2017/08/24 公開

【前編】「担当パートや肩書きとは違う、組織の中での“役割”を見つける」・木根尚登(TM NETWORK)

失敗ヒーロー!

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吉田拓郎に憧れ、フォークデュオを結成した高校時代

――前身のバンド・SPEEDWAYから、TM NETWORKおよびTMN(以下ともに、TM)と続くプロミュージシャンとしてのご活躍。まずは、木根さんがミュージシャンを志すまでの経緯をお聞かせいただけますか?

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木根尚登(きね なおと)
1957年生まれ。東京都出身。1983年に、小室哲哉氏・宇都宮隆氏とともに音楽ユニット・TM NETWORKを結成。1984年、アルバム『RAINBOW RAINBOW』でEPIC・ソニーよりメジャーデビュー。シングル『Self Control(方舟に曳かれて)』や『Get Wild』などのヒットにより、一躍人気バンドとなる。ソロとしても、執筆活動やトーク&ライブの開催などを精力的にこなしながら、2016年には音楽演劇ユニット『劇団こどもみかん』を結成。2017年2月に旗揚げ公演を成功させるなど、多方面で活躍中。

木根尚登(以下、木根): TMの楽曲しか聴かれていない方は意外に思われるかもしれませんが、中学生の頃は吉田拓郎さんにハマっていました。1970年代の初頭なので、ベトナム戦争を背景にした反戦歌が外国から入ってきたり、安田講堂では東大紛争が起きていたり……。学生運動が落ち着くに連れて、反戦歌がラブソングに変わっていく──そういう時代でしたね。

僕が衝撃を受けた吉田拓郎さんのアルバムって、実はライブ盤だったんですよ。針を落とすと、楽曲ではなく話し声や笑い声が聴こえてくる。「なんでレコードから話し声が聴こえてくるんだ!?」と、衝撃を受けましたね。トークも本当に面白くって、憧れたなぁ。

――エレキギターではなくフォークギターを多用されているのは、その影響なんですね。
 
木根: 当然、最初に目指したのはフォークデュオでした。小・中学校の同級生だった宇都宮隆くんがギターを弾いているのを知っていて、“歌うこと”と“ルックス”に自信がなかった僕は、当時から二枚目だった宇都宮くんをボーカルにしようと彼を勧誘。それが高校1年生のときですね。2人でオーディションを受けまくって、レコード会社やラジオ局にデモテープを送りまくって……。その数、軽く100は超えてますね、99.9%は落ちましたけど(笑)。

――TMとしてのおふたりのイメージからは、フォークデュオだった頃のお姿が想像できません……。デュオとしての活動は、どれくらい続くのでしょうか?
 
木根: フォークが全盛だったけど、ロック好きの同級生にバックバンドやってもらった影響もあって、音楽の方向性は徐々にロックへと変わっていきましたね。それが、TMの前身となるバンド・SPEEDWAYへとつながっていきました。

そして訪れた3人の出会いは、まさかの……

 
木根: 小室哲哉くんとの出会いも、ちょうどその頃ですね。僕らが住んでいた立川と、彼の地元の府中がわりと近くて、府中のホールで行われた楽器屋さん主催のライブイベントに、それぞれのバンドが出演したんです。

友達や家族に一番多くチケットを売ったバンドがトリなんですけど、僕らは友達が多くって、チケットだけは捌けるバンドだったんですね(笑)。たしか4バンドくらい出て、僕らがトリ。小室くんたちは……1番目か2番目だったかなぁ。

――当時の小室さんは、どんな印象でしたか?
 
