2017/04/25 公開

【前編】「絵もお笑いも、『またここから!?』の繰り返しだった」・片桐 仁

失敗ヒーロー!

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どのフィールドでも自分の価値で勝ち進むため、その価値を売り出す技術を磨かなくちゃいけな

「美大に進めば、アーティストになれると信じていた」

――美術大学からお笑い芸人へ。異色とも言うべき経歴をお持ちの片桐さんですが、そもそも幼いころに抱いていた将来の夢は何だったのでしょう? 

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片桐 仁(かたぎり じん)
1973年生まれ。埼玉県出身。多摩美術大学在学時に、相方の小林賢太郎(こばやしけんたろう)とラーメンズを結成。お笑い芸人だけでなく、俳優業やコメンテーター、そして粘土彫刻など様々な分野で活躍。現在、粘土彫刻の作品展「ギリ展」が日本全国で絶賛開催中。

片桐 仁(以下、片桐)  ずっと「パン屋」って言っていましたね。パン屋さんでパンを買うのが好きだったので、何の考えもなく(笑)。それが小学校高学年のころ、親に「絵が好きなんだから、絵の仕事をすればいいじゃないか」と言われて。

――ご両親の言葉が、美大進学へとつながっていくんですね。 

片桐 確かに唯一、絵だけが特技だったので。でも、高校時代になるととにかく美術予備校に行きたくなくて(苦笑)。それでも当時の僕は、美大にさえ行けばアーティストになれると思っていたんです。逆に言えば美大に進まないと、絵を描く仕事には就けないと信じ込んでいたんですね。僕は、高校3年生になって予備校に通い始めましたが、これってすごく遅いんですよ。

――ねばりにねばって仕方なく、という感じですね(笑)。 

片桐 とにかく行きたくなかったんですよ(苦笑)。なぜって予備校は、自分の絵を否定してくるから。絵でも演劇でも良し悪しなんて、言葉じゃ表現できないじゃないですか。それなのに「お前の絵はここがダメ。だからこう描け」ということを延々、言われ続けるんですね。もう、本当に面食らっちゃって。

美大に入って「芸術が爆発する瞬間」がわからなくなった

片桐 しかも「こう描け」っていうのは、「こう描けば点数が上がる」という意味なんですね。「こういう構図の場合はこう、こういうモチーフならこう」とか。思い返せば、すごく有難い授業だったと思います。「線を見るな、面を見ろ」って、何度言われても意味が分からない。やっと理解できた瞬間、確かに自分の画力が上がったのを覚えています。だけど、そこにアートはない。下手に見せないための技術であって、アートではないんですよね。

――アーティストを目指して予備校に通い始めたのに、そこにアートはなかったと。 

片桐 だから苦痛でしたよね。描きたくない絵を描かされるわけですから。すると楽しく絵を描いていたはずが、どんどん理詰めになっていくんです。プロには絶対に必要な技術ですし、おかげで美大進学も叶いましたが……。

でも、せっかく美大に進むことができたのに、やっぱり絵を描く楽しさが感じられない。描いているときの、自分で自分がコントロールできない感覚。それなのにいつの間にか絵が完成しているっていう、芸術が爆発した瞬間みたいな感覚が、分からなくなっていたんですね。「美大になんて来なければよかった」とさえ、思いました。きっと僕だけじゃなく、美大に進んだ多くの人が経験した気持ちだと思います。それでも、美大って極々少数ではあるものの、とてつもない奴がいるんですよ。

条件は同じ。でも「天才」には敵わなかった

――いわゆる天才的な? 

片桐 そう、天才的な。うちの相方もそうだけど、パッと描いた絵が、まぁ、上手い! 「鉛筆も筆も、すべて同じものを使っているのに、なぜ僕には描けないのか」と、ずっとコンプレックスでしたね。だから余計に美大が嫌いになったし、下手なのがバレたくないから、抽象画ばかり描くようになって。やっぱり周りの評価が気になりますから、今で言うと「いいね」がほしい感覚ですよね。

しかも僕が専攻していた版画って、原画を描いて板を彫り、それを刷るっていう、システムありきの世界でした。たまにいい絵が描けたとしても、刷る技術が伴わないと、思った通りに仕上がらないんですよ。技術を学ぶことに疑問を抱いていたのに、より技術が必要な専攻に進んでいたという(苦笑)。だから唯一、教職のゼミだけが息抜きの場でしたね。もともとプラモデルが好きだったから、彫刻の授業なんて、ものすごく楽しくて。どんな課題が出ても、作品自体が評価される場ではないから、純粋に楽しめたんですね。

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