小島慶子/タレント・エッセイスト 女子アナはもう時代遅れ【前編】

2019/05/22
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回はタレント、エッセイスト、ラジオパーソナリティと幅広くご活躍されている小島慶子さんが登場。TBSアナウンサー時代から個性的なキャラクターで注目されていた小島さん。「女子アナ」という名称には、社会問題が凝縮されていると語ります。前編では、小島さんがアナウンサー時代に抱えた「女子アナ」像との葛藤と、その経験から見えたコミュニケーションのあり方についてお伺いします。

「女子アナ」は“あるべき女性像”が凝縮されたコンテンツ

――小島さんは「アイドル的な女子アナにはなれなかった」と、2010年にTBSを退職されています。まずは、小島さんが女子アナという存在をどのように捉えてきたのか、お聞かせください。

小島慶子(こじま・けいこ)
1972年生まれ。学習院大学法学部を卒業後、TBSにアナウンサー30期生として入社。入社4年目でラジオの討論番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』初代ナビゲーターに就任し、翌年ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞を受賞。30歳で出産後、主に報道番組やラジオで活躍。2010年に株式会社TBSを退社し、夫が退職したのを機に、2014年オーストラリアのパースに移住。現在は日本とオーストラリアを行き来しながら、『AERA』や『VERY』ほかでエッセイを連載。2019年2月にハラスメント問題についての対談集『さよなら!ハラスメント』を出版。

小島慶子(以下、小島):女子アナというコンテンツの誕生は1988年。八木亜希子さんと河野景子さんと有賀さつきさんがフジテレビに入社した時にできたと言われています。30年も飽きずに消費されているなんて、しぶといコンテンツだとは思うのですが、さすがにもう終わりが来ていると思います。

――女子アナというコンテンツとは、一体どういったものなのでしょうか?

小島:誰に対しても従順で八方美人的に振る舞える「お利口な女性」「ウケる女性」というイメージが、女子アナというコンテンツに凝縮されています。番組内では自己主張はせず、流れも止めず、その場にある主流の感情を増幅させることが仕事。それに加えて、自分は個人ではなくあくまでもTBSのアナウンサーであるとわきまえて、組織の価値を体現することが求められますね。そして若いほうがいい、可愛いほうがいい。CAや秘書に対して男性が求める要素とほぼ同じです。それがタレント化したものが“女子アナ”ってやつですね。

――この30年でその女子アナ像はどのように変化したのでしょうか?

小島:女子アナの30年の歴史のなかで、最初の10年は出る側にとっても見る側にとっても新鮮だったのでしょう。当時は今以上に少数派だった有名大卒の女性専門職であるアナウンサーがコントなどをやらされているのを見て、視聴者は「賢いお嬢様が芸人さんに頭を叩かれるなんて!」と珍しがったし、当のアナウンサーたちも有名企業の正社員という安定した立場を手にしつつ、アイドル並みにちやほやされるのは楽しかったかもしれません。

でも、次の10年ではそのロールプレイが固定化され、20代で人気女子アナとなった人のキャリアが見えづらくなりました。会社を辞めて数千万円を稼ぐフリーアナウンサーになるか、そのまま社内に残ってニュースナレーションなどに路線変更するか。世間からは相変わらず女子アナらしさを求められる一方で、“女子アナ30歳定年説”などと週刊誌には勝手に賞味期限を設定され、この先どのように仕事をしていけばいいのか、と悩む人が増えました。

最後のこの10年では、フリーアナウンサーが大量に増え、放送局側も即戦力を求めて学生時代にすでにフリーアナウンサーやタレント、モデルとして活躍していた人を積極的に採用するようになりました。つまり、それまで“女子アナ”的な役割は、あくまでも日本語のプロであるアナウンサーの付随的な価値だとされてましたが、現在は企業側が局アナの主たる業務として臆面もなく求めるようになった。そして志望者側も、局アナという肩書きをタレントとしてのキャリアの箔付けとして求めるようになったという点では、両者の思惑が一致しました。ここへきて“女子アナ”というコンテンツが放送局のアナウンサーそのものの価値を変えてしまった感がありますね。視聴者もかつてのような憧れ目線ではなく、一部の女性アナウンサーたちが戦略的に“女子アナ”というロールプレイを割り切ってやっていることをわかって見ていますよね。

