神田松之丞 名人の死によって突きつけられた失敗が、僕を演芸の世界に導いた【前編】

失敗ヒーロー!

2019/10/16
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回は、2020年2月に真打への昇進が発表された講談師・神田松之丞さんが登場。真打の前段階である二ツ目にして、独演会のチケットは即日完売。「講談復活の旗振り役」とも称される松之丞さんの歩みをヒモ解くと、失敗続きの前座時代から違いを見せつける「俯瞰の力」が明らかに!

生ける名人を聴けなかったという、大いなる“失敗”

――高校生の時、深夜ラジオで聴いた6代目・三遊亭圓生の落語をきっかけに、演芸の世界に魅了されたという松之丞さん。その当時、どのような青年時代を送っていたのでしょう?

神田松之丞(かんだ・まつのじょう)
1983年6月4日東京都生まれ。講談師。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年に3代目・神田松鯉に入門し、2012年に二ツ目昇進。持ちネタの数は入門から10年で130を超え、独演会のチケットは即日完売。『神田松之丞 問わず語りの松之丞』(TBSラジオ)にレギュラー出演するほか、講談界を盛り上げるために幅広く活動。2020年2月に真打昇進、6代目・神田伯山の襲名が決定。

神田松之丞(以下、松之丞):こちらの取材は、テーマの一つが失敗でしたよね。大学時代は演芸漬けの毎日でしたが、演芸にどっぷり漬かるきっかけになったのが、まさに失敗ですよ。圓生師匠は昭和の名人ですが、平成を代表する3代目・古今亭志ん朝師匠という落語家がいましてね。僕は志ん朝師匠が主任を務める寄席の前を通っていたのに、どうしてか行かなかった。「追々、聴けるだろう」と、機会を無駄にしてしまったんです。

これが大失敗ですよ。それから程なく、志ん朝師匠は63歳の若さで逝ってしまった。師匠と同じ時代を生きて、師匠の落語を生で聴けたというのに、機会を手放してしまったわけです。この大失敗によって「演芸は生ものである」ということを痛感しました。以降は落語や講談、浪曲だけでなく、能や狂言に歌舞伎、宝塚やミュージカルといった生の舞台芸を観まくるようになりましたね。

入門を決意させた、昇太師匠と鯉栄姉さんの言葉

――あらゆる舞台芸を観ていた松之丞さんが、演者になることを意識し始めたのはいつだったのでしょう? そして数ある舞台芸の中から、どうして講談師に?

松之丞:講談師を選んだのは、単に講談が好きだったからですね。演者になることに関しては、立川談志師匠の影響が大きいと思います。談志師匠は叩き付けるような落語をするんですよ。生で観た時の衝撃はものすごく、その時から「僕も演者になりたい」とは思っていたのでしょう。ただ、その思いを確かにしたのは、春風亭小朝師匠が主催する「東西落語研鑽会」を観た時ですね。小朝、鶴瓶、志の輔、花緑、昇太、正蔵といった名だたる落語家が出演し、1100人を収容するホールを満席にしていました。

10年以上も前のことですが、はっきりと覚えていますよ。高座に上った昇太師匠が「楽屋に面白いおじさんがいっぱいいてね。本当に楽しくて、早く楽屋に帰りたいんですよ」と、満面の笑みで舞台袖に消えていったんです。袖の向こう側は、お客さんもカメラも追えません。この時ですね、「あちら側の人間になりたい」と確信したのは。

――演者だけが見られる世界を見るために、演芸の世界に。なんだかドラマチックですね。

松之丞:昇太師匠が見せてくれた、一つのファンタジーですよね。しかし僕は、臆病な人間です。演者になりたいと確信した後も、すぐには入門しなかった。「弟子入りするなら、絶対に神田松鯉だ」と決めてはいましたが、確実に弟子入りできるタイミングを見計らっていましたね。

――松之丞さんが、臆病? 意外ですね。

松之丞:はい、僕は臆病者ですよ。そこで松鯉や弟子たちの追っかけをしながら、虎視眈々とタイミングを狙っていたわけです。すると松鯉に弟子入りしていた若手が、不義理な辞め方をしてしまった。それを受けて、後に僕の姉弟子となる神田鯉栄が、高座で「誰か若い人が入ってきませんかねぇ」という話をしたんです。

「こっちの世界に来ていいんだよ」と、言われている気がしました。僕自身、こうした言葉を欲していたのでしょう。談志師匠の叩き付けるような落語に衝撃を受けたのはもちろん、夢を見させるような昇太師匠の言葉、弟子入りを歓迎する鯉栄姉さんの言葉が、臆病者の僕には必要だったのかもしれません。

昇進すれば、前座仕事の出来不出来は関係ない

――先輩の言葉が若手を呼び込む。これは一般企業における採用活動のヒントになりそうですね。そして入門後に待つのが前座の期間。苦労や失敗のエピソードを聞かせてください。

松之丞:そうですね、講談にも落語にも、4年前後の前座期間があります。僕も4年半ほど務めましたが、前座仕事は嫌でしたねぇ〜。要は下働きの修行期間ですが、打ち上げの差配をするにも宴会の場が苦手だし、僕は根っからの不器用です。打ち上げの仕切りも着物のたたみ方も、なかなか身につかない。失敗しては怒られ、怒られては謝っていましたよ。怒られすぎるあまり、何を理由に怒られているのか、把握できない状態です。

それでも前座の期間を乗り越えられたのは、4年前後という目安があったからでしょう。それに僕は「今を辛抱して二ツ目に上がれば、前座仕事の出来不出来は関係ない。状況はガラッと変わる」と確信していました。芸人の本質はネタであり、芸です。下働きをするかたわら、自宅ではひたすらネタを覚えていましたね。

――前座の先が見えていたから乗り越えられたし、先が見えている以上、来たるべき二ツ目への準備も欠かさなかった、と。

松之丞:芸人としての一生を思えば、前座期間なんて微々たるものですよ。だから、前座仕事をうまくこなせない自分を嫌悪することもなかった。その一方で、僕とは正反対に前座仕事が大好きな人間もいるんです。こうした人間は、かえって大成しづらい気がしますね。前座のうちに褒められる快感を覚えてしまうと、その先に進みづらいのでしょう。二ツ目に上がると下働きの機会がなくなり、あくまでも高座だけで評価されますから。

でもね、今考えると師匠や先生方は優しく接してくださったし、「前座修行という貴重な経験をさせて頂いていたんだな」と感じます。当時はそうは思えなかったのですが。それはまだ私が子どもだったんですね。二ツ目になって、そういった寄席の流れをようやく把握できるようになりました。遅いんですよ(笑)。

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