非常時の言葉、多声のレシピ—山崎佳代子『パンと野いちご 戦火のセルビア、食物の記憶』

連想で本を読む

2020/04/03
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著者:川崎祐

パンと野いちご 戦火のセルビア、食物の記憶

山崎佳代子 (著)
出版社:勁草書房
出版年月日:2018年5月

この人はいまたまらなく悲しいのかもしれない。壇上にあがって数百の高校生を前に母親の死について滔々と語る女性教師の話を聞きながらわたしは思った。イラク空爆のはじまった二〇〇三年の、季節はたぶん春と夏のあいだ、梅雨を控えたまだすごしやすい季節だっただろうか。わたしの通っていた高校では月に一度の全校集会でひとりの先生が持ち時間を与えられて何かを話すという慣習があった。その日は彼女の担当回だった。それまでの経験から学んだことや得た教訓を生徒たちにむかって伝えようとする教師それぞれの人生論を説くことがその場所の定番だったから、彼女の話はあまりに定形外で、そのぶんよけいに覚えている。

母が死んだときわたしは何も感じられなかった、と彼女は言った。一緒に暮らしていたけれど、たがいに心のどこかにすれ違いを感じていて、わかり合うことはなかった。だけど、家に母がいることは当たり前で、死んだら悲しい気持ちになるんだろうと思っていた。いざ死んでみたらそんなことはなかった。自分は冷たい人間なんだと思った。母が死んで何ヶ月か経ったあと、仕事を終えてスーパーで買い物をしてから家に帰って台所に荷物を置いたとき、母がまだそこにいるような気がした。幻聴でも幻覚でもなくてここいる。そのときわたしははじめて母がもういないんだと実感しました—高校生のわたしには、結論らしい結論のない、意図せず張られた煙幕のような彼女の語りの芯の部分に触れることはできなかった。

さまざまな人たちの記憶や体験を聞き伝える語りのかたちに惹かれてきた。いわゆる聞き書きにおいて語り手は、まず聞き手となって取材相手の言葉に耳を澄ませる。聞かれる人は語り手となり、人生の細部を語る。最もうまくいった聞き書きでは、その細部が実に生き生きとしている。たとえば幼少期の経験が弾むように語られる。語り手となった人の記憶は時間の篩にかけられて再構成されてもいるのだろう。その話を信じられるかどうかに聞き手の技量と度量が試される。フェイクだとかデマだとかと根本的には同質のそれを悪性の「お話」に回収させないためには、いずれ語り手となる聞き手といま語り手としている聞かれる人とのあいだの信頼関係が一時的にであれ必要となる。その信頼を担保できるかどうかは、聞く人と聞かれる人が仕事を、家族を、交友を、言ってしまえば人生そのものをどこまで誠実に生きてきたかにかかっている。この人は本当に信用できるのか。そう問い、問われる緊張感のなかで聞かれる人の語りは聞き手に引き継がれ、聞き手だった人は語り手として語りだす。ここにフィクションともドキュメンタリーとも違う生の芸術が生じうる。

山崎佳代子はよく聞く人だ。一九五六年生まれ、大学卒業後の七九年に旧ユーゴスラビアに留学し、八一年から現在までのおよそ四十年をセルビアの首都ベオグラードで暮らす詩人の最初の単著は、ユーゴスラビア内戦下を生きる人たちの証言をまとめた聞き書きだった。ある日突然故郷と仕事を失い、難民となった他者の人生を浴びるように聞くことからはじめられた言葉の人、山崎佳代子の歩みには、戸惑いや迷いはあってもブレはない。九九年三月のNATOによる空爆の際もベオグラードを離れることはなく、現地の人としてその場に残ることを選んだこの特異な詩人のことを、わたしはだから、戦後生まれの「戦中派」と呼んでいたい。肝っ玉の据わった詩人の感性は、非常時のつづく日常において、小さなものこそを見つめ、愛でることをやめようとはしなかったのである。

