことで己を鼓舞し突き進む男でした。

実際、チャーチルはまるで王様のように振る舞いました。口にするものは、酒でもタバコでも最上級品のみ。旅行はまるで王侯貴族のごとく自分の行きたい所に行く。態度は横柄で、行動は突飛でせっかちで、周囲を気にするということがまるでない。

また、彼は若い頃から数多くの歴史の本を読み、イギリス史に名を残す偉人たちの活躍をまとめた著作も残していますが、執筆の際には古の偉人たちと自らを重ね合わせ、自分がいかに偉大な男であるか描写することも忘れませんでした。

傍から見ると根っからのワガママ男のように見えますが、ある意味でチャーチルは、己を鼓舞するために「偉大な男」の役割を演じていたとも言えます。というのも、チャーチルは生涯「憂うつ症」に悩まされていたからで、周囲からの反発によってストレスがたまるとベッドから起き上がれないほど無気力になりました。

批判を全く気にしない唯我独尊な男ではなく、人一倍繊細で傷つきやすいが故に自己暗示をかけて強い自分を演出し続けたのです。

それはひとえに「偉大な男でありたい」という強い信念のためでした。

人を鼓舞する強い言葉

チャーチルは思慮深い人間ではなく偏見にとらわれていたし、関心のない事柄については全くの無知で、むしろ無知を誇るような男でした。

例えば彼はインド人を心底軽蔑しており、インド文明の偉大さを全く理解しなかったし、後の独立の英雄ガンジーと彼の独立運動は「見苦しく不快で粉砕されるべきもの」と思っていました。また極東に関しては、日本人は「東の果ての島に住むわけの分からぬ連中」くらいの認識しか持ち合わせていませんでした。

そのような欠陥を補って余りあったのは、卓越した演説の巧みさと、人を喰ったようなワーディングセンス、そして国民の心をとらえるプレゼンテーションでした。

例えばヒトラーの猛攻を抑えられず老練な政治家だったネヴィル・チェンバレンが首相を辞任した後、首相になったチャーチルは3日後に下院で演説しました。

「われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問いに答えましょう。勝利。この二字であります。あらゆる犠牲を払い、あらゆる辛苦に耐え、いかに長く苦しい道程であろうとも、戦い抜き勝ち抜くこと、これであります」。

この言葉は失意と絶望のどん底にあるイギリス国民の心に深く響きました。大英帝国の栄光と尊厳を約束するものと人々に受け入れられたのでした。

チャーチルは後にノーベル文学賞を受賞するほどの作家でもあり、自らの心の底から湧き上がる感情を紡ぎ、荘厳な言葉に仕立て上げ、自ら情熱的に語ることで、自分だけでなく聞く者すらその世界の登場人物であるかのごとく演出し気持ちを乗せることができました。

1941年6月22日、ドイツがソ連に侵攻し独ソ戦が始まると、チャーチルは丸一日かけてイギリス国民及びソ連国民に呼びかけた大演説の原稿を書き上げました。

それは不倶戴天の敵である共産主義者を支援するという彼の不動の意志を表したものでしたが、まるで大長編の詩のようでした。

私は見る ロシアの兵士が
祖国の浮沈の瀬戸際に立っているのを
古き昔より父祖の開いた祖国を守るため。
私は見る あるいは母があるいは妻が
愛する者の無事を 夫の帰還を
国を護る英雄達の凱旋を祈るのを
――然り いまこそは国を挙げての祈りのとき。
(後略)

熱情がこもりリズムが整ったこの演説にイギリス国民は感動し、それまでは「共産主義の不気味な輩」としか思っていなかったソ連国民に大きな同情を寄せるようになりました。

こうしてアメリカ・イギリス・ソ連という連合国の協力体制が出来上がっていったのです。

まとめ

こうやって稀代の英雄のパーソナリティを見てみると、とんでもない独善的な男で国のリーダーにするには不適当にすら思えます。当時議会は開いていておりチャーチルは常に国民と対話していたものの、その行動と振る舞いは独裁者のそれでした。ヒトラーやムッソリーニと類似するところもあり、まさに時代が彼を欲したとしか思えません。

もし生まれる時代が遅ければ、政治の主流派にはなれず日陰のまま政治生命を終えたに違いありません。

我々がチャーチルから学べる事柄は、「強いリーダーシップは強い信念によって生まれ、強い信念は強く何かを望むことによって生まれる」ということになるでしょうか。

チャーチルは願望を生涯にかけて貫き通したため英雄になることができました。
その「継続する意志の強さ」は尊敬に値するし、我々が生きていく上で立ちはだかる様々な難問、それが大きかろうと小さかろうと突破していくのに不可欠な要素ではないかと思います。

チャーチルの生涯からは、それがいかに乱暴で無知であろうとも、彼の特筆すべき意志の強さが、未曾有の危機を乗り越えさせるリーダーシップの力の源になっていたことを学べるのではないでしょうか。


参考文献
「チャーチル」 ロバート・ペイン著, 佐藤亮一訳 りぶらりあ選書/法政大学出版局

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tamam010yuhei
1984年福岡県生まれ。 東京でサラリーマンをしながら、世界史の面白いネタを集めたブログ「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運用。 神話の時代から現代まで、「面白い!」と思ったものは何でも収集。 最近注目している国はインドネシア。