2016/10/13 公開

古代ローマの偉人カエサルは”理想の上司”だった?

人と歴史の動かし方~古のリーダーたちのマネジメント術~ その1

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こんにちは。私は世界史の様々な面白いエピソードを収集するブログ「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運用しています。

歴史を学んでいますと、今も昔も人が悩む点というのはそう大きく変わっていないことがわかります。その一つが「マネジメント」でありまして、それが下手で政争や戦いに失敗した人はゴマンといる一方で、歴史上偉業を成し遂げてきた人の多くは「人を動かす達人」なのであります。

今回取り上げる人物は、「ブルートゥス、お前もか」の名言でお馴染みの古代ローマの軍人で政治家ユリウス・カエサルです。

共和制ローマの時代に生まれたカエサルは、動脈硬化状態に陥っていたローマ共和政体の変革を企み、内戦を経て独裁官に就任しました。カエサルの改革はブルートゥスによる暗殺によって「志半ば」で終わってしまいますが、後の初代皇帝アウグストゥスによる帝政への道を開きました。

このようなカエサルの輝かしいキャリアを支えたのが、ガリア戦役時代から苦楽を共にした「カエサル軍団」の存在でした。

紀元前58年に執政官の任期を終えたカエサルは、ガリア・トランサルピナ、ガリア・キサルピナ(現在の南フランス、南イタリア)の属州総督に任命されます。時にカエサル、41歳のことでした。

カエサルは現在のフランス、ベルギー、スイスに住むガリア人の反ローマの抵抗運動をわずか8年で鎮圧し、自身に忠誠を誓う精強な子飼いの軍団を作り上げました。後にカエサルはこの軍団と共に「ルビコン川」を渡り共和制ローマに宣戦布告します。帝政ローマへの第一歩を歩んでいくワケです。

8年続いたガリア戦役で作り上げられたカエサル軍団は、カエサルの号令のもと命を惜しまず突撃する常勝軍団となるのですが、そうなるまでにカエサルは結構、部下のマネジメントに苦労していたようです。ここではカエサル流マネジメント術の極意を見ていきましょう

1. 司令官と部下は等しいことをアピール

カエサルがガリア戦役で率いた軍団は、そのほとんどが自分の元で戦うのが初めての、いわば「他人」でした。そのためカエサルは上級将校には自分の信頼できる人物を選出しました。しかし、末端の軍団兵にとってカエサルはいわば落下傘的に就任した「新任司令官」であったため、彼らはカエサルの出す指令の意図や真意を汲み取りかねていました。カエサル自身もそのことを痛感しており、軍団兵たちの心を掴むアピールの必要性を感じていました。カエサルが軍団兵の心を掴むためにしたこんなエピソードがあります。

ヘルウェティイ族との戦闘が始まって間もない遠征1年目のある日のことです。カエサルは突如馬から飛び降り、自分と上級将校の馬をすべて後方に追いやりました。これは「全員が等しく危険を負い、逃亡の誘惑を断ち切る」というカエサルの司令官としての意思表示でした。この行為によってカエサルは軍団兵の心を掴んだのです。

2. 金品で部下たちの心を掴む

カエサルは部下を「お前」ではなく「戦友諸君」と呼びかける司令官でした。これによりカエサルは自分も兵士たちも同じ「ローマの臣民」であり、ローマの栄光と繁栄のために戦う同士であることを明確にしたのです。

同時にカエサルは戦いで得た戦利品を兵士たちに気前よく配分することも忘れませんでした。一連の戦役でカエサルは莫大な富を得ましたが、それを独り占めせずに兵士と共有することで彼らとの信頼関係を構築していったのです。

軍団兵からしたら司令官のために戦えば自分も得をし、おまけに国家のためにもなるのだから、モチベーションだって上がりますよね

3. 部下のことを最優先に考える姿勢

カエサルが軍団兵たちから絶大の信頼を勝ち得た理由として、その戦術や指示の的確さに加えて、兵士たちを常に気を配る優しさと「いざというときは守ってやる」という男気溢れる姿勢があったと言われています。そのことを端的に示すエピソードがあります。

それはガリア遠征7年目に勃発したガリア最大の反乱である「ウェルキンゲトリクスの反乱」の最中に起こりました。敵軍に幾重にも包囲されいよいよ食料も尽きかけていた頃、カエサルは兵士たちに「食料不足に我慢できなければ攻略を放棄してもよい」と宣言しました。しかし兵士たちは一斉に「そんなことは言わないでくれ。この攻略を放棄すれば恥だ」と答え、戦地に残ることを懇願したのです。