木根: 実は、立川のバンドマンの間で「府中には、小室哲哉っていうすごいキーボーディストがいる」って噂になってたんです! あとから小室くんに聞いたんですけど、逆に府中のバンドマンの間では「立川には、演奏はさておき、とにかく客を集めるバンドがある」って噂になっていたそうで(笑)。実際、500人キャパくらいの会場は満員にしてたんですけど、話に尾ひれが付いて「800人規模の会場に入り切らなかったらしい!」っていう話になってて。

――いろいろな意味で、お互い意識していたんですね(笑)。

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木根: 自分たちの出番の前にほかのバンドを見られるから、宇都宮くんと一緒に「噂の小室哲哉を見てやろう」ってことに。そしたら、全員が黒のジャンプスーツを着て、髪はロン毛の金髪! 小室くんはキーボードを何台か並べて、小難しい音楽を奏でていました。さらに、曲はすべて英語でオリジナル! 僕とウツ(宇都宮氏)がイライラしてきたところに、ボーカルが「最後の曲は、キーボードの小室哲哉がサイパンの浜辺で書いた曲です」とか言いやがって(笑)。僕たちは飛行機すら乗ったことなかったから、それでカチーンとね(笑)。「アイツとは友達になれないわ」という会話が、いまでも耳に焼き付いています(笑)。

でも、彼のほうが1コ下だったこともあって、ライブのあとに向こうから挨拶に来てくれたんですね。そしたらロン毛の金髪はカツラで、普通の短髪&黒髪。話してみたらいいヤツで、そこから友達になったんです。

いよいよTM始動!? ……かと思いきや、ここから始まる紆余曲折

 
木根: 小室くんとは、すぐに一緒に活動するわけではなく、それぞれで活動を続けていって、僕らは1979年にSPEEDWAYでデビューを果たしました。小室くんたちもいいところまでいったんだけど、結局そのときはデビューできずで……。そのときに「僕のバンドを手伝ってよ」って声をかけて、彼が加入したんです。

――いよいよTMの序章が始まるんですね!
 
木根: いやいや、ここからが大変で……。新加入した小室くんが突然「全国ツアーをやろう」って言い出したんですよ。売れてもいないのにね(笑)。でも、そのときは「やろう、やろう!」って盛り上がって、車2台に楽器を積み込んで、東京・静岡・名古屋・大阪・神戸・京都・金沢の7大都市をまわりました。んで、総動員数は8人! 2・3人が来てくれた会場もあったから、半分以上の会場はゼロですよ、ゼロ(笑)。ある会場では、スタッフさんが「……そろそろやりますか?? お客さんはいないけど、私たちが聴いてるから」って気を遣ってくれて。厨房の人とかも出てきてくれて、スタッフ5人を前に2時間のステージをやったこともありましたね。

京都でもエピソードがあって、小室くんと宇都宮くんが僕らにセッティングを任せて「お客さんを呼んでくる!」って言い出して。京都の駅前で、2人で「これからライブをやるから来てください!」って声をかけまくってくれたんです。残念ながら、収穫はゼロでしたけど(笑)。

――小室さんと宇都宮さんが駅前で勧誘していたとは……! 若かりし頃のいい思い出ですね。
 
木根: それがねぇ……ひとまわりして帰ってきたら、小室くんが「ボクや〜めた」って言って脱退しちゃうんですよ(笑)。残りのメンバーで頑張って、音楽性を変え、髪型を変え、衣装を変え……できることはすべてやったけど、成果は出ませんでしたね。

半年くらい経ったある日。突然、小室くんが僕の家に来て、「2人でやろうよ」って誘ってきたんです! なんで彼が僕を誘ったかというと、当時の彼はいまほど楽曲が作れなかったんですね。もともと音楽性も違ったし、半年くらい断っていました。

それなのに、彼はすごく熱心に誘ってくれたから「どういうのをやりたいの?」って聞いたんです。そしたら「悪いけど、もう大所帯はダメだから、ドラムもベースもギターもいらない」って言うんですよ。バンドメンバーは昔からの友達だし、10年間も一緒にやってきたのに、平気な顔して「いらない」って(笑)。それはムリだなって思って「やるなら一緒に!」って提案したんですけど、彼は彼で飲まない。

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木根: でも、彼の真意は「一番いい音楽をやるには、一番いいミュージシャンを起用しないと」ってことだったんです。「どうやって“一番いいミュージシャン”に頼むの?」って聞いたら「スタジオミュージシャンに頼めばいい。その都度、一番うまい人に頼めばいい」って! 当時としては、すごい発想ですよね。

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