そのようなイメージが定着した中で、変化が訪れたのは2018年のこと。放送局の女性記者が財務事務次官のセクハラを告発した事件の影響はすごく大きかったです。霞ヶ関とメディア業界には、男尊女卑の感覚がいまだに強く残っていて、ジェンダー意識が最も遅れた世界だと批判されました。女性社員を守ろうとしなかったメディア側も叩かれていましたね。この事件に対し、放送局の女性アナウンサーたちが勇気を出して発言したんです。従順で華やかな女性という、これまでの女子アナ像ではなくて、主体的に発信をしていく若い女性っていいよねと世の中の流れが変わってきたと思います。

――積極的に発言してくれた女性アナウンサーによって、女子アナ像に変化が起きていると。女子アナというコンテンツは今後どうなるのでしょう?

小島:“女子アナ”というコンテンツは“女性は職場の華”という古い価値観を体現していました。だから「30歳定年説」なんて俗説が生まれたわけです。でも今時、そんな性差別的な価値観は通用しません。平成という時代と同じように、女子アナというコンテンツも奇しくも30年で終わりを迎える。去年がその年だったのではないかと思っています。

女子アナプレイをしたくなかった私が、ラジオなら喜んでもらえた

――小島さんはこの女子アナへの違和感をいつごろから持つようになったのでしょうか?

小島:働き始めた最初はなんとなく苦しくて、でもなぜ苦しいのか、理由がわからなかったんです。いじられたりするのは、おいしいと思わなきゃと考えていました。でも、そう思うほど自己嫌悪が強くなって。そのうちだんだんと女子アナは「あるべき女子」を求められる存在だと気づいていきました。入社して一年目の終わりくらいですかね。

――入社して一年とは、気づくのがとても早いですね。

小島:女子アナに適性がなかったので、気づくのが早かったんです。気づいてからは、気持ちがグレてすっぴんにリュックという格好で現場に行ってました(笑)。私としてはアンチ女子アナを行動で示していたんですけど、そんなわかりづらいメッセージは誰にも伝わらず。とりあえず態度が悪いと評価される暗黒時代がありました。大物司会者さんに共演NGを出されたり、とにかく一緒に働きにくいアナウンサーだったと思います。

――アンチ女子アナを示すことで、干されてしまうという心配はありませんでしたか?

小島:私は上司運がよかったんですよね。例えば、民放で初めて定年まで勤め上げて話題になった女性アナウンサーの宇野淑子さん。「女子アナプレイをやりたくない」と相談したところ、「上手にできる人がやればいいんだから、あなたはやらなくていい。あなたにしかできないことがあるはずだ」と励ましてくれました。単体で行動する『世界ふしぎ発見!』の海外ロケやラジオの仕事は、女性の上司が私を推してくれたからできた仕事だったんです。

――小島さんは「自分の性分がラジオに向いていた」とおっしゃっていますよね。

小島:上司にラジオを勧められた時は、テレビでウケが悪いのに、テレビに映らなくなったらもうアナウンサーとして終わりじゃんと思っていたんです。でも、やってみたらすごく楽しかった。テレビではダメ出しばかりされる自分が、ラジオではリスナーもスタッフも喜んでくれて、さらに自分も楽しい。こんな世界があったのかと。ラジオパーソナリティを始めて、半年くらいでギャラクシー賞と社長賞をいただき、そこから仕事が楽しくなりましたね。

受賞した後、「あいつ生意気で使えない」と言ってた人の態度がコロッと変わって「あいつは最初から、なんか違うと思ってた」とか言い出して。人間って結構いい加減なんですよ(笑)。でも、こんなにもいい加減なら、褒められても悪口を言われても話半分で聞き流して、楽しいことだけやってればいいんだと思えるようになりましたね。

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