2017/07/19 公開

ビジネス書が「道をひらく」編

沈黙にベストセラー その7

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「どうだった? おしゃれだった? うちとカブってる感じ、あった?」

ライバル店の偵察から戻ると、不安そうな顔の石田先輩に質問攻めにされました。素直な感想を伝えます。

「ビジネス書と自己啓発本の棚にこだわりを感じましたね」

今回は、阿佐ヶ谷で古本屋をやっている石田先輩のお店に顔を出したときの話です。お店に着くやいなや、駅の反対側に新しくできた古本屋の様子を見てきてくれと頼まれました。聞けば、かつて働いていた古本屋で同僚だった人のお店が近所に引っ越してきた、とのことで、同じ店で修行した兄弟弟子のような関係ではあるものの、当時からあまり仲は良くなかったそうです。

「ビジネス……」

「手書きのポップが笑える感じで、ちょっと面白そうで、じっさい買ってく人けっこういましたね」

「嘘だろ……」

偵察してきたお店の様子を説明すると、石田先輩が黙ってしまいました。彼はビジネス書のたぐいが大嫌いで、お酒を飲むと自己啓発本やビジネス書の悪口を必ず言います。石田先輩のお店は小説や音楽、演劇関係の本に力を入れていて、本人のささやかな自慢は美術展のカタログが充実しているところです。つまり〈元同僚の店とはいえ、古本屋の方向性が違うのだから気にしなくていい〉ということを伝えようと思っていたのですが、石田先輩は何やら落ち込んでしまいました。

「やっぱすげえな、俺はビジネス書なんか店に出せねえもんな」

「このお店には合わないから、それでいいんじゃないですか?」

先輩の言う通り、ビジネス書が置ける古本屋と、置いてあると棚の雰囲気が壊れるお店があって、石田先輩のお店にはビジネス書は置かないほうがいいと思いました。ところが、先輩は別のことを考えていたようです。

「あいつの何でも売ってやるって根性がすごいんだよ。ポップ書いて興味ひかせてレアでもないビジネス書を売っちゃうわけだから。うちだって出張買取で引き取ったビジネス書の在庫すごいあるけど、俺にはそんな才能ないもんな」

「……先輩は自己評価が低すぎるんじゃないですか?」

ずっと言いたかったことを、言ってしまいました。食事に行ったり、お店に顔を出すたびに気になっていたことです。石田先輩も、彼のお店も、なかなか独特な個性があって私は大好きなのですが、本人の自己評価が低いのです。

「自分のやり方、まずは自分が評価していかないと」

「……お前いいこと言うな」

「まあ、この本の受け売りですけど」

バッグの中から本を取り出して、石田先輩に手渡します。

やっぱり大事なことは、他人の評価もさることながら、まず自分で評価をするということである。自分のしたことが、本当に正しかったかどうか、その考え、そのふるまいにほんとうに誤りがなかったかどうか、素直に正しく自己評価するということである。
そのためには、素直な自問自答を、くりかえし行わねばならない。みずからに問いつつ、みずから答える。これは決して容易ではない。安易な心がまえで、できることではないのである。
松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、2016年、99頁

松下幸之助の『道をひらく』は、働くうえでの「心がまえ」が書かれたビジネス書で、1968年に発売され、2016年の段階で「240刷」という驚異的な数字を叩き出している怪物的なベストセラーです。「運命を切りひらくために」「自信を失ったときに」といった章のタイトルが目次に並び、自分の悩みにあわせて読みたい文章をサクっと読めるのが特徴です。

「って、ビジネス書じゃんか!」

石田先輩が嫌そうに本を返してきます。

「キング・オブ・ビジネス書ですよ?」

そう言い返しても、興味をもってくれません。いきなりビジネス書を読まされて、石田先輩が面食らっているのが判ります。逆にチャンスです。ここは一つ、追い打ちをかけていきましょう。

「ライバル店との向き合い方についても書いてあるんですけどね、興味ないですか?」

「え?」

「『敵に教えられる』ってタイトルなんですけど」

本を差し出すと、石田先輩は素直に受け取りました。

相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵を絞って考える。そしてしだいに進歩する。自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、わが知恵を絞ってしるのである。(同、178-179頁)

「めちゃめちゃ判るわ、なんだこれ!」

「ですよね」

「一緒に働いてた頃なんてさ、店長よりもあいつのセンスを気にしてたし、今の店がこんな感じになったのも……」

「いいライバルがいたから?」

言葉をつなぐと、石田先輩は大きくうなずきました。あと一押しで、ビジネス書への偏見がなくなりそうです。よろしいですか、という感じで先輩の手元から本を一度回収し、お目当てのページを探します。

「さっきの、自己評価の話にもつながるんですけど、このお店のラインナップってのは、先輩の『心の鏡』なんですよ」

そう言いつつ、「心の鏡」というページを開いて、三たび先輩に手渡します。

身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとにかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求め心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随所にある。
自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。(同、38-39項)

「在庫のビジネス書、うちも売り出そうかな」

初めて前向きな意見がでてビジネス書への偏見はすっかり消えたように見えますが、先輩にはまだ引っかかることがあるようで、ここにきて眉間にシワがよっています。

「うーん、でも、こんなに意見がころころ変わっていいのかな」

そういうことでしたら、このページを。そう思いながら無言で、本を渡します。

故人は「君子は日に三転す」と教えた。一日に三度も考えが変わるということは、すなわちそれだけ新たなものを見いだし、生み出しているからこそで、これこそ君子なりけりというわけである。日に一転もしないようではいけないというのである。(同、45頁)

「なんかちょっと笑っちゃうな」

「今日中にあと二回、意見を変えたほうがいいわけです」

「あと四時間しかないのに!」

そう言って先輩は閉店作業を始めました。20時に店を閉めて売り上げの確認が終わりしだい一緒に飲みにいく、いつものパターンになると思って邪魔にならないよう店内をうろうろしていると、レジにいる先輩に声をかけられました。

「その本さ、売ってくれない?」

「ただでいいんで焼き鳥おごってください」

「いや、今日中に読みたいんだわ」

驚きました。酒好きの先輩がビールよりもビジネス書を選んだのです。お店のシャッターを閉め、石田先輩は『道をひらく』を手に、自宅の方へ歩いていきます。もしかすると、途中で飲み屋に入って、飲みながら読むのかもしれませんが、いずれにせよ一人でビジネス書と向き合うのでしょう。今日はまだ三時間以上、残っています。どんどん意見を変えて欲しいですね。

先輩に売りつけた『道をひらく』は、彼のライバルのお店で買ったばかりの本でした。それを言わなかったことが正解だったのか、言うべきだったのか、私も一人で焼鳥屋に行って考えたいと思います。

沈黙にベストセラー、それではまた次回。

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髙畑鍬名(たかはた・くわな)
映画監督。監督作『FUCK ME TO THE MOON』がDMMにて配信中。タイトルが気になった方は、ぜひチェックしてみてください。→http://www.dmm.com/digital/cinema/-/detail/=/cid=5492moosic00002/
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