【前編】「逆境を前に、それでも自らチャンスを掴みにいく」堀潤(ジャーナリスト・8bitNews主宰)

逆境ヒーロー!

2019/03/12
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華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。そのスピンオフ企画として新たにスタートした新連載『逆境ヒーロー!』。 さまざまなフィールドで活躍しながら“ビジネスパーソン”として注目を集める人物にフィーチャーしていきます。今回は、NHK時代『ニュースウオッチ9』で存在感を発揮した堀潤氏が登場。現在はニュースサイト『8bitNews』、『GARDEN Journalism』の運営をしている堀氏が、NHKの看板を手放して追いかけているものとは? 前編では堀さんのNHKで身につけた取材術や、どのように大きな組織に立ち向かっていったのか、赤裸々に語っていただきます。

世の中に失望していたことが、スタート地点だった

――NHKのリポーター時代、威勢の良さとハキハキと話す姿がとても印象的でした。まずは、マスコミ業界に入った理由についてお聞かせください。

堀潤(ほりじゅん)
1977年7月9日生まれ、兵庫県出身。立教大学文学部ドイツ文学科を卒業後、NHKに入局。岡山放送局で情報・報道番組『きびきびワイド』を担当後、『ニュースウオッチ9』立ち上げ時に東京アナウンス室に異動。リポーターとして頭角を現し、2010年経済ニュース番組『Bizスポ』キャスターを担当。2012年カリフォルニア大学ロサンゼルス校に派遣され、SNSの活用を研究した。2013年春に帰国後、3月にNPO法人『8bitNews』を立ち上げ、4月にNHKを退職した。著書には『SNSで一目置かれる 堀潤の伝える人になろう講座』『僕がメディアで伝えたいこと』などがある。

堀潤(以下、堀):バブルが崩壊してからずっと不景気で、政治は混乱していて、世の中全体が暗い雰囲気でした。自殺、災害、テロ、いじめ。そういう問題を目にする度に、世の中終わっているなと感じていたんです。1999年に「人類が滅亡する」というノストラダムスの大予言が当たればいいなと本気で思っていたんですよ(笑)

そんな暗い大学時代を送るなかで、ドイツに短期留学をしたことが大きな転機になりました。留学中は差別を受けたりすることもあったんですが、道に迷った時にドイツ人のおじさんが助けてくれたり、孤独を感じた時に出会ったアメリカ人のキャリアウーマンが「夢は叶うわよ」と励ましてくれたんです。やっぱり元気にしてくれるのは“人”で、自分が思っていたほど世の中捨てたものじゃないと思ったんですよね。

――堀さんは大学時代、プロパガンダについて学んでいらっしゃいますが、ドイツ留学が堀さんのジャーナリズム観にどのように影響を与えたのでしょうか?

堀:ドイツの歴史といえばナチス、ユダヤ人の虐殺ですよね。ヒトラーを生んだのは誰なのか。急に革命が起きたわけではなく、メディアの力が大きく関係していたんです。戦後のドイツでは戦前のメディアのあり方を考え直し、メディアを民主化していきました。ところが日本では戦前も戦後も大手メディアの面子が変わらない。戦前にメディアがどのように政治に影響を与えてきたのか、きちんと向き合って検証もしてきていないんです。

人や政治に与える影響は大きいにもかかわらず、戦後にきちんとそのことに向き合わないままのメディアを変えなくてはならない。「どうせ入るなら一番大きなメディアに入ろう」という気持ちでNHKの面接を受けることにしました。

日本の報道を変えることが、NHKでの使命だった

――「世の中終わっているな」と感じていた学生から、「自分の力で世の中を変えていこう」と堀さんが大きく変わった瞬間だったんですね。NHKの面接ではどんな風にその想いを伝えたのでしょうか?

堀:役員面接でこの話をしたら「君、この強大な組織を変えられると思うのか」と聞かれたので、「一生懸命説明すれば、変えられます」と答えたら「性善説な奴だなあ」と大笑いされてしまいました。放送センターのガラス張りの役員室で、逆光に照らされた役員がずらっと座っていて、恐怖を感じたのを覚えています(笑)。

「NHKを変えます」と言って大笑いされましたが、それで選考に通ったということは「やってみろ」という合図なんだなと自信を持てましたね。だから新人時代から忖度なしで好きなことをしていました。会社にたくさんいるこの先輩たちがNHKを悪くしているんだから、「俺が変えに来ました」という気持ちだったんです。本当に生意気だったと思います。

――「NHKを変える」という宣言をした後、実際にどのような仕事に取り組んでいったのでしょうか?

