2017/09/14 公開

田中角栄 「成金日本」を作った男の処世術

人と歴史の動かし方~古のリーダーたちのマネジメント術~その12

Pocket

最近は田中角栄がブームで、関連本や特集記事がたくさん出ています。
癒着・金権政治の元を作ったとか、地方が巨額の公共工事に依存する体質を作ったとか、現代でも引きずっている日本の政治経済の暗部を構造化した功罪は誰もが認めるところですが、それでも田中角栄という存在を懐かしがり、求める声は根強くあります。

会社の偉い人たちはリスクを恐れ決断できず、したとしても消極的。
上司は責任を取ろうとせず、失敗をすべて下の人間に押し付ける。
残業代は出ず給料も上がらないし、いつクビを切られるか分からない不安定さ。
長時間労働でくたびれ果てる毎日で、夢どころか将来の見通しも立たない。

日頃の生活や仕事上の不満から、決断力・行動力があり、面倒見がよくて、しかも富を分け与えてくれる「親分肌のリーダー」の登場を多くの人が憧れているのではないかと思います。
多くの人が憧れるリーダー、田中角栄はどのような術を使って、人々を魅了し、部下を率い、組織を束ねて、総理大臣にまで登りつめていったのでしょうか?

国民の欲望を解放し「成金日本」を作った男

田中は小学校卒業後から働き始め、19歳にして建設会社を立ち上げ、戦争の特需と戦後のどさくさで大儲け。若くして成金となった田中は、終戦直後の1946年4月の衆議院選挙に新潟から立候補し、代議士のキャリアをスタートさせました。
当選直後から大政治家・吉田茂の側近となり、議員活動では主に国土開発をテーマに建築士法や公営住宅法など多くの法案を立法。選挙では地元新潟と選挙区民への利益誘導を図り地元では熱狂的な支持を獲得。「選挙の神様」と称されるほどの強さを誇りました。
1957年7月に成立した第一次岸信介改造内閣で国務大臣に就任し以降、
政調会長、大蔵大臣、自民党幹事長、通産大臣を歴任。
1972年に佐藤派から独立し自らの派閥を立ち上げ、その年の7月に内閣総理大臣に就任しました。

総理になる少し前に発表した著書『日本列島改造論』は、自分が総理になった暁にはこれを実行する、と宣言した今で言うマニフェストのようなもので、売れに売れてベストセラーにもなりました。
『日本列島改造論』は言わば、田中が自らの地盤である新潟三区で実行したことを全国に適応させようというもの。
人が都会に流れて都市は過密化し、地方は人口が減り過疎化が進んでいる。日本経済の発展と民族の活性化のためには、「都市の分散化」と「地方の都市化」を進めるべきだ、というのがその骨子です。そのために、全国を均一に走る交通インフラを建設し、都市に集中する資本を地方に分散させ地方の工業化を進めようとしました。

外交面では、中華人民共和国との国交樹立、北方四島は日ソ間の未解決の問題と確認した日ソ共同声明の発表など、東側諸国との関係改善と外交に成果をあげました。
しかし1974年、かねてより噂のあった「金脈問題」がマスコミで追求されると批判が相次ぎ、同年12月に辞職に追い込まれます。翌年、追い打ちをかけるようにロッキード事件が発生。ロッキード社による航空機売り込みにあたり、便宜の見返りに賄賂を受け取った容疑で逮捕され、けじめをつけるために自民党を離党。その後は再び首相の座に就くことはありませんでしたが、政界の黒幕として裏から睨みをきかせたと言います。

田中の時代、日本は国土開発と地価の高騰で湧き立ち、土地成金が都市でも地方でも多数出現。日本中がカネに狂い始めた時代です。
国民はとにかく「理念よりカネ」を選びました。自分たちの生活を豊かにしてくれる田中を熱狂的に支持したのです。田中は高度経済成長期の「成金日本」を象徴する男でした。

権力の「中心人物」を見つけて飛び込む

田中は若い頃からビジネスの世界で苦楽を重ねたこともあり、「世渡り術」には大変長けていました。後年秘書の早坂茂三に
「偉くなるには、大将のふところに入ることだ…ふところに入れば、あらゆる動きが見える」
と語ったそうです。田中は議員になった後もトントン拍子に出世していくのですが、そのコツがこの「権力に取り入る」というもの。
まずは組織の渦中にいる「中心人物」を見つけ出し、全力で取り入る。そうした上で、そこに集まる情報や権力を利用し自らも権力を広げていく、というものです。また権力も移り変わり続けるため、現在権力の中心がどこにあるかを見極める力も必要です。
その権力に食い込んでいくというのも、並大抵の能力や見識がないと出来るものじゃありません。たんにボスにおべっかを使ってイエスマンになるだけではダメ。

田中は「人間コンピューター」と称されるほど記憶力が抜群だったそうです。
いつ、どこで、誰と、どんな話をしたか、どんなことが起きたか。過去の事実を記憶しており、例えば、何年何月の何回目の選挙で、自分が何票獲得して何位で、ライバルが何票だった、などもかなり正確にそらんじることができたそうです。勿論、会ったことのある人はおおよそ顔と名前を覚えてしまう。
さらに抜群の行動力を兼ね備え、思いついたらすぐ実行する。
大抵の人はその抜群の頭のキレと素早さを目の当たりにすると、圧倒されてしまうでしょう。
権力に取り入った後は、持ち前の声のデカさと行動力で人を取り込んでいき、たちまち自分を中心とした権力構造を作っていくのです。