山崎佳代子の四半世紀ぶりの聞き書きである『パンと野いちご 戦火のセルビア、食物の記憶』を手にとってまず感じるのは、戦火とパンと野いちごの食い合わせの不思議だろうか。この言葉の配置の妙にこそ、戦火に暮らし、セルビアの文化的伝統を咀嚼してきた詩人の感性は漲っている。「世界の火薬庫」と呼ばれ、第一次大戦、第二次大戦、ユーゴ内戦、コソボ紛争の舞台となったバルカン半島は、絶え間ない戦争と内戦を経験してきた。特に九一年から〇〇年代初頭にかけて激しさを増した内戦と空爆では多くの人が故郷を喪失し、難民となった。しかし、大文字の歴史はそれら無数の人々の生を語ろうとはしない。メディアが欲するのも紋切り型で量産可能なメロドラマだろう。非常時においてほぼ必然的に語り落とされる無名の人たちの一回限りの小さな物語を掬いとるのは、だから、文化の力である。山崎佳代子の暮らしたセルビアには、小さな声を語り伝える豊かな口承文学があった。「男唄でも女唄でもない。『境の唄』たち、すなわちバラード」の伝統が。

語り手の「国境の唄」。現代のバルカン半島の口承文芸、セルビアのバラードはこうして記された。ここには、旧ユーゴスラビアの国民だったセルビア人以外の民族の人々の声も丁寧に織り込まれている。報道や歴史研究からはみ出して行く言葉の美しさ、味や香り、色合いや肌触り、重さと軽やかさを記録したかった。今、語り手の名前を見ていると、なんと素晴らしい仲間たちに守られてきたことか、と改めて思う。繰り返される歴史のなかの、繰り返しのない個人の運命は、民族や国で括ることのできない、宝石のような輝き。(300ページ)

『パンと野いちご』に記録された三十を超す「繰り返しのない個人の運命」。戦火に生きた「素晴らしい仲間たち」による「国境の唄」が食べ物を介して語られるのは、当然といえば当然だった。人はどれほど悲惨な境遇にあっても食べなければ生きていけない。聞かれている最中に思い出したように語られる苦難の時代に食べていたものの作り方の手順は、まるで一編の詩のようにあたたかな魅力を放っている。ものを食べるときに口に入れて噛むのは、必ずしも食べ物だけとは限らない。食べ物とともに咀嚼しているのは、その人自身の記憶であり、ともに暮らした人との思い出であり、もう戻ることのできない故郷の風景でもある。著者の親友のリュビツァは言う。「食べ物とはね、心配、恐怖、愛、秘密のお話などをみんなで分け合う場所なのよ」と。戦火において守られ、語り継がれるべきバラードとは、そう、歴史がその名を記録しない人が作り、食べつづけたなんの変哲もない料理の、手垢のついたレシピなのだ。それ自体が多声的なレシピの、幾十にも織り重ねられた語りのリレー。語りの最後の役を引き受けた詩人は、その重みを誰よりも知っていた。ではそれは誰に、どのよう伝えられるのか。

難民となった友たちが語った言葉を、日本語で残すことはできないだろうか。内戦という時代に、私の心を支えてくれたのは、まさに彼ら「語り手」との出会い、「語り」の世界の深さ、その深さからこぼれる光であった。戦争は、震災や環境破壊と、一見異なる不幸に見える。だが、そこには同じような哀しみや喜びが、そっと織り込まれている。難民となった友たちの言葉を日本語の読み手にも届けたい。(4ページ)

あの日、一時的に滞在していた東京で未曾有の揺れを経験した詩人は、遠く離れた場所で静かにつづけてきた聞き書きを日本の読者に語り伝えることを選んだ。あまりに多くのものを失った人たちが、それゆえに見出そうとしてきた生きる歓びには、どんな味がするだろうか。その味の記録は、しかるべきときにしかるべきかたちでわたしたちの手元に届けられるだろう。しかし、驚くほど短いスパンであと戻りのできない線が引かれる時代だ。放っておけばいまこのときの記録はたちまち消えてしまう。先の見えない不安に息苦しさも増す。この本を開いて、他人の記憶を口のなかで噛んでみる。何の変哲もないレシピが、無数の他者の声とともにささやかな活力を与えてくれる。それは幻聴でも幻覚でもなく、ほら、たしかにここにある。


photo by Alice Popkorn

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