作戦よりもいつも自分たちのことを大切にしてくれる司令官に、兵士たちが発奮したのでしょう。苦戦の末に勝ち取った勝利は、兵士たちにとって「自分たちの勝利」であると同時に「司令官に捧げる勝利」でもあったと言えそうです。

4. カエサル流の叱り方

だからといってカエサルは部下に甘かったワケではなく、叱る時は厳しく叱る上司でした。

たとえば1年目の遠征中にゲルマン人との間に生じた「アリオウィストスとの戦い」の直前、兵士たちはあれこれ口実を作って戦場から逃げ出そうとしました。自らの運命を嘆いて涙を流したり、遺書をしたためる者が続出したとも言います。「巨大な体躯と、信じられぬほどの胆力を持ち、武器に熟達しているゲルマン人」との戦いにすっかり怯えきってしまったというワケです。

その体たらくを見かねたカエサルは全ての百人隊長を呼び出し「なんてザマだ!」と厳しく叱りつけました。そして滔々と「ゲルマン人とのアリオウィストスの戦いが恐れるに足りない理由」を説明したと言います。「お前らは、おのれの武勇に、予の思慮に、なぜ絶望するのか」と。その上で追い討ちをかけるように「これでもまだゲルマン人を恐れるのであれば、自分が最も信頼する第10軍だけを率いて出発する」と言ってのけたのです。

この言葉によって「最も信頼する」と名指しされた第10軍が発奮しました。それに続いて、他の軍団もカエサルに見放されないよう「自分たちは決してゲルマン人を恐れていない」と弁明し、士気を取り戻したのです。

このようにカエサルは「命令違反」や「越権行為」に厳しく接しました。しかし「部下の失敗」には激昂することは少なかったと言います。

たとえば6年目の遠征中のある日、カエサルは「アトゥアトゥカの要塞」の守備をキケロに託しました。そのときキケロは大きな失敗を犯しました。要塞の外は敵軍との一触即発状態にあったにも関わらず、キケロは部下の意見に押されるがまま食糧徴発のために五個大隊を付近の畑に送り込んでしまったのです。ちょうどそのとき、敵軍であるスカンブリ族の騎兵が要塞に攻撃を仕掛けました。要塞はたちまち恐慌状態に陥り、敵兵の攻撃によって守備兵の多くが命を落とし、助けに駆け付けた大隊も大きなダメージを負ってしまったのです。

しかし、カエサルは要塞に戻って報告を受けると、「五個大隊は送りすぎだ」と言ったのみで、キケロを叱ったりはしませんでした。戦場ではいつ何が起こるかわからず、運の要素も大きいため、どの判断が吉と出るか凶と出るかわからないからです。今回はたまたま凶に転んだだけで、キケロを叱る理由はなかったというワケです。

部下を叱る時、自分の感情のままに怒りをぶちまける人がいますが、カエサルはそもそも怒っても仕方のないことには怒らなかったし、叱るにしても「なぜ自分は怒っているか」をきちんと説明しました。つまりカエサルは部下の発奮を促すことを忘れずに叱ることのできる上司だったのです。

まとめ

古代と現代、戦場とビジネスという違いはあるにせよ、「人間を組織化し計画に従い目的を成し遂げる」という観点では大きな違いはありません。また、「組織をマネジメントする」という点ではカエサルという「マネージャー」から現代のビジネスマンも多くのことが学べるのはないでしょうか。

もちろんカエサルは天才的な戦術家であり、ここで語った多くのエピソードは彼が兵士たちとの間に「司令官は適切な指示を与え、部下は期待に応えるべく全力でそれに従う」という類稀な信頼関係が築けていたからこそ可能になったものです。それゆえ全てを活用できるものではありません。しかし、部下との関係構築にお悩みの方にもきっと参考にできることがある、と私は思うのです。


参考文献
「カエサル 上」 エイドリアン・ゴールズワーシー著, 宮坂渉訳 白水社
「ガリア戦記」 カエサル, 國原吉之助訳 講談社

tamam010yuhei
1984年福岡県生まれ。 東京でサラリーマンをしながら、世界史の面白いネタを集めたブログ「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運用。 神話の時代から現代まで、「面白い!」と思ったものは何でも収集。 最近注目している国はインドネシア。
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