とにかくカネをバラ撒く

田中が異常なほど選挙に強かったのは、ひとえに地盤である新潟三区の人々と「実利的な関係」を維持していたためでした。
つまり、地元からの陳情は必ず実現させる。補助金や公共事業の陳情から、知人の就職斡旋や見合い相談まで、中央官庁に取り次いだり、縁ある企業に押し込んだり、どんな事柄でも口を利きました。
例えば1962年、この年は東北・上信越はまれに見る豪雪に見舞われ、田中の元には災害工事や道路整備などの陳情が相次いで寄せられました。田中は建設大臣の河野一郎に「豪雪に伴う災害工事は公共事業の対象とする」ように申し入れました。河野は当初は拒否しますが、当時各省庁の予算を握っていたのは大蔵大臣である田中本人であるため、渋々申し出を受け入れたと言います。これにより、東北・上信越地方は冬でも建設業界は一定の仕事を確保することができるようになり、建設業界が新たな主力産業となったのでした。

田中は政界でのし上がっていくために自分のシンパを増やし田中派を構築していくのですが、それができた理由は、新人議員でも細かく口を利いてくれる面倒見の良さに加えて、とにかく「カネをくれる」という実利的な側面が大きくありました。
例えば、若い代議士が「外遊したいが少々カネが足りず、なんとかご援助を」などと頼むと「よっしゃ、これをもっていけ」と言って紙袋を渡す。20万円くらいだろうと思っていたら、100万円も入っていたそうです。
このようにして田中は自分のシンパを増やしていくのですが、そのために必要なカネの工面のため、ペーパーカンパニーを用いた土地転がしや多額の政治献金の受取りといった、危ない「錬金術」に手を出していきます。結局、それが命取りとなりました。田中はカネでのし上がり、カネで滅んだのです。

新たな地方のあり方を提示

田中の最も大きな業績で、またそれゆえに批判される事も多いのが、「国土の均一な発展」という新たな概念を提示したことです。
戦前から日本では農本主義が根強く、都市を農村の活力を奪う敵とみなし、農民が従来の生活を変えずに豊かに生活する社会を目指しました。ところが戦前では都市は活況する一方、相変わらず農村は貧しい状態が続きました。農民救済を目指す声が高まり、北一輝らによって国土改造の思想が体系化され、それは若手将校のクーデターや満州帝国の成立などにつながっていきます。ひいては陸軍の暴走と自滅的戦争につながっていったのです。
この「都市と農村の対立」という2軸構造は戦後も根強くあったのですが、田中は新たな「都市と農村の一体化」という概念を提唱することで破壊することに成功しました。農村を都市化し、農村を農民が住む場ではなく、「市民が住む場」に作り変える。つまり、一市民が農業をしている場合もあるし、工業に従事している場合もある、という風に農村を作り変える、というのです。
そのためには全国に道路や新幹線を通し、短時間で移動できるようにし、全国を同質の都市空間にしてしまう。すると地方は活性化し、新たな富を獲得でき、人口を増やすことができるというのが、田中が唱えた構想でした。

この田中の構想には、官僚やジャーナリスト、実業界にも支持は多く、その背景には経済成長により解体される地方と共同体への回帰といった側面が見て取れます。日本がその歴史の中で育んできた農村共同体とその中にある倫理や規範は、長らく人々に自らのバックボーンとして存在したものの、戦後の経済成長によって地方は衰退し共同体の倫理は中央の倫理の前に解体されていく。
自らのバックボーンが破壊され、空虚を感じていた人々の間で期待され歓迎されたのが、田中が掲げた「地方の再生」でありました。
結局のところ、全国の均一化によって倫理や規範も均一化され、人の往来が盛んになることで昔ながらの共同体が徹底的に破壊されることは目に見えていると思うのですが、それでも人々は衰退する地方を何とかしたいという思いから、田中を支持し、協力を惜しまなかったのです。

まとめ

今よりもっとカネをもらい、いい物を買って、いい服を着て、いいモノを食う。
田中が人々に約束したのはこういうことで、経済成長も相まって人々は熱狂的に支持しました。
現代は「量ではなく質」「カネでは満足を得られず、真の幸福は心の満足」という価値観に移り変わりつつありますが、その価値観を個人は押し付けられ、ロクに対価も支払われずに会社や組織に富を収奪されています。
そんな奴隷のような社会に生きるのであれば、田中角栄の時代のように、みんなが現金を得られて消費を楽しみ、将来に希望が持てる時代のほうがずっとマシだったのではないでしょうか。
さらに田中が危惧した地方の衰退は止まるどころか加速しています。地方の声を代弁し、理念理想を語るだけでなく行動に移してくれるリーダーが、いま求められているのだと思います。


参考文献
田中角栄の昭和 保阪正康 朝日新書 2010年7月30日第一刷発行

マネたまご マネたまをフォローすれば最新記事をお届けします!
tamam010yuhei
1984年福岡県生まれ。 東京でサラリーマンをしながら、世界史の面白いネタを集めたブログ「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運用。 神話の時代から現代まで、「面白い!」と思ったものは何でも収集。 最近注目している国はインドネシア。
運営会社 | Copyright © kaonavi, inc. All Rights Reserved.