堀:みなさんがやっていないことをやり、自分の想いを仕事で見せていこうと思っていました。入局した当時NHKの不祥事が相次いでいたんですが、それについて報じる時、広報が考えた原稿を読み上げるだけで、それ以上の言及をしないのがアナウンサーとして当たり前の立ち振る舞いでした。でもそれって、不祥事に対して視聴者の方ときちんと向き合っていない気がして嫌だったんです。だから「今日も不祥事がありましたよね。本当に申し訳ないです」と勝手に番組で謝ってましたね。生放送だから言っちゃえば勝ちなんですよ(笑)。

――勇気のある行動ですね(笑)。言っちゃえば勝ちではあるものの、堀さんのその言動を抑えさせるような動きは社内で起きなかったのでしょうか?

堀:それがですね、「もっと言え!」とみんながスタジオの裏で言ってるのがインカムを通して聞こえてくるんですよ(笑)。NHKの中には「不祥事がつづくNHKを変えなきゃいけない」という同じ想いを抱いている職員も多くいたんです。

それでもなお不祥事がつづいてしまって、それに対して局の経営側が不誠実な対応をしていた時には、自ら局長室に行き「会長がこんな態度を取るなら辞めます」と直談判したことがありました。その時に局長は「お前はNHKのために仕事をしているのか? それとも自分のやりたいこと、信念のために仕事をしているのか?」と僕に聞いてきたんです。「自分のためにやっています」と答えました。「それならやりきったと思ってから辞めろ。NHKのことなんか考えなくていい」と言っていただけて。それで辞めるのを思いとどまったんですね。

華々しい東京への抜擢は、干されたところからはじまった

――その後『ニュースウオッチ9』が立ち上がり、そのリポーターとして岡山にいた堀さんが抜擢されましたね。『ニュースウオッチ9』はNHKの中でどのような立ち位置だったのでしょうか?

堀:『ニュースウオッチ9』という番組が立ち上がると聞いた時はまだ岡山にいました。「腕時計みたいな名前ですね〜」とのんきなこと言っていましたね(笑)。

『ニュースウオッチ9』の敵は他局のニュース番組ではなく、同じNHKの『ニュース7』だったんです。『ニュース7』はいわばNHKの本丸、保守本流です。でも「皆さまのNHKです」と言いながら、政府や警察などのお偉い方、当局目線の報道が目立っていました。ニュースの主語が「総理は」「政府は」であることへの違和感を感じましたね。そこでNHK局内の改革のために、『ニュースウオッチ9』が立ち上がったという経緯があったんです。だから局内の反政府勢力のような、同じような輩が集められました。

当時のNHKは局内改革が急がれるほど、本当に潰れてしまう危機にあったんです。不祥事の影響で受信料収入が減っていたので、僕も自ら一軒一軒電話をかけたり皆さんのお宅に伺い謝罪したりしていました。「あっ、お前テレビ出てるよな?」と話が弾むこともあって、訪問先でいただいた視聴者側からの忠告を番組内で話したりしていましたね。

――『ニュースウオッチ9』のリポーターに抜擢されて、岡山から東京のニュースセンターに移った後はどんなお仕事から始まったのでしょうか?

堀:もう最初から逆境だったんですよ。ニュースセンターでは、もちろん一番下っ端でした。「NHKに染まっていなくて、なんとなくイキがいい」という理由で上層部は僕を選んだと思うのですが、現場の職員からすれば「なんだ、この若造は」と。「東京のニュースセンターをなめるな」「誰が呼んだか知らないけど俺たちは認めないからな」と面と向かって言われたこともあります。4月から番組がはじまったのに、一切取材のお呼びがかからなかったんです。

――東京に移った最初から、逆境が待っていたということですね。取材のお呼びがかからない、いわゆる「干されてしまっている」なかで、その状況をどのように変えていったのでしょうか?

堀:今日も何もできなかったと落ち込む毎日でしたが、このままではいけないと思い、カメラを持って編集長のところに行きました。「現場に行かせてください」とお願いしたところ、「勝手に行ってくれば」と(笑)。

一人で取材を進めるなかで、次第に誰よりも先に事件の容疑者の顔写真を手に入れられたり、特ダネにつながる情報を入手するようになって、着任から1ヶ月くらいしてようやく現場取材のお声がかかるようになったんです。もしあの時、受け身のままお声がかかるのを待っているだけだったら、不満しか言わない人間になっていたでしょう。僕はこんなにできるのに、誰も僕の価値を分かってくれないダメな組織だなって辞めていたと思